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文トレDAY85 58-セミナー編(11)DWD続編 こころの傷



note で11月27日アンソニーロビンスのセミナーDWDに行ったことを書いた。途中まで書いた時にもう少し細かいところ確認したかったのだが、参加したのは2012年、もう11年も昔のことなのだ。

あきらめの悪い私は懲りもせずしつこく考えていると当時DWDでルームシェアした友達がフェイスブックでまだ友達でいることを思い出した。私より彼の方が若いので記憶力もいいだろう。早速フェイスブックのメッセンジャーで質問する。

ご無沙汰しています。1ヶ月ほど前から、自分の生い立ちを書きはじめ、今、櫻井さんと出会ったあのDWDのことをのことを書いています。当時の記憶が曖昧になってきたので覚えている範囲で教えてもらえますか?


待つこと数10分でリアクションが返ってきた。11年間も会ってないだが、さすがDWDに参加しただけのことはある。すばらしい。

お久しぶりです。 アンソニーが3/4を話してたイメージ、つまり成功の秘訣は与える事と、渡辺さんのカレーがめちゃくちゃ美味しかったこと、それと渡辺さんとペアーだった最年少のメンバーのお父さんが後日カンボジアで亡くなったのを覚えています。


ショッキングなニュースを思い出した。

DWDはセミナー開催中2人のペアーでワークをしたりいろんなセッションをして相手を知ることで自分の深い内観を見ていくところに最もこの「運命の日」としてのブレークスルーがあるのだ。

私のペアー(会場ではバディと言ってました)だったのは最年少(確か高校生)だったのでセミナーについていくことが難しい様子だったので、よく会場の外に出て話をしてました。(笑)その人の親父さんともセミナーの期間中一度食事したことがありました。親父さんは広島のお好み焼き屋を経営している人だったと記憶しています。

帰国後、私のバディからこんなメッセージが届いた。

自分が変われたと思えてきたのは、あなたのおかげです

2012/12/10 9:10

なんかこの一言が聞けただけでもDWDに行った価値があったと実感した。
たまにはいいことやってるやん。と自分をほめた。

そう思ってもらっただけで、僕は、あなたとバディを組んで本当によかったと思います。

2012/12/10 15:41


DWDが終わった後も、バティのお母さんからメッセージが届いてました。

広島の北倉です。このたびは、息子が大変お世話なり、ありがとうございました。 初めての海外で不安なことだらけの中でのDWD,渡辺さんがバディしてくださった事が、彼にとって大きな変化をもたらせたんだと思います。 これからの彼の成長を、一緒に見守っていただけると嬉しいです。 ご縁に感謝いたします。 ありがとうございました(#^.^#)

012/12/10 22:25

そのころFBの返信とかが苦手だったので返信できず。

自分の存在が人に良い影響を与えることができる。この時実感できた。そしてその余韻にひたって、そのことを言語化できずにいたのだ。


数ヶ月後

「キタクラ」と「広島」というキーワードが頭に引っかかって移動中の電車を降りてネットで検索した覚えがある。

パームスプリングスでのDWDが2012年12月。殺害されたのが2013年3月3日。バディだった彼はまだ高校生だ。
連絡先は交換していたが、私は彼にかけるべき言葉をいろいろ考えたが結局なにも連絡することはできなかった。


非情で情けない私だった。

いまの私だとどんな言葉をかけるだろう。遅ればせながら書いてみた。
お父さんを亡くされたUさんの捧げる言葉

あなたに身に起こった出来事は、私などが到底想像できるものではありません。少し、話は長くなるのですが、お話させてください。
先日、ネットで知り合いになった海外の友人が15歳の時自動車事故で両親とたった一人の妹を亡くし、そのあと叔父さんの家に引き取られ5年後、その叔父さんも癌で亡くなり。結婚後飛行機事故で旦那さんを亡くされたという身の上話を聞いて、まるで不幸のデパートみたいな人です。私は心が張り裂けそうになりました。
亡くなられた旦那さんとの間には息子はおり、現在学校に通っています。
彼女は海外で平和維持活動をしています。そんな彼女が望むことは、両親に再び会いたいということ。なにより悲しいことは、自分の不安や、苦しみを受け入れてくれる相手が今いないことだと言ってました。
頼る人がいなくなることは悲しいことですが、驚いたことに彼女の夢はほとんど達成してきたと言ってました。

頼るものが無いのは、大平原に立つ大きな一本の大木のようなものです。私は彼女の話を聞いてそうイメージしました。周りに木や山があると風や災害から守ってもらえます。しかしそれがないと自分で根を強く大地に伸ばし、風にも負けないように自らを強くする必要があります。

変な話ですが、結婚して、両親(父は3年前老衰で他界)と兄弟がおり五体満足な自分が彼女に勇気づけられるのです。数年前私は自分の会社を倒産させざる得ない状態になりました。でも、そのとき彼女と話をしていたなら、もしするともっと頑張ったかも知れないと思えてくるから不思議です。

今はお父様が亡くなられたことが大きな心に傷になるそういう時期だと思います。しかし、時がくれば「頼るものが無いというのは必ずしも不幸では無い。」と信じることがDWDを乗り越えたあなたなら必ずできると信じています。







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