見出し画像

文トレDAY84 57-プロジェクト編(2)ひと未来館(閉鎖) 

プロジェクト編では、単に中年男の自慢話にならないように、どんなプロジェクトをどんな切り口で挑戦したか。それが出来上がった後がどのように使われ社会に貢献するのかという観点で書いた。


2003年4月竣工
私の持っているスキルを総動員して作り上げた。
プランニング段階は、N○Kさんとともにお仕事をさせていただき、実施施工レベルでは大手の展示会社の元お仕事をし引き渡した後も保守を2009年3月、閉館するまでの間携わらせていただくことができた。

一つのプロジェクトの誕生から終了までを身を持って体験することが出来たことはこれから大きなプロジェクトをする上で非常に役に立つリソースが入手することができたと思う。

普通の設備業者の立場では、考えが及ばない部分にまで考えを巡らせることが出来るようになったのはこのプロジェクトのおかげといえるだろう。

この展示施設には、非常に深い意図がある。阪神淡路大震災では6,434名の方が亡くなり、行方不明者が3名、負傷は43,792名、家屋全壊104,906件。被害総額は10兆円規模(この記事を書いた2013年5月)であるという。

震災時、私は堺の自宅にいた、その時のことは鮮明に記憶に残っている。
この世の終わりのように見えた神戸の風景。一生私の記憶から消えることは無いだろう。

今、神戸に行くと本当にこの地に地震があったのかと思えるほど活気に溢れている。私の記憶の風景は悪夢のようだ。しかし、心の傷は簡単に直すことができない。
この施設は、被害にあわれた人の心のケアーと、命の尊さを来場者に知ってもらうという意図があったのだ。

施設に訪れた人が、展示や映像やワークショップを通じて、人に対する思いやりの気持ちを再認識し、命の大切さを感じてもらうというコンセプトがあったのだ。

私は当時、照明演出という立場でこのプロジェクトに関わったが、本来の目的をしっかりと頭に叩き込んでこのプロジェクトを推進したのかと言われると恥ずかしくなる。

その時の私の心理はプロジェクトがうまくいくように、問題は起らないように、クレームが出ないように、クライアントや代理店関係会社との関係にしかフォーカスが向いていなかった。

この施設は、兵庫県の小中高校の学校では社会見学のコースになっていた。
学校の教科書にも出ていると聞いて感動したのを覚えている。震災が起ってから、今年で28年が経過した。この施設を社会見学でみた小学生ももう成人して社会の一員になっている。

そのとき一人の生徒がこの施設を見学し、インスパイヤーされて、人の気持ちが解る社会のリーダーになる人が育ったとしたら・・・・。
きっとすばらしい未来が訪れるにちがい無いと思うのだ。

ひとの未来」を創るということはこういう原理だと思う。
この施設の存在がひとの未来を創るために貢献することができれば・・・


頭のいい人は世の中にたくさんいる。そういう人たちが目先の利益のことを考えずに過ごせる環境のなかで、ひとの未来のブループリントを描いてそれを実現するためにどんなことをすれば本当に良い社会がくるのかを真剣に考えて欲しいと思う。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?