昔の記録


いかにして統合失調症を克服するか〜第一部
似非天使Ruzifer

 統合失調症であることを言い訳にして、文章の構成など一切考えずに思いついた順番でテキトーに書いていくので、まとまりのない文章になると思うが、勘弁していただきたい。いや、むしろそれを楽しんでもらいたい。
 それから、すぐ述べるように、統合失調症と一口に言ってもその内実は人によりさまざまである。私はまだ精神科医ではないので、本書ではこの病気に対する私なりの対処法・克服法について述べることとする。私と似たような状態の人には有効だろうが、人によっては、同じ統合失調症患者であっても、全く何の役にも立たないかもしれない。私は10年以内に精神科医になるつもりなので、そのときに本格的に皆さんのお役に立てればと思う次第である。

☆「統合失調症」は実在しない
 さて、まずはじめに言っておきたいのは、「統合失調症である」とは、「統合失調症と診断される(た)」ということ以上を意味しないということだ。この本では「そもそも病気とは…」といった、概念の細かい関係について述べるつもりはないので深入りはしないが、要するに、「統合失調症」という何かしらの実体のようなものがあるというわけではないということである。あるのは症状だけで、症状の組み合わせとか一定の傾向を統合失調症と便宜的に呼んでいるに過ぎない。なぜそんなことをするのかといえば、まずは名前が必要だからである。東洋医学は知らないが、西洋医学(医療)は、さまざまな病気があり、その個々の病気に対して治療法を定めて実践することで成り立っているのである。だってそうでしょう。咳が出るとか、熱が出るとかいうのは客観的事実だが、それを風邪であると判断する根拠はどこにもないし、そもそも風邪なんて病気、本当はないのかもしれない。ワクチンを摂取することで一発で治るような病気ならば、(イッパツだけに)イッパシの病気の資格を持っているといえるかもしれない。だが、風邪や統合失調症に関しては、症状を抑えることができるだけで、完治ができない。つまり原因が分かっていないわけだ。(風邪は時間が経てば治るが、やはり原因は不明である。風邪は時間が経たなければ治らないし、時間が経ったらほぼ必ず治ってしまうために、原因を特定するのが原理上困難なのである。風邪の話に花が咲いてしまったが、本当は放っておけば治る病気のことなんてどうでもいい。私は統合失調症であると診断された。気が狂ったからだ。傍目から見て明らかに異常な言動をする状態が一定時間持続してしまったからだ。さらに付け加えるならば、それによって他人に迷惑がかかったからだ。具体的な例をあげれば、壁を蹴り壊して、「なんで壁を壊したの?」と聞かれて「壁だから」と答えたとか、部屋の壁に「壁に耳なし」と落書きをしたとか、コンビニで買ったミネラルウォーターを、道路を走る車にめがけて挨拶代わりにぶっかけたとか、見知らぬ人に親しげに「よぉ」と話しかけたとか、やたらと店員の名前をしつこく聞いたとか、店長と聞いて「天頂」のことだと思い、「ああ、てんちょう知ってるよ。一番偉い人のことでしょ?」と言ったとか(なんと意味は合っている!)、靴下を水に浸して雑巾代わりに部屋の床を水拭きしたりとか、高校の頃体育の授業で使っていたジャージをお供え物として風呂に浮かべたりとか、水槽にアクセサリーを入れてデコレーションしたかと思えば洗濯バサミを水槽のふちにつけてせっかくのデコレーションを台無しにしたりとか、…まあこれくらいにしておこう。とにかくドラゴンボールZ並にハチャメチャが押し寄せてきていた。主治医に「スーパーサイヤ人」と呼ばれていたのは偶然ではない。そろそろ話を戻そう。症状の組み合わせに過ぎないものをなぜ病気と呼ぶのか。それはまず、医者は病名を診断して、それに則って治療を行うというシステムがあるからである。つまり形式的な問題だ。二つ目の理由は、他の精神病と使う薬がかなり共通しているからである。そりゃそうだ。だって、症状しかとらえきれてないんだから。いや、症状だって、外側から見た様子が分かるだけで、心の中で何が起きているかなんて、当の本人ですらはっきりとはわからないのだから、他人がわかるはずがないのだ。(ところが、私はあらかじめ自己観察力=内観を鍛えていたので、かなりの程度で症状を観察・分析できるし、記憶もできる! それでこんな本を書くことになったのだ。)つまり対症療法しかできていないのが現在の精神医学の現状なのだ。どうせ、現れてくる症状に対して効果のある薬を処方するだけなので、統合失調症だろうが双極性障害だろうが強迫神経症だろうが、さほど関係ないのである。実際、診断を下す医者によって診断名が変わってしまうことも珍しくないようだ。だから、「統合失調症です」と言ってしまっても問題はないというわけだ。(もし「ガン」を間違えて「胃潰瘍」と診断してしまったら、治療法自体が全然違うものになってしまうので、その結果、患者の治療がうまくいかなかったりするということと比較してもらえるとよくわかると思う。)もうひとつ理由を付け加えるとするなら、人は名前をつけることでそれを把握したと勘違いし、安心するということもあるかもしれない。言葉というのは不思議なものだ。

☆陽性症状=天然覚せい剤
 陽性症状が出ることをこの業では「発症する」というが、発症時の統合失調症患者は、覚せい剤中毒者と外からでは区別がつかないと言われる。こういえば、その症状のやばさはある程度伝わるであろうが、そもそも薬物中毒者を見かけたことがない人がほとんどだろうから、少し具体的に症状を説明しておこう。これは私自身が語るよりもむしろ私の発症時に立ち会った家族や友達に語らせる方が適切かもしれないが、まあともかくやってみよう。実は一口に発症といっても、さまざまな相があったので、どの時点で発症したといえるのか判断が難しい。そこで、発症経験は2回あるのだが、そのうち、最初に発症したときに異常だったと思われることをなるべく初期段階から細かに描写していこうと思う。
 まず一回目の発症時は、覚えている限りでは、mixiでむちゃくちゃな文章(全く体裁の整っていない、支離滅裂な言葉の羅列)を長時間、連続で20個から30個ほどアップしたということがあった。原因は恐らく言葉の持つ「音」自体に意味を見出すということをやり過ぎたことだと思われる(だから、店長が天頂となってしまった!)が、そのようにし過ぎた原因はと聞かれると、もう答えようがない。ストレスによる、といえばおさまりはよいが、ストレスというものは本体があるようでないから、原因たる資格はあまりないだろう。なんでもかんでもストレスのせいにできてしまうのだから。それなら「運命」だといったほうがまだおさまりがよい。さて、読者の諸君はそろそろ気づいたと思うが、私はこういう風に、中心の話題に少しでも関係があって、しかもそれが自分にとって重要だと思うときには、話の筋を無視して別の話を展開してしまう癖がある。だが、こういう書き方もありだと思っているので、ぜひついてきてほしい。さて、本筋は、発症時の具体的な事例だった。一度目の発症時、mixiで支離滅裂でかつ暴力的な文章をものすごいスピードで書き続けた後、徹夜で、所属していたある合唱団のオケ合わせをしに新宿へ向かった。だが、どうしても会場にたどり着けないのである。それほど変な、わかりにくい場所にあったわけではないはずだったのだが、もともと方向音痴な上に徹夜で脳機能が弱まっており、地図も読めなかった。内観としては、「今何をしようとしているのか」をすぐに忘れてしまうという感じだった。「会場の場所を知りたい」と思って地図のところまでいくのはいいが、地図の前に立って眺めているうちに、何のためにそこにいて何をすべきなのかを忘れてしまうのだ。統合失調症はかつて早発性痴呆とも呼ばれていたことがあったが、恐らくこのときの私と似たような症状の患者が大勢いたのだろうと推測される。会場を(という意識もおぼろげだったのだが、とにかく、それを)求めて、夜の新宿をさまよっているうちに、服屋の前に首から上のないマネキンがたくさん立ち並んでいるのを見て、私は突如として絶望感に襲われた。
「この世の中はもう終わっている」
 どうして首なしマネキン群を見てそのように感じたのか、上手く説明できないが、とにかく私はその瞬間もうすべてを諦めてしまった。生きる希望が見出せなくなってしまった。「だって、もう首から下しかないんだから。」それは精神性の喪失ということの象徴だったのかもしれない。
 そんな心持ちでうろうろしていたら、女二人組に声をかけられた。ガールズバーが今サービスタイムで、1000円で飲み放題だというのだ。私はもうすべてがどうでもよくなっていたし、1000円で飲み放題は破格なので、ノコノコついていった。地下にあるその店に到着してすぐに、私はヘンデルのメサイアの"All They That See Him"を我が歌の師匠が歌ったものをmp3プレイヤーで流しながら師と一緒に熱唱した。歌は褒められ、「パフォーマーの方ですか?」と聞かれた。話は前後するが、私は新宿へ「冒険」するために、「装備」を整えていた。はっきりいって相当奇抜な格好をしていた。また、「アイテム」も十分揃えてあった。フロイト・ニーチェ・シュタイナーの文庫本などである。本にはその著者の魂が宿っているというような発想で、守り神代わりに連れて来たのである。「冒険」「装備」「アイテム」という表現で察することができると思うが、私は、ゲームと現実の区別がつかなくなっていた。そのため、そのただのガールズバー(わたしはいまだにそこは「ただの」ガールズバーだったとは思えないのだが)はドラクエ3シリーズではおなじみのルイーダの酒場のようなものだと感じていた。そう、ドラクエ3をやったことのある人ならば分かるだろうが、冒険はルイーダの店で仲間を呼ぶことから始まるのだ。その知識をそのまま現実世界に適用した私は、友達がどんどんここにやってきて、「パーティー」を組んだら、冒険の旅(真の人生)が始まるのだろうと、わくわくしてしょうがなかった。そして勧められるままにビールを飲んだ。店長が紹介されたときもそれを「天頂」だと思い、つまり、ゲームマスターのようなものだと勘違いし、「そうか、ついに俺は試練を乗り越えて真実の世界へ入れることになったんだ」と喜び、そのテンチョウとかたく握手をかわした。何人かの女の子と喋ったが、彼女らはドラえもんの声真似をしたり、まるで昔からの友人が呼びかけるように私のことを「みやっち!」と呼んだりした。私は過去「みやっち」などと呼ばれた覚えはなかったのだが、「ひょっとしたらただ覚えていないだけなのかもしれない」と思い、忘れてしまっていたその人に謝罪する気持ちになりながら、ノスタルジーに浸っていた。彼女らは私を「三歳児みたい」と評価していたのだが、それがそのときの私の状態を端的に言い表していると思う。そして1000円飲み放題というのは言葉の綾で、飲み物の代金自体は別でかかるというシステムだったのだが、彼らも鬼ではなかったようで、10000円を超える前に店から出してもらえた。私が寝不足の上に泥酔して他の客に声をかけたりしていたので(もちろんルイーダの店なのだから仲間の候補であるはずの客に、である。)、単に手に負えなくなって店を追い出されただけなのかもしれない。
 ルイーダの店に入っておきながら仲間を得られなかった私は、一人で新宿というラストダンジョンみたいなところをゆかなければいけなくなった。(後に私はこの「しんじゅく」のことを、真に熟した土地「真熟」と呼ぶことになる。)周りは敵だらけに見えた。具体的に見える周りの人間が敵に見えるというわけではなく、見えない敵に囲まれているような、悪の居城の禍々しい雰囲気の中で悪の波動にさらされるような感じだった。(子供の頃にドラクエ3をやって洞窟のBGMを最初に聞いたときの印象を思い出してもらえるとわかりやすいかもしれない。)とにかく、怖かった。自分がどこにいるのか、どこへ向かえば自宅に帰れるのかも分からず、奇天烈な格好で途方に暮れてそこらをうろうろしていた。外でも色々なことがあった。すべてを挙げられる自信はないが、あった出来事を順番は気にせずに挙げていく。まず、とにかく帰りたいので、人にどうすれば帰られるかを聞いた。そしたら、なぜかブックオフに行けばいいというアドバイスをもらったので、ブックオフを探した。だが、ブックオフは見つからなかった。(そもそも私が自宅への道を聞いているつもりで本屋への道を聞いてしまっていたのかもしれない。)ブックオフは諦め、LAWSONに入ったりした。LAWSON=法の息子なので、安全だと思ったのだ。だが、もちろん特に何の効果もなくローソンを後にし、こんどはまた別の怪しい飲み屋に入った。そこで「お金がないんです」と言ったら、当然ながら、追い出された。そう、順番が前後してしまうが、私はかばんをなくしてしまっていたのだ。後に分かったのだが、ラーメン屋のトイレに置き去りにしてしまっていたらしい。そのラーメン屋でも、注文もせずに勝手に席に座り、横の人に話しかけたりした。その人の嫌そうな表情といったら、視力0.01の裸眼でもはっきりと見て取れた。万事窮す、と気づいた私は、交番へ行くことにした。だが、交番への道が分からない。そこで、後輩に電話をして、交番までナビゲートしてもらった、私は裸眼だった上に、通常の認知能力が極端に落ちていたため、ナビゲートも楽ではなさそうだった。しかしそのナビゲートのお陰で最終的に自宅へとたどりつくことができたのだから、彼がいなかったらと思うと今でも恐ろしい。なんとか交番に辿りついたはいいが、「かばんがなくなってしまったんです」と言った私に対して警官は、険しい顔をして「代金は払ったんですか?」と聞いて来た。私はかばんを盗まれてお金がなく困っているということを言っているのに、私は盗人扱いされた。そのときの警官の嫌らしさと私の絶望感といったら、筆舌に尽くし難いものがあった。ところが、奥にいた(たぶん)えらい人が、「そこの坂道をのぼって行けば帰れるよ」と教えてくれた。この人からは負の波動は感じ取れなかった。非常に中立的な人のように感じた。その助言にすがり、私は疲弊しきった身体に鞭打ってひたすら歩き続けた。途中でまた道がわからなくなり、コンビニで道を聞いたが、私の聞き方があまりに悲壮に満ちていたためか、店員も当惑し、おそるおそる、しかし丁寧に、道を教えてくれた。私はとにかく「すみません」を連発していた。真熟でのこの苦難は、私の傲慢な心に対する懲罰だと認識していたからだ。なんとか自宅に辿りついたはいいが、なにしろかばんがないので、鍵を持っておらず、家の中には入れなかった。合鍵を持っているそのときの彼女とケータイで連絡がとれたので、こちらへ来てもらうことになった。その間、近くのコンビニで時間をつぶしていたのだが、雑誌の絵が歪んで見えたり(しかしそれが真実の姿だという認識だった)、鏡で見る自分の顔つきが明らかにいつもと違ったりした。店員がNPC(ノンプレイヤーキャラクター)に見えたりもした。8時頃になって彼女がやってきて、鍵とお金をもらい、やっと部屋の中に入ることができた。さて、その後の話に移る前に、もうひとつ、書き忘れた真熟での不思議な体験について少し述べておこう。新宿をさまよっていた私の元に手招きをする者がいた。私は何も考えずについていった。すると、ホームレスが地下鉄の入り口の階段のところで寝そべっていた。その人はそれを指差すと、すぐにどこかへ去ってしまった。これは一体なんだったのだろう。今は、「こういう人間がいるのだということを知れ」というメッセージだったのだと解釈している。
 さて、家の中についた私は、今度は逆に、ものすごい安心感に包まれた。そして、「創意工夫」が始まった。まず真熟をともに歩いた「戦友」である装備品。これを、椅子にきれいに配置してひとつのオブジェとした。それから、部屋を大改造した。さまざまなアイテムを、工夫をもって配置し、いくつものオブジェを作った。要するに、その時点で自覚していたのだが、物を単なるモノとしてとらえるということをせず、すべてのものを象徴的に解釈していたのだ。私はその部屋で自分を神のように感じ、オブジェの配置を変更したり、意識上で念じたりすることによって、世界を動かしていた。テレビはその操作に対するフィードバック装置として機能した。私の意志が、テレビによる報道とぴったりマッチしたのだ。「ほら、やっぱりね」という風に。このときではないが、以前、地下鉄が止まったときに、それを自分の為した業だと思ったこともあった。つねづね、自分のからだと向き合うことを重要視し、現代人は自分のからだを置き去りにしてしまっていると批判していたので、その思いが天に届いたのだと思ったのだ。自分のからだを使って歩け、と。これと同じように、テレビの内容と自分の思考内容の調和感は、「後づけ」によるものだと思う。起こった出来事に対して、自分の考えを後づけで改ざんしてしまう。心理学の見地によれば、統合失調症患者は時間知覚に異常があるとのことだが、その辺りとも関係しているのだろう。つまり、あることが起こった後にそのことについて考えたはずなのに、時間の順序が逆転して、そのことを考えたことによってそのことが起こったかのような錯覚に陥るのだ。何か人に言われたときに「そんなこと最初から分かってたよ」と思う、という経験をしたことは誰でもあると思う。けれど、思慮深い人は、「最初から分かっていた」という感覚を疑う。そもそも分かっているとはどういうことなのかを熟慮するからだ。言われてみて初めて気づくようなことは、分かっていたとは言えない。思慮深い人はそう考える。この思慮深さが極端に失われた状態が、私の置かれていた状態だった。認知機能の異常。平たく言うと、バグである。脳=コンピュータというパラダイムの下では、脳という精密コンピュータにバグが生じているのが精神病であるといってよい。エラーではなく、バグである。エラーなら誰でもするが、システムに深刻な被害を及ぼすことは少ない。(深刻なエラーという言い回しもあるが…)それに対し、我々は、修復不可能なバグを抱えてしまっているのである。バグってしまったゲームなどを思い返してみれば分かる通り、ふつうにプレイできるところもたくさんあるのである。ところが、ある操作やイベントが生じると、突然、誤作動を起こす。そういう目でいわゆる気違いを観察してみるとよい。きっと、バグったコンピュータに見えてくるはずだ。…閑話休題。場面は、私が新宿からやっとこさ帰宅したところだった。創意工夫に満ちたデコレーションが繰り広げられた。テレビは私が意識上で行ったことが下界にどのように影響しているかを教えてくれるフィードバック装置だった。そんな感じで、私は徹夜でずっと「遊んで」いた。その遊びは、遊びであると同時に、仕事でもあった。私は自分の双肩に日本の、ひいては世界の行く末がかかっていると思っていた。そのために、遊んでいたのだ。そうこうしているうちに、彼女がうちへやってきた。どんなやりとりをしたのかは覚えていないが、冷えたコンビニのカレーが異常においしく感じられたのは生々しく覚えている。彼女は一晩泊まって行き、朝に仕事に出かけて行った。そのときの彼女の着替える姿が神々しく映ったことを今でも鮮明に思い出すことができる。ひとりに戻って、また私は遊んだ。意識の連続性というものがなく、自分の意識を取り戻すたびに違う場所・状態にあった。それでも私は次々と創意工夫を凝らして遊んだ。これほど楽しい気分になったことは今までになかったのだった。幻覚も見た。ものとものの間にピンク色のスライムみたいなものがくっついていて、「ああ、これがものとものの間を取り持って、関係性を作っているのか」と納得した。実際にはたまたま紅ショウガかなんかが落ちていただけなのか、それとも本当に真実を見ていたのかは私には断定できない。時間はゆっくり過ぎて行くようでいて、あっという間に夜になったらしく、心配した母親と妹が私の部屋を訪ねてきた。ところが、私は何を血迷ったか、「母は入って来ていいけれど、その人(妹)は無理」と言ったのである。当時の自分の心の中を思い出してみるに、何か圧倒的な気配が妹から感じられたのである。「こわい」と思った。これも、未だに理由が分からないことのひとつである。母はなんとか妹も中へ入れさせるよう私を説得した。いったん家に入ると、特に妹に対する拒否感や恐怖はなくなっていた。私は自分の為した「発見」(世界はこういう具合にできている!)を、興奮気味に二人に説いた。このあたりで、私の記憶は断片的にしか残っていない。一人だけ宇宙から抜けて、まるで古畑任三郎の事件解決シーンのようなノリで解説をしたり、母親たちはもう実家へ帰ろうというのに一人でドラクエのおもちゃの盾と剣を「装備」したり、マフラーを何重にも巻いたり、視力がよくなる穴がたくさん空いた眼鏡をかけてみたりして、「冒険」の準備に余念がなかった。とにかく、私はゲームの世界に入ってしまっていた。世の中を、「仲間」「アイテム」「装備」「ダンジョン」「ボス」「戦闘」…などという枠組みでしか捉えられなかった。私の様子を聞きつけて、夜中に弟が急いで迎えに来た。ぐずぐずする私を無理矢理車に乗せて、実家へと向かった。車の中では、私は純粋な思考存在として、他の思考存在と交流・戦闘していた。統合失調症のよくある症状のひとつとして、「アイデアを他人に盗まれる」というものがあるが、まさにそんな感じで、思いついたことがサッとどこかへ行ってしまうのである。この現象をもってして「盗まれた」と表現するのは致し方ないことだと思う。他に表現のしようがない。ふつうの人は、考えや思い自体は目に見えないし触れもしないのだから、口に出さない限り盗まれるわけがない。そう考えるだろう。だが、目に見えなくて触れないものだって、口にださなくったって、盗むことはできるかもしれないじゃないか。統合失調症全般に成り立つかどうかはわからないが、私の場合は、心はみなつながっているというような感覚だった。どういう姿勢で車にのっていたかというと、片足を助手席に突き出し、もう片足を左に座っている妹の方へ突き出し、ぐでーんとしていた。これから始まる「ゲーム」のタイトルで悩んでいたりした。神様になったような気分だった。実は、私は、「神は自らの作ったゲームをクリアし、自分を倒しに来てくれる勇者を待ち望んでいる」という思想を持っており、そのため、そのときの私は神と同格に、いや、新たな神へと生まれ変わっていたのだ。
 実家に帰ってからも私は眠ることができず、(そもそも寝ようとせず、)症状はどんどん悪化していった。このときの私のかすかな意識では、とにかくエンディングにつながるルートがあるはずで、それさえクリアしてしまえばもうゲームは終わるのだという風に考えていた。
 結局、家族たちの手に負えず、大きな病院の閉鎖病棟に入院することになった。以上が(私の場合の)統合失調症の陽性症状の雰囲気である。

 さて、このような陽性症状が前面に出て来てしまうと、「人様に迷惑をかける」ので、強制的に入院ということになる。(逆に、人に迷惑をかけない限り、強制入院などということはあり得ないと思う。)私は「個室」と呼ばれる、まるで牢屋のような、トイレと布団しかないシンプルな狭い部屋にしばらく閉じ込められたのだが、こんなこと、誰も経験したくあるまい。そこで、陽性症状に陥らない(=発症しない)ためにどういう対策が可能かを述べよう。
 まずは睡眠時間の確保である。私は計2回発症したが、どちらもずっと眠れないでいた。徹夜が3日続くようなら、そして眠れていないにもかかわらず調子が「よい」と感じるようならば、マイク・タイソンにぶん殴ってもらってでも寝た方がよい。眠気が吹き飛んでいわゆるハイな状態になると、楽しくてしょうがないので、とても今から寝ようだなんて発想は思い浮かばない。だから、これに関しては、一度痛い目を見た人向けのアドバイスということになる。きちんと眠れていさえすれば9割方安心してよいと思う。
 次に、最も重要なことを言う。それは「調子にのらないこと」である。統合失調症の発症時の人を冷静に観察していると、「おれはなんでもできる!」みたいな気分がこちらにも伝わってくるほど調子に乗っているのだ。調子がいいのは決して悪いことではない。むしろ、ある程度調子に乗らないと、大きな仕事はできないだろう。紙一重なのだ。天才と。発症時の直前が最も調子に乗っているのだが、このときは実際に言語能力が顕著に上がったり、よいアイデアがつぎつぎと湧いて来たり、おそらく運動能力も上がっている。この病気の残酷なところは、発症の直前までは絶好調だということである。治療では発症を予防することになるので、つまり、好調になるのを妨げることになるのだ。本当に残酷だと思いませんか? 私は「アナと雪の女王」の"Let it Go"が流れるシーンで、今まで押えつけられていたパワーを解放し、本当の自分を取り戻したエルザに非常に共感したものだが、本来の自分を出せないというのはかくもつらいことなのである。ではどう折り合いをつけようか。調子に乗らないとやることなすことはかどらない。調子に乗りすぎると発症して病院へ逆戻り。私は、とにかく自己観察能力を直接鍛えることと、間接的な自己観察手段を工夫することだと思う。発症の兆候は人によって違うと思うが、それを見極める。私の場合、発症の兆候として、特有の思考形式が優位になり、また、きちんと日課をこなさなくなるということがある。特定の思考形式というのは、ざっくり言うと哲学的思考で、独我論寄りの考えである。自分という存在に価値を置き過ぎるような傾向が見られたら要注意。日課をこなさなくなるというのは、たとえば大学の授業を休んだりするということである。社会のリズムから外れるのは最も簡単な自殺行為である。これら直接的・間接的観察を駆使して、発症を自分で予防することができれば、薬の量を減らすことができるので、能力の低下も防ぐことができ、「台無しになったはずの」人生にも再び色づいてくる。
 いわゆる常識を盲信するというのも手である。意図的に盲信するというのは矛盾した表現だが、できなくもないのである。思考回路はある程度意図的に制御できるからだ。奇抜な発想がたくさん湧いて来たら要注意。常識的に考えたらどう判断するのかを、常に問い直す習慣づけが必要である。心の中に天使と悪魔がいるというのはよくある比喩だが、そこにぜひ「常識人」もぜひ付け加えていただきたい。
 それから、運動不足の人は、一度運動を試してみるとよい。なるべく激しい運動が好ましく、私のおすすめは50mくらいの短距離を全力で泳ぐことである。これをすると、からだのホメオスタシスが乱れ、再び回復するというプロセスが生じる。これが、悪い回路に入り込んでしまった自分を救い出してくれる。どちらかというと陰性症状への対策なのだが、激しい有酸素運動は、ドーパミンなどの神経伝達物質のバランスを整えてくれるというデータが出ているので、やって損はあるまい。
 最後に、陽性症状に傾きそうだと思ったら、大好きなファンタジーやオカルトの世界からはいったん身を引くことである。それよりも、学問に興じたり、友達と世間話をする時間を増やすことだ。「ふつうの人」っぽく振る舞うということである。現世的、俗物的な欲望を優位にすること。あの世的、理想的な思考やイメージングは避けること。
 以上が、陽性症状を防ぐための方法である。

☆陰性症状
 統合失調症といえば、「ピーヒャラピーヒャラ・パッパパラパ」状態になってしまう(これを陽性症状という)というのがよくあるイメージだが、実は裏に、(個人的にはもっと恐ろしいんじゃないかと思われる)陰性症状というのがある。元気が出ない、頭が働かない、考えがまとまらない、生きた心地がしない、など。緩慢な死、というのがぴったりな表現だと思う。つまり、一応身の回りのことはこなせるし、周りからみても気違いだとは思われないのだが、自分の中ではもう人生オワタ状態なのである。モチベーションが湧かず、未来に展望が持てない。だから、何のために生きているのか分からない。しかも頭の回転が鈍っているので、本来の仕事の十分の一もできない。「私はこんなはずじゃない」という思いがだんだん自分の心を蝕んでいく。そのフラストレーションがさらに陰性症状を強め…という連鎖反応が起こってしまうのだ。これを「蟻地獄」と表現したい。蟻地獄の砂流は強すぎて、大きさの割には力持ちの蟻といえども太刀打ちはできないのだ。もがいても、もがいても、流されるままなのだ。何かのきっかけで外側に出られたとしても、いつの間にかまた流れに負けてもがき苦しむ自分に気づく。同じことの繰り返しである。私の場合、カフェインをとると一時的にドーパミンの量が増えるらしく、「まとも」あるいは「ふつう」の状態に戻ることができる。そのときになって初めて、今まで「酸素を吸えていなかった」ことに気づく。健康の大切さは不健康になって初めて知る、という言葉があるが、似たようなことで、酸素を吸うという普段当たり前にできていることができない状態にあると、たまたま酸素を吸えたときに、酸素を吸うということがなんと重要なことなのだ、と理解する。だから、我々精神病患者は、「迷い」にあるのではない。「溺れて」いるのだ。気分が落ち込んでいる人に、「気持ちを切り替えよう」とアドバイスするのはふつうのことだが、それが効くのは、「迷い」に過ぎないからだ。我々は「溺れて」いるので、救助してもらわねばならない。helplessなのだ。そういえば、病気をするということをsufferというが、suffocateという似た形の言葉があり、こちらの意味は、「呼吸ができなくなる」だ。我々は息ができないで苦しんでおり、それは水の中にいるせいなのである。泳げない人が溺れているのに向かって、「がんばれ」というのは酷であろう。だが、水の中にいる限り、溺れ続けるのである。彼らに対してできるのは、救助するか、泳ぎ方を教えるくらいしかないだろう。もしくは、運良く地上に這い上がったときに、二度と水には近づかないように忠告することも重要かもしれない。比喩を乱用してしまったかもしれないが、統合失調症の陰性症状、あるいは鬱病などの症状は、そういう種類のものである。繰り返すが、「酸素が吸えない」(=当たり前のことができない)のである。精神疾患を抱えて気分が落ち込んでいる人に対するときは、このことを念頭に入れておいていただきたい。
 現在私が色々試して得た見識としては、長時間睡眠が続いてしまったら多量のカフェインをとると「息ができるようになる」(=ふつうの頭になる)。これには何度も助けられている。あと、運動もたまにやるとものすごい効果を発揮したりする。激しい運動の方がホメオスタシスを乱されて効果が大きいようだ。ほどよい疲労感で、気持ちよく眠れる。(とにかくこの病気の最大のポイントは睡眠にあるということを忘れてはならない。)正直、ピンチのときはこの二つくらいしか手持ちの駒がないというのが私の状況であるが、駒がひとつもない人もいるだろうから、運が良かったのかもしれない。以上2つが、陰性症状から抜け出せなくなった場合の緊急の対策法である。
 次に、もっと軽い陰性症状について考える。どうもやる気が出ないが、やろうと思えばできるくらいの頭の働きは確保されている。なんだか気分がもやもやしてすぐれないが、つらいというほどでもない。これくらいの状態なら、なんとか生きてゆけるのだが、危険なのは、放っておくとまた蟻地獄に捕まってしまうことである。これを繰り返している患者が多いのではなかろうか。この本では、軽い陰性症状から脱して定常的な健康さを取り戻すことを目指す。実は私自身も模索中なのであるが、今のところ得た知見を、これから述べて行きたいと思う。
 まず、この病気は冒頭でも触れた通り、実体のない(人によって全然症状が違う。したがって、ひとつの病気としてくくれない)病気なので、自分自身で病気を観察・研究する必要がある。手っ取り早いのは日記である。睡眠時間は必ず記録し、病気に関わること一切をメモしておく。それを後で見直すことで、いつも自分が陥りがちな悪いパターンを知ることができるし、病院での診察の際にも役に立つ。まずは記録から。これが一つ目である。
 次に、適度な運動をすることである。運動はドーパミンなどの神経伝達物質(脳機能を司る物質)のバランスを整える効果があることが実験で証明されている。週1でプールに行くだけでも違ってくるだろう。(私もつい最近プールをさぼっていたらまた悪い状態へ戻りそうな気配がしている。そろそろ行かねば…。)
 また、統合失調症の患者みんなに言えるかどうかは分からないが、何事も「やりすぎない」「やりまくらない」ということが重要だと思う。入院中にも感じたが、統合失調症の人はとにかく極端な人が多い。ある異性を好きになると一日中そのことばかり考えてしまい、ふられても何年も引きずってしまうというような事例もあった。詳しくは言えないが、私にも心当たりがある。陽性症状の説明のときに「調子にのらない」ことが大事だと述べたが、それもひっくるめて、「暴走しない」という表現も適切かもしれない。人間のからだは勝手にバランスをとってくれるように設計されているが、あまりにバランスが崩れると、システムに異常をきたしてしまうようなのである。それが精神の病ということなのだと思う。
 最後に、「気楽にやろう」という気分を育てることである。これが最重要かもしれない。完璧を目指したり、理想を追い求めるのもよいことだが、基本的なスタンスとして、「気楽」を取り入れてみてはどうだろうか? 「ああしなきゃ、こうしなきゃ」という考えが頭をよぎるたびに、それにストップをかける。「本当にしなきゃいけないことなの? 明日でもいいんじゃないの?」と。そして、「やりたいことをやる」。私の場合、ほとんどすべてが義務感によって為されていたので、ストレスで頭がどうにかなりそうだったのだが、「夏休みなんだから気楽に遊べばいいじゃん」という思考が芽生えた瞬間、一気に肩の荷がおりて、楽になった。その途端に、皮肉なことに、勉強意欲も湧いて来たのである。やりたくないことをやらなくてはならないということもたまにはある。だが、いつもそのような義務感で動いていては、脳も心も参ってしまうのだ。義務感で動く習慣が染み付いてしまうと、自分が本当にやりたいことが何なのかを見失ってしまう。これほど恐ろしいことはない。一度しかない人生なのだから、本当にやりたいことをやるべきなのに、それが何なのかわからなくなってしまうなんて。とにかく、自分自身と向き合ってみよう。落ち着いて、何をしたいのか、何をすべきなのかを考える時間を持とう。一人では難しいのなら、信頼できる友達や家族に手伝ってもらって、現状把握と未来の計画を立てよう。あなたは統合失調症という厄介な病気にかかってしまった不運な人なのだから、周りの健常者はそれを助けなければならないし、助けたいと思っているはずだ。それが人間の社会というものだ。そうあるべきだ。

☆おわりに
 なんだか克服法というよりは自分の体験談の方が長くなってしまったが、それもいいだろう。題名は「いかにして統合失調症を克服するか〜第一部」としておく。(書き始めの頃は「第一部」というのはなかった。) 本当に人生をめちゃくちゃにしてくれる最悪な病気であるということに関してはみな同じ意見だと思う。Amebaで作った私のブログやグルっぽも参考にしていただきたい。(「似非天使Ruzifer」で検索すれば出てくるはずである。)同じ病気を抱えてしまった者同士、協力し合って生きていこうではないか。こんな本を書いている今も、私はこの病気と戦い続けている。なにしろ、ふつうの人と違って、日によって全く状態が異なってしまうからだ。それらにいちいち対処しなければならず、正直うんざりしている。だが、なってしまったからにはしょうがないというものだ。次回作では、もっと「使える」テクニックをたくさん提示できたらと思っている。それではまた。

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