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あなたといる時の自分が好きだったの

あなたのことが信じきれなくて
黒いモヤを心の内に抱え続けている
自分のことが好きじゃない

あなたとの関係が生まれてから
その愛情を全身に感じられていた時の自分は
ナチュラルで前向きな力に溢れていたし
あなたのことを全身で受けとめられる
心の深さももてて
そんな自分のことも好きだった
だから一緒にいてとにかくしあわせだった

今のわたしはダメだ
こと、あなたとの関係性において自分のことが好きになれないよ

だからこの関係は
終わりにしましょう
お互いがこれ以上に疲弊しきらないうちに


平野啓一郎さんが提唱する「分人主義」
彼と関係を持った頃、ちょうど読んでいて、その考え方にストンと納得がいった。
その頃、自分の生活に閉塞感だらけで、パンパンに張り詰めていたわたしに、チクンと針で風穴を開けてくれたのが彼だった。
これまで見向きもされなくなっていた、本当のわたしを見つめて引き出してくれた。そのままでいい、と言ってくれた気がした。彼といる時の、彼の前ではさらけ出せる自分の一面が好きだった。

「個人」は、分割することの出来ない一人の人間であり、その中心には、たった一つの「本当の自分」が存在し、さまざまな仮面(ペルソナ)を使い分けて、社会生活を営むものと考えられています。
これに対し、「分人」は、対人関係ごと、環境ごとに分化した、異なる人格のことです。中心に一つだけ「本当の自分」を認めるのではなく、それら複数の人格すべてを「本当の自分」だと捉えます。この考え方を「分人主義」と呼びます。

職場や職場、家庭でそれぞれの人間関係があり、ソーシャル・メディアのアカウントを持ち、背景の異なる様々な人に触れ、国内外を移動する私たちは、今日、幾つもの「分人」を生きています。

自分自身を、更には自分と他者との関係を、「分人主義」という観点から見つめ直すことで、自分を全肯定する難しさ、全否定してしまう苦しさから解放され、複雑化する先行き不透明な社会を生きるための具体的な足場を築くことが出来ます。

文人主義公式サイトより

いつの間にか、手に入れたものを失うことが怖くなったわたしは、また、今度は彼の前でも鎧をつけ始めた。こんな自分じゃ嫌われちゃう。気を遣わなくちゃ。もっと頑張らなきゃ。できない自分じゃ呆れられちゃう。賢くいなきゃ。理論武装をして、言い負かされないようにして、騙されないように、ナメられないように、バカにされないように、陥れられないように、嫌われないように、失わないように。。。

もうあの時の素顔の自分じゃない。
心からリラックスできない。
あなたといる時のこんなわたしは、自分自身で好きになれない。
一旦リセットさせてね。ごめんね。

平野 啓一郎
私とは何か――「個人」から「分人」へ (講談社現代新書)

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