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カブトムシとは結婚できない1/2

小学生の頃に好きな男子がいた。

なぜ好きだったのかはほとんど覚えていない。小学校という小さな世界で構築された相応の価値観ではあったが、当時は純粋に恋愛することを楽しんでいた。少女漫画を読み始めて間も無く、恋愛に随分な憧れを抱いていたんだと思う。バレンタインにはチョコをあげたし、遊ぶ時はお気に入りの服を着ていったし、二人きりで遊ぶ時はたくさん考えながら話した。
小学校中学年の冬に遊んだ日のこと。例によってお気に入りの服を着ていった。意中の子を含めた男子の中に一人自分が混じって遊んでいたが、流れとしてなんだか揶揄われはじめた。挑発に乗った自分は、ちょっとぶん殴ってやろうと追いかけて、そして盛大に転んだ。

雪が溶けてドロドロになった地面が、フワフワのニットに染み込んでいく。私の無様さに笑う男子の声が聞こえた。
転んだ羞恥とお気に入りの服が汚れてしまったことが、痛みより耐えられなかった。笑いながら手についた泥を男子の服で拭い、泣きながら帰った。

これが異性を好きになった最後の記憶である。
本当に些細な思い出でしかないが、この出来事は小学生の恋心を踏み躙るのには十分だった。
そこからは軽蔑心から異性を避けていたこともあるが、何より一人の同性に長年(勝手に自分で)囚われ続けることとなったため、全く男性とコミュニケーションを取ることが無くなった。関わる必要も感じられなかった。
接する機会が無くなると、異性の存在や生態が未知の物へと変わっていった。年齢が上がるごとに低俗な会話で盛り上がり、女子に対する視線が変化していく。

軽蔑から嫌悪へ。

中学時代にやんわりストーカーじみたことをされ、高校時代にはバイト先の同僚中年男性が執拗に関わってきたことがあった。大したことではないように思うが、どれもいい気持ちはしなかった。下心が見えるから。

嫌悪感は恐怖心へ。

男性から何か手酷い仕打ちを受けたわけではない。少ない記憶から自分の中でのイメージが最悪な方へと加速していっただけ。そう思うし、事実そうである。そんな大事ではない。

しかし結果として、偏見と恐怖症の二つが自分の中に居座ることとなった。この二つは別々に存在している。凝り固まった下劣な男性像で理解しているつもりでも、実際に実物に対面するとより一層めちゃくちゃ怖いのだ。想像を現実が超えてくるというか。

同世代の男性が一番怖い。同じ時間を生きてきているにも関わらず、性別の違いでこんなにも身体や筋力に差があることが怖い。同世代の背の高い男性が自分の後ろや前に立った時に、なす術もなくこのまま殺されるんだろうなと思ったことがある。
そりゃ違いはあるだろ!と自分でも思う。性別の違いだけではなく、それぞれの習慣や努力があったり個人差とか色々ある。そんなん分かっているけども。本当に意味がわからないが、怖いと思ってしまう。
考えてることが分からないのも怖い。人隣を知らないからというのが原因だが、やはり人間性を知らずに男性という情報のみで対面すると死を想像してしまう。前世に殺されたんか。

偏見と恐怖心の二つとは長いこと一緒にいたが、2/2で書くような人間関係を経て偏見がいなくなったような気がすることがあった。
偏見がデカすぎて、もはや一人の気の強い子供のようなイメージが自分の中にできていたので、ちょっと寂しい気もした。偏見あっての恐怖心では?とも思うが、偏見がいなくなっても恐怖心はあるのでやはり二つは別物で、偏見ちゃんがガードを張って距離を取らせて恐怖心を感じさせないようにしていたのかな〜とも解釈できた。

思い出せるところから振り返ってみてもどこからきた恐怖心なのかよく分からないし、なぜこんなにも怖いのかも分からないが今のところ自己分析はこんなもの。

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