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文トレDAY69 41-セミナー編(6)常識を疑う

日本に戻り、日常の仕事モードになった。いつものように忙しい日常。
その変化に気づいたのあとになってからだった。

某プロジェクト、受注に向けて提出資料や、フォローを行っていたのだが、どうやら失注になりそうな気配であるとの連絡が入った。

大きなプロジェクトの場合、図面とか資料、裏付けの確認など、山のように作業がある。でも注文が来ないことには、その労力は全くの無駄になってしまう。大手メーカーが自社の製品を販売するために「営業活動」の一環としてすすめた商習慣がもはやこの業界の常識となっている。
デルタは図面と設計が飯の元だったが、メーカーから依頼のあるプロジェクトは、ハードを販売する前提で図面や設計を行っていた。

逆に言うと設計図を提供することが、プロジェクト制約の鍵であり、設計依頼イコール将来の売り上げという図式が出来上がっていた。

いままでは、「残念ですね、次頑張りましょう」とあっさり流すのが常だったのだが。

異なる選択肢がアドバイスもなしに自然に頭に浮かぶ。

ちょっと待った。このままスルーしてもいいのか?
「失注の原因確認をしたい。」

UPW前だと、たとえ他からのアドバイスで聞く必要に迫られたとしても。こんなことを聞いたら、気分を害するのではないか?次からの対応が悪くなったら困るなぁ。
そうだ。自分が「失注の原因確認をしないことが」正しいと思いたいために、それをした時に起こる好ましく無いことを並べあげて正当化しているにすぎない。
こんな気持ちの状態で元請けに質問しても。
クライアントが「値段の問題だ」と答えたら。
それ以上の会話はなく、「はい、わかりました」で終わってしまう。

失注原因を聞くことが「できない」というと、自分の意思が弱いことを見せることになる。つまり恥をかくのが嫌なのだ。
「〇〇の理由でそれはできないと思います」というと一見、きちんとした回答に見えるが実は「〇〇の理由」はその人が思っていることで、本当はどうか確認したことでは無い。
「〇〇の理由」の理由は、正当性があるとしても、では、どんな方法だとその(問題)が問題にならず、情報を聞き出すことができ、そしてその情報を知ることで、うちだけでなく、元請けやその上のクライアントにまでメリットがある提案が可能であるならば、話は全く変わってくる。

ここで「失注の原因確認をしたい。」と思ったのは、極めて建設的な意識が私の中に芽生えたことによる。

たとえば、ウチが販売する商品が足を引っ張って、元請けが失注したのであれば、ウチの売り上げには結びつかないが、弊社と同等レベルの商品を提供する会社を紹介する手もある。
「食うか食われるかの世界で何を眠たいこと言ってるんだ」といわれるかもしれないが、長い目で見れば全く元請けも仕事が取れないのであれば、これも一つの選択肢だと思う。

元請けが提供する製品が別の競合B社に価格面で失注した場合は、競合B社との性能面とサービスの違い、設備系の機材は、納品のあとのアフターケア、ランニングコストも大事な要素。よくあるのが、このファクターを全く考慮にいれず、単純に「販売価格」だけで優劣がなされていることがある。


こんなケース、多分日常の商習慣のなかでは、日常茶飯事に行われている。そんな中で日常の「常識」をスルーせずに「ちょっと待った」がわかるようになったのは、大きな成長だと思う。






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