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カブトムシとは結婚できない2/2

そうして、男性へなんとなくの恐怖を持ったまま社会人になった。

接客の中で老若男女多くの人と関わる事が増えた。元々知らん人と上部だけでベロベロ色んなことを話したり聞いたりするのが好きだったので、浅〜い会話のコミュニケーションが楽しかった。
本当にいろんな人がいて面白い。怒る人もめんどくさい人も、深すぎず浅すぎずの所で関わる分には図鑑埋めみたいな楽しさがある。個々の人間性を知るのが面白くて、余計に雑談してしまうくらいだった。お話していた方が仕事が円滑に進むので無駄ではなかったと思うが。

そんな風に真面目に不真面目にコミュニケーションをとる術を覚えた私は、人間性のみを見ていれば男性ともお話できる!ということを発見した。ほとんどの人は性別なんか意識して話してないと思うが、私は男性だと認識するとシャッターを下ろしてしまう傾向があった。今後仕事をする上で、誰とでも交流できるようにしたいと思っていたために男性への対処法を見つけることができた気がして嬉しかったのだ。

そもそも男性恐怖症を克服したいとは思っていない。生活上なんの問題もないからだ。恋愛対象でもないために微塵も不便なところがない。知らない人間に警戒するのは当然なことで、多少過敏になるくらいであって誰にも迷惑はかけていない。警戒心が強めになるから面倒ごとに巻き込まれることもなく、むしろ助かっていることの方が多い。克服というよりかは共存していきたいと思っている。

対処法を身につけコミュ力を爆上げした後に転職した。前職は女性の社員が多かったが、男性率が多めの職場になった。やりたい仕事がいずれそういう環境になると分かっていたために、対処法を身につけたことに喜んでいた。今の自分なら男性でもなんでも良い職場関係を築けると思っていた。

実際めちゃくちゃ上手くいっている。そして上手くいきすぎた結果、ちょっとした歪みができた。クソだるい男女云々の問題だ。クソクソだるい。
実際、人間性は面白い人なのだ。話すのが楽しい。それだけ。変に発展してしまったのは楽しさにかまけて、人間性ばかり注視しすぎて男女云々のことを考えないようにしてしまった自分の問題だった。だって男女だからって意識するのも面倒じゃん。
しまいには藪にいるかもしれない蛇を恐れて叩き出して対処しようと思ったら、なんの毒もないような無害な蛇に噛まれてしまった。藪の中は静かに歩かなきゃいけないらしい。

収拾はついたが、ことの発端は自分が線引きを見誤ったことから始まった。反省はしている。しかし理性で本能を塗り潰していくような、不器用とも言えるくらいに他人のことを考えてグルグルできる、女性としてではなく人間性を見ることができる自分の偏見に当てはまらない男性もいるんだとわかった。(結局、性的指向の違いで拗れたが!)下半身に従順で低俗な種類だけじゃないという発見は、自分にとっては大きな発見で、すごく安心できることだった。凝り固まった偏見の姿が薄らいでいくのを感じた。

例えるとするならば、互いの不干渉が約束されているような、虫カゴの中のゴキブリを観察することはできる。その虫カゴの中から、あれ?これカブトムシじゃね!?と見分けがつくようになったような感覚である。ゴキブリはどうしても無理で討伐対象でしかないが、カブトムシなら私は触れるのだ。価値観は人によると思うが、割と虫は好きな方なので自分の中では大きな発見であり成長だったのだ。

とはいえ、カブトムシが触れられるのであれば男性に可能性が出てくるかといえば全く違う。残念なことに。男性を虫で例えてしまうくらいには、まだ私には嫌悪感や恐怖心はしっかりあるのだ。
自分がペットショップの店員でカブトムシ担当になったら、興味をもって生態を調べたり個体差をチェックして世話をするだろう。可愛いなとか面白いなと思う。きっと好きだなあと思う個体もでてくるかもしれない。
とはいえ虫なので、カブトムシの裏側をまじまじと観察したら気持ち悪いし、不意に飛んでくっついてきたらアウトだ。布団の中に入っていたら自分が何をするかわからない。
どんなに懐いていようとも、カブトムシと人間が結婚することはできない、つまりはそういうことである。

人間性のみ見て関わりを持つのであればなんら問題はない。そこにわずかながらの男性性や見え隠れする本能が感じられた瞬間に、偏見フィルターがかかり人間がゴキブリやカブトムシになってしまう。

自分の恋愛対象が変わる兆しは感じられない。無理なものは無理である。わざわざ自分の神経を擦り減らしてまで克服する気も毛頭ない。そこまでお人好しにはなれない。
恋愛対象やタイプなんてものは、食べ物の好き嫌いと違って克服するような物ではないだろう。食わず嫌いであってもいい。克服することが自身の幸福に繋がると誰が確約してくれる?

自分の偏見や恐怖症と対面するのは、避けてきた分非常に苦しいものだった。堂々巡りの数ヶ月だった。
セクシュアリティなんてどうでもいいや〜!!好きなもんは好きだし嫌いなもんは嫌い!と放棄することで自分自身を受け入れることが出来ていた。その何もかも間違いで、人の感情を受け取ることができない自分が欠陥しているのではないかと自己嫌悪に陥りかけた。

性別を意識しすぎていること、男性に対して無知で傲慢で恐怖心を持っていることを認めて、共存していくことに変わりはないのだ。変われないもの。

ここから10年、20年経ったらカブトムシの着ぐるみをきた人間レベルには見れるようになっているかもしれない。正直何も分からない。
変わりたいとも思わないし、変わるとも思っていないが。あまり今の考えに捉われることなく、流れに身を任せて自分の価値観を見守って行きたい。今はそれでいいと思いたい。

ごめんねカブトムシ。

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