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(31)アイバ博士の冒険記を読んであれこれ考える(後編)

※この記事は相場大佑先生の著書『僕とアンモナイトの1億年冒険記』の読書感想文の続きです。

  • はじめに:この記事は本書についての内容に触れるため、多少のネタバレを含みます。本書を読もうと思ってる方はご注意ください。

  • 保身:本の内容のうち印象深かった部分だけをピックアップして、過去の経験を思い起こして感想を書いています。自分語りが多めです。本の内容だけ知りたいという方は、ぜひ本書を買って読んでみてください。


児童書の制作中、アンモナイトについて知りたくなり、本棚で熟成していた本を手に取った。ツク之助さんのイラストが可愛い表紙。アイバ博士の靴裏がアンモナイトの柄になっていて可愛い。足元の影も縫合線的なモチーフでオシャレだなあ〜

早速ペラペラと中をめくってみる。

本書は、新進気鋭のアンモナイト研究者、相場大佑博士の自伝的研究エッセイだ。
あのポケモン化石博物館の生みの親が、どんな人生を送ってどういう経緯で素敵な展示を思いつくに至ったのか、そのエッセンスを少しでも知れたら嬉しい。


はじめに

そのアンモナイトについて、何が知りたくて研究しているのか?――全部だ。アンモナイトに関することならなんでも知りたい。

相場大佑『僕とアンモナイトの1億年冒険記』p.3

いきなり引用から入ってしまったが、冒頭から引き込まれる文だったのでそのままお借りした。

なんて素朴で純粋な文章なんだ。
これだけで相場先生の研究姿勢や生き様を過不足なく言い得ているような気がする。
展示内容やSNSなどから薄々感じていたが、改めて素敵な文章を書く方だなと思った。好きな感じの文章を書く人のことを、僕はすぐに好きになってしまう。このへんにしておかないと熱烈なラブレターじみた記事になりかねないので、さっさと読み進める。


第1章

第1章では、バンド活動に明け暮れる数学専攻の学生だった相場青年が、将来に悩み悶々としながら、いかにしてアンモナイト研究の門戸を叩くに至ったが描かれていた。
将来就きたい職業もなく、得意科目の数学の配点が高かったという理由で数学科に進んだ相場青年。いざ入学してみると、解法パターンの暗記でなんとかなる受験数学とは異なり、大学数学の世界はずっと概念的で「解」なんてものは用意されていない世界。そのギャップにたじろぎ、いつしか理解することすら放棄してしまい、バイト・バンド・飲み会・ポケモンバトルにいそしむ大学生活へ…

もしもタイムマシンで過去に戻れるとしたら、恐竜時代より先に、自分の高校生時代に行き、ナメたものの見方をした自分をまずはポコッと一発殴りたい。
とも思うが、実際問題、高校生の時に本当にやりたいことを見つけ、将来につながる進路を適切に選択することはたぶん結構難しくて、明日のことはどうでも良い理由でとりあえず決めてしまうものかもしれない。握った拳を緩めてデロリアンから降りた。

相場大佑『僕とアンモナイトの1億年冒険記』pp.12-13

「握った拳を緩めてデロリアンを降りた」
名文だ…
そして、高校生のときに本当にやりたいことを見つけるのは結構むずかしいかもという部分、すごく共感できる。17,18そこらで将来設計ちゃんとできるほうが稀だよね。

僕もなんだかんだ、得意科目の配点が高かったのと、生物学専攻って言えるのがカッコイイという理由で、進学する学部学科を選んだ。生物学の勉強は面白かったが、優秀な同期たちは生物学に対して一途で、真っ直ぐで、活き活きとしていた。僕はいつまで経っても、勉強は成績や単位のためにするものという感覚から脱せず、入学してすぐ、自分はどんなキャンパスライフを送ったらいいかよくわからなくなった。学問に夢中になれていない=研究者に向いてないという気持ちが芽生えていたが、その芽生えを踏みつけて見ようとせず、学科の同輩の先頭集団を追いかけていた。
余計なプライドにしがみついてばかりで、全然自分と向き合えていなかったな〜今になってと思う。僕は結局メンタルを崩して休学する羽目になり、建て直しに何年もかかった。

しかし、僕が想像していた相場青年像を、初っ端からくじかれたのには驚いた。

まず、化石研究をやる人は子供の頃からまっすぐ化石に一途なイメージがどうしてもある。
僕も大学で生物学を専攻していたので、研究者がそんな人ばかりではないことはもちろん知っている。しかし化石や恐竜は男の子に大人気のジャンルだし、ポケモン化石博物館を企画した人ともなれば、ポケモンも化石も小さい頃からよっぽど大好きだったのだろうと勝手に思っていた。

(いや。それは嘘かも。
東大生の言動をタレントが笑うテレビ番組の構造、あれに近い気持ちかもしれない。「すごい人は子供の頃からすごいし、ちょっと変。自分とは違う人種だ」と思うことで、無意識に自尊心が傷つくのを避けたのかも。)

しかし、相場青年は、僕や僕の友人たちと同じように、ありふれた悩みを抱える大学生だった。最初から天上人だったわけではなく、自分にも有り得たかもしれない大学生活を送っていた。
順風満帆のサクセスストーリーを信じて身構えていたため拍子抜けしてしまったが、何だか自分の過去を肯定されたような気もする。

同級生が次々と身を固めていく中、悶々とした日々を送る大学3年の相場青年。ふと思い立ち、クローゼットから引っ張り出したダンボールを開けると、幼い頃に好きだった恐竜の絵本、恐竜の折り紙や絵が貼られた家族アルバムが顔を出す。恐竜に夢中だった頃の思い出が蘇る。

そこからの相場青年は凄かった。

夜更かしして古生物学について調べ、今から古生物学を学びたい旨を家族に相談。周辺の大学で古生物をやっている研究室を調べ、横浜国立大学の和仁先生にメールを打ち、アポを獲得。その勢いで研究室のゼミに何度か通わせてもらい、大学院を受験して合格。右往左往していた大学3年間の軌道から、怒涛の展開でポイントを切り替え、古生物学者ルートに合流したのである。

なんという行動力…

もちろん、周囲の環境に恵まれていたのも大きな要因だと思う。我が子の恐竜愛を否定せず大切にアルバムに取っておき、進学を後押ししてくれたご両親、快く研究室に迎え入れてくれた和仁先生など、周囲の協力なしには成立しない。

しかし、相場青年の勇気ある決断と行動なくしては、この運命の転換は起こり得なかった。
前半の記事で、僕はさんざん自分の行動力の無さを嘆いたが、それはこの時の相場青年の勇気に感服したからだ。自分が歩んでいる道に疑念を抱いた時、その疑念に目を背け続けるか、勇気を出して飛び出すかが命運を分けた。

どこか親近感を覚えていた相場青年は、次の章からはもう立派な相場先生なのである。失礼無きよう気を引き締めていこう。

相場先生はきっと、教えを説くつもりでこの章を書かれたわけではないと思うものの、僕はこのエピソードから得られる学びを煎じてグツグツ煮出して飲み干したい。少しでもご利益にあやかれるなら…


第2章

第2章では、当時修士2年の先生が野外調査中、「同じくらいの大きさの殻が1か所から出てくる」という不思議に出会い、そこからアンモナイトの生態に迫ろうとする。この過程が語られていく上で面白いのは、「化石から生きている時の姿を想像する」という行為が、思ったよりもずっと難しく、ずっと奥深いということだ。

学部卒の分際で語れることは少ないが、僕は4年間だけ生物学づくしの日々を過ごした経験がある。そのこと知る友人は、僕に化石や恐竜について尋ねてくれる時があるが、実際問題、古生物学はさっぱりだ。

なぜなら、古生物学と生物学は近いようで遠いからだ。生物学はほとんどの場合、生体を観察できることが前提だ。in vitro(試験管内)で反応を再現する研究分野もあるが、それも結局は生きている生き物について解き明かすことを目指してやっていることだ。

一方、古生物学の研究対象は、基本的に現在の地球上を隅々まで探してもいない。あるのは「いた痕跡」だけだ。その痕跡を残した生き物がどんな姿でどんな暮らしをしていたかを想像するしかないのだ。
「想像する」といっても、好き勝手に思いついたことを言っていい訳ではなく、科学的根拠に則って、しっかりと論証する必要がある。本書を読むと、これがあまりにもムズいことがよく分かる。

この章では、アンモナイトの化石を発掘する野外調査の流れが丁寧に紹介されていた。
ルートマップ作成、地層の観察、化石の採集という3ステップに分かれること。温暖湿潤な日本では、川沿いの地層が削られた場所からの採掘が多いこと。化石はどこから取れたかの情報が重要なこと。示準化石やかぎ層から、地層の時代や周辺地形とのつながりを把握すること。

読んで、8割くらい地質調査じゃん!!と思った。
これは「古生物学」という字面からは想像できない作業だ。しかし、そこまでしないと化石となった生物のことはわからないのも頷ける。化石は口を利かないし、再び命を燃やし始めることもない。机の上に並べられるヒントが少ない分、幅広い分野の知識を総動員して、得られる情報は何でも吸収しなければならない。どんなに些細なヒントも見逃さずに丁寧に点と点を結び、地道に輪郭を描いていく必要があるのである。
ひたすらに地道だ…

また本書では、化石は生きていた時の姿を瞬間的に固めたものではないことも語られていた。
この章で相場先生は、テトラゴニテスというアンモナイトが同じような大きさでまとまって発掘されることに気づき、「群れで生活していたのでは?」という仮説を立てたが…。

これを立証するには、数々の制約がある。
まず、アンモナイトは殻の中のガス室で浮力を調整したため、死んでからは海面に浮き上がり長期間漂う(と考えられている)。そのため、海流による物理的作用で一定サイズの殻が1箇所に集まっただけでは?という反論が想定される。
この反論に対抗するためにはどうすればよいか?
→化石になった個体は、生き埋めになったか死後すぐに堆積物に閉じ込められ、死んでから長時間海を漂っていなかったことを示せばよい。
そのためにはどうすればよいか?
→アンモナイトの軟体部で化石に残りやすい顎器(イカタコでいうカラストンビ)が、殻の化石と一緒に見つかるかを調べ、軟体部が腐り落ちて殻と離れていなかったことを調べればよい。
そのためには?
→X線で化石を透視してみてはどうか…

この例ひとつだけでも、確信を持って反論回答するには、考えることや確かめなければいけないことが山ほどある。実際にはもっとたくさんの反論が想定されるし、それらへの回答も1対1対応ではなくどんどん派生していくため、無限に謎が謎を呼ぶ。生きているアンモナイトの姿は誰も見たことがないぶん、大勢を納得させるのが大変そうだ。素人目にも立証の難しさがよくわかる。
結局本書でも、X線で思い通りに化石の中の顎器を観察するには至らなかった。しかし、そこから「なぜ見えないか」を更に探るため、セメントの中にイカやタコの顎器を埋めて同じ装置に通してみたり、SEM(走査型電子顕微鏡)を使ってみたりと、ひとつの化石標本を様々な角度から観察していた。「科学の基本は観察」とよく言われているが、まさかここまで穴が空くほど観るとは…

しかし、謎が謎を呼び、目に見えて興味が広がっていくのは楽しそうでもある。謎解きは難しくてわからないほど楽しい。

生まれ変われるならこんな研究人生を歩んでみたいものだな〜と思いながら、またもや自分の大学時代を思い出していた。
大学3年の夏〜卒業までの貴重な研究室生活の時期を、僕は健康に過ごせなかった。約1年半休学した後、恐る恐る大学に戻ってみると、同輩たちの多くは院へ進学してすっかり研究者らしくなっていて、どこか寂しさを感じた。最終学年の1年間は、1つ下の後輩に混ざって研究室に通うこととなったが、結局体調が持たず行けない日が続いた。最後はグダグダの卒研発表で何とか卒業させてもらった。大学3年まで「成績優秀」だけを自分のアイデンティティにしてきたのに、学歴の最後の最後ですっ転ぶなんて。人生とは皮肉なものだ。

休学期間で始めた絵の活動がなければ今の暮らしはないので、今ではそんな大学生活も悪くなかったと言うことができる。しかし、自分が選ばなかった(選べなかった)方の分かれ道の先に、こういう研究生活が待っていたかと思うと、憧れずにはいられない。僕にデロリアンに乗れるチャンスが回って来るとしたら、行先は大学入学の日にしたい。
アカデミックライフを謳歌し損ねたこんな奴でも、先生の文章を読むだけで、古生物学研究の苦労や楽しさの一端を追体験できた。今はそれがただただありがたい。
自宅や職場や出先にいながら、ノーリスクでできる追体験。大変オトクな本である。


3章〜

ここまで書いておいて何だが、長く書きすぎて疲れてきた。この記事はもともと、あまりにも本書が文字通り「眠れなくなるほど面白い」本だったので、脳内でポコポコ生まれるアンモナイトを出力し、自分を落ち着かせるために書き始めた。勝手に思考が膨らんでいくので、書かなければ気がすまない。
相場先生本人に届いたら嬉しいなという下心もありつつ書いたが、前半の記事で本当にリアクションをいただき、「後半も楽しみにしています!」というコメントをいただいてしまったものだから、気合を入れて後半も書き始めた。小学生の頃、読書感想文は「自分の体験を交えて書きましょう」と教わったが、まさか著者ご本人に感想文を読んで貰える日が来るとは!「著者に読んでもらえると思って、失礼のないように書きましょう」も義務教育に加えて欲しい。
しかし、相場先生はじめ記事を読んでくれる方々の貴重な時間を、この記事に割いていただくのも申し訳ないと思い始めた。通勤中にちまちま書いているが、読了後日が経ち、そろそろ読後感の初速も落ち着いてきたので、あまりだらだら続けてもしょうがない。

よってここからは、読書中に書いたメモを貼るに留める。

  • 周りの人々の肩を借りながら、節目節目で自ら行動してチャンスを掴んでいく人生を追体験できる。研究者の道は厳しい。コミュ力と飲みニケーションだなあと思った。

  • 博士論文の前審査のエピソード。学芸員としての経験から、「のびのび進化」などキャッチーで分かりやすい言葉を選んだつもりが、ワードチョイスがチャラついていると酷評を受ける。TPOは適切ではなかったかもしれないが、研究者自身がそういう言葉を選べることは必要な能力な気がするし、頭ごなしに否定しなくても…と思った。学問に携わる人が排他的な印象を与えるのは良くないし、大学教育の現場でも科学者のサイエンスコミュニケーション力を育てる風潮になってくれ。

  • ポケモン化石博物館の企画は、学芸員の業務で「絵本せいめいのれきし」にまつわる展示を作ったあと、論文執筆と並行しながら完成させたものと知りびっくり。幼少期の嗜好と展示内容を結びつけるという発想から、こんなにも(相場先生の年齢的に)早く、ポケモン化石博物館に辿り着くとは。思い立って企画書を書き上げ、株式会社ポケモンに提出するという行動力もすごい。標本の選定や展示ストーリー構築など総監修もされていて、理想的な学芸員の姿だと思った。僕も本当はこれがやりたかった。

  • アンモナイトを同定するポイントはせいぜい10個くらい。巻のゆるさ、殻の突起、縫合線の形など。相場先生レベルになると、ひと目で新種かどうかわかる。リンネ式階層分類体系を説明するのにアナウサギを例に挙げるのが「うさぎ飼い」で良かった。

  • オウムガイもタコも発生的には腕は10本なので、系統的に挟まれたアンモナイトの腕も10本と考えられている。たまにオウムガイのように頭巾が描かれている復元画もあるが、頭巾があったという科学的根拠はない。

  • 相場先生、自分で復元画を描くかなりのツワモノ。アンモナイト愛がすごいし画力が高い…。


アンモナイト考

本書を読んで、僕は生まれて初めて、アンモナイトのことで頭がいっぱいになるという体験をした。
アンモナイトについて不思議に思ったことや知りたいと思ったことを羅列して、この記事を締めくくろうと思う。

■縫合線の謎

相場先生が修士時代に挑んだ「アンモナイトの縫合線はどのように作られ、どのように役に立ったのか」という謎。
僕は生き物の「カタチ」に興味があって、卒研で選んだ研究室も発生生物学研究室だった(テーマはカエルの卵成熟過程だったが…)ので、この謎にはすごく惹かれた。
本書p.27にその縫合線の図があり、時代があとになるにつれ縫合線が複雑になっていくと示されていた。古生代のアンモナイトでは縫合線は滑らかなサイクロイド曲線のような形状だが、中生代三畳紀ころではかくかくした矩形波的な形になり、ジュラ紀~白亜紀ではさらに入り組んだフラクタルな形になる。フーリエ変換の説明で見たような図だ。
実際には、縫合線は殻の隔壁と外壁の交線がなす模様なので、殻の内部では3次元的に波打った隔壁があったと考えられる。生物の3次元的な発生のメカニズムはなかなか直感的に理解するのが難しいが、個体の成長とともに軟体部から殻の内部に新しい壁を作っていくため、細胞増殖とリン酸カルシウム付加で壁の形を決めていると言って良い気がする。
「何の役に立っているのか?」については結果論なので立証が難しそうな気もするが、僕の興味は発生に向きがちなので、「どうやってこの3次元構造を作っているのか?」がかなり気になる。(オウムガイ等の現生種で隔壁を複雑化させるメカニズムを調べていないので勝手な推測になってしまうが)この複雑な構造を作るためには結構なエネルギーを要しそうであるので、時代とともに積極的に進化させたと予想できる。となれば、どういう発生的な仕組みで、このような形を作っているのか…

生物が作るパターンについては、近藤滋先生の『波紋と螺旋とフィボナッチ』シリーズで述べられていたように、案外シンプルな仕組みで形成されていたりもする。フィリップ・ポール著『かたち』『流れ』『枝分かれ』の3部作で紹介されていたように、自然界には自己組織的にできるパターンが割とある。
アンモナイトも、隔壁形成基部の分裂速度の違いをシグナル形成パターンで決めていて、隔壁の形を徐々に複雑化させたのかも…?などと想いを馳せたりした。

※追記:相場先生の奥様のnoteで、相場先生も『波紋と螺旋とフィボナッチ』を通っていると知り、嬉しくなった。


■「異常巻き」についてはどうか?

縫合線も魅力的だが、異常巻きの謎も気になる。本書によると、アンモナイトが生息した最後の時代、白亜紀に、通常の巻き方とは異なる巻き方の種(異常巻きアンモナイト)が数多く出現したという。また、時代が後になるにつれてアンモナイトの巻きが縦に伸びる傾向にあるらしい。平面螺旋状のロールケーキがシナモンロールを経てチョココロネになる感じだ(相場先生は「のびのび進化」と表現していた)。どうしてそうなったか?
そもそもアンモナイトの祖先は、めちゃめちゃに細長い殻を真っ直ぐに伸ばしたチョッカクガイというやつで、そこから徐々に殻のカーブがキツく進化していき、よく知られるコンパクトな殻を獲得したとされる。巻くことで遊泳能力がアップし、捕食者から逃げやすくなっていった。

では、なぜせっかく綺麗に巻いた殻を、崩すような進化をしたのだろう?この謎に対する明確な回答はまだ出ていないらしい。確からしい説はあるが、生きていないので検証のしようがないために、誰もが信じる定説として広まっていない。

異常巻きアンモナイトは奇形でもなんでもなく、「そういう巻き方」の種だ。有名なニッポニテスなどは、一見ぐちゃぐちゃに巻いているようにも見えるが、一定のルールで成長度合いによって曲率を変えているらしい。極端に大雑把に言ってしまえば、1歳までは真っ直ぐ伸びて、2~3歳は毎日0.1°ずつカーブして成長し、4〜6歳はまた真っ直ぐ伸びて、7~10歳は毎日0.1°カーブ、11歳からはまた真っ直ぐ…みたいなことだ(例えなので角度も期間も全くのテキトー)。つまり、明確なルールに則ってそう巻いているのであり、このルールにはどんな意味があるのかが気になる。

先に挙げた書籍『波紋と螺旋とフィボナッチ』では、この謎を華麗に説明したモデルが紹介されていた。それが岡本隆氏による「巻きの方向は体のバランスを保つために任意に変えられる」というモデルだ。
岡本氏は、側面に牡蠣がくっついて重心のバランスが崩れたアンモナイトの化石を発見した。その個体の巻きの方向には捻りが加わり、重心の偏りを解消するように調整されていたらしい。
この考え方だと、異常巻きの巻き方がスイッチするタイミングは、遺伝子的に決まっているのではなく、体のバランスが変わる時に変わるということになる。それは殻が伸びて勝手に重心が切り替わる時かもしれないし、成長段階で生活相が変化する時かもしれない。

『フィボナッチ』では「誰も検証しようがない」と締めくくられていたが、この話には続きがあった。
続編の『いきもののカタチ』によると、スミスエントツアツブタガイやサカダチマイマイといった、成長途中で巻きを方向転換する巻貝が、現生の種にもいるらしい。筆者の近藤先生がタニシで実験した限りでは、殻の重心を意図的に変えた個体はほとんど死んでしまい、生き残った僅かな個体は殻の巻き方向が少し変わったか?程度のビミョーな結果になったようだ。

巻貝とアンモナイトでは殻の内部構造も違うし、成長の仕方も違う。しかし、邪魔になる殻をコンパクトに巻き、何とか背負いながら暮らす点は共通しているし、「巻きの方向でバランスを取る」というモデルは、本質に迫っているような気がする。

近藤先生の実験は、何かにくっついて暮らすタニシのポテンシャル的に、殻の重心変化のストレスに適応することが苦手だったからだと思われる。
では泳いで暮らす巻貝を使えば立証できるかもしれないと思うが、実験しやすい生物種はそう多いわけではない。今後の進展に期待だ。

アンモナイトは進化的にずっと遊泳生活を送っていたため、タニシと違って体のバランス調整に機能する遺伝子は積極的に保存されていただろう。白亜紀頃、別の種が絶滅したか何かで空いたニッチにアンモナイト種が参入し、生活スタイルを変えた結果、殻のバランスも変わって巻き方も変わった。こういうシナリオもありえなく無いのかな…と思った。まあ、完全に素人がエアプで言っているだけなので、古生物屋さんに「それを立証するのがムズいんだよ!!!」と言われればそれまでなのだが…
考えるのが楽しかっただけなので、どうかお許しを。

岡本モデルがあまりにも華麗なので忘れるところだったが、これは相場先生のいう「のびのび進化」については、綺麗に説明できていない気がする。殻の巻きがチョココロネになったら、どんどんバランスが悪くなっていきそうだもの。
「のびのび進化」は別の要因かもしれない。例えば「速く泳げる必要がなくなったので、選択圧が和らぎ、捻れ角の変異が拡大された」とか。うーん、それらしい説明はつけられそうだが、何しろ後ろ盾となる知識がないので、簡単に反論できそう…


■アンモナイトの目

アンモナイトの復元画はつぶらな瞳で描かれることが多く、眼は結構良かったのかもしれないと想像するが、実際どんな感じの世界を見ていたのだろう。

頭足類の仲間は大抵目がいい。進化的に古いグループのオウムガイはピンホール眼だが、それでも一応は網膜に像を結ぶことができるし、イカやタコは無脊椎動物トップレベル性能のカメラ眼を持つ。3.5億年ものあいだ海で大繁栄し、いろいろな生き物に食われ続けたアンモナイトもきっと、優れた眼を進化させていただろう。大型の積極的な捕食種では、タコのように横長瞳孔だっかかもしれないし、イカのようにW字型瞳孔だったかもしれない。紫外線・赤外線や偏光を感知できたかも。

サンシャインのコウイカのおめめ

そして、目が良かったということは、見た目にもこだわっていただろうと考えられる。アンモナイトの復元画であまり派手派手に色や模様を描いているものは見かけない(形態をわかりやすくするためなのもありそう)が、実際はどうだったのだろう。
軟体部に色素胞を持っていれば、体色を変えて同種同士のコミュニケーションに使ったり、擬態の役に立ったかもしれない。殻が大きいので擬態は意味無いか…?
殻にだって鮮やかな模様があったかも。相場先生画の復元画の中にもオウムガイのような赤い縞模様が描かれているものがあったが、メカニズム的に可能な範囲なら、どんな模様があっても不思議じゃない。どこかに殻の色情報が残された化石はないのかな…琥珀の中とか。少し調べたら、琥珀の中にアンモナイトの殻が見つかった例はある事にはあるらしい。しかし、琥珀に閉じ込められているということは砂浜に打ち上がったあとなので、軟体部や殻の色の情報も失われている可能性は高い。それでも、3.5億年も海を席巻したんだ。奇跡よ、どうか起こっていてくれ。



1冊の本を読んで、1人のアンモナイト研究者の冒険を追体験した。
たくさん心が動いたので、衝動に任せてたくさん感想文を書いた。
いくら書いても書き足りず、最後にはアンモナイトについてもっと知りたいという気持ちが残った。

次に手に取るべき本はもう決まっている。こういう人のために書かれた本だろう。

僕がさんざん思考を巡らせた答えが全て書いてあるかもしれないし、結局よくわかってないことだらけだなと思うかもしれない。
そのどちらだとしても、良い読書体験になることは間違いないだろう。
僕はもうアンモナイトの魅力を知ってしまった。知る前の自分には戻れない。もう少し、相場先生と一緒に、アンモナイトを追いかける旅に参加したい。

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