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ぼくわしあわせになりたい

ぼくわしあわせになりたいのです。

アルジャーノンに花束を、という作品を読んでから自分の浅はかで悲しくなるほどの無力感に驚かされている。

掴むことの無い夢は虚しいのか
叶えと願う夢は悲しいのか。

それを掴まんとする私は美しいのか。

それが叶わなかった私の価値はどこにあるのか。


それを強く考えさせられる作品だった。

ぼくわしあわせになりたい。

他の男の影がある彼氏の家でそれを気付かない振りをしている

ぼくわしあわせになりたい。

仕事もふわふわ浮いていて定職につかないけれど

ぼくわしあわせになりたい。

自分が生きていていいなんて保証もないけれど

ぼくわしあわせになりたい。



幸せというものが人によって尺度の違うものだと分かっているけれど。

いや、

他の人から見たぼくはきっと誰かの幸せに近しいものなのかもしれない。

そう思うと途端に僕の欲しかった幸せがすごく

すごく、

すごく稚拙なもののように見える。

それが人間の性なのか。

いっその事幸せというものを理解せずにいたあの頃か良かったのかもと。

人によって幸せの形も違うのなら
私の幸せを稚拙と笑うなと言えるのだろうか。

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