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「ダサい」の意味

「ダサい」とはなんでしょうか。

先日、職場にスカートを裏表逆に履いて行ってしまい
縫い目と品質表示タグが思い切り腰に付いてるのを見て
「ださ!!」と思ったばかりです。

今日は「鈍臭い」という意味の「ダサい」ではなく
ファッションに対して使われる「ダサい」について
語りたいなと思います。

「ダサい」を恥じていた頃

「今日の服、ダサいね!」
と、小学生の時よく言われました。

当時、私は服に興味がなく、母がイトーヨーカドーで買ってくれた黄銅色のサロペットに
長い前髪は頭のてっぺんで結ぶチョンマゲスタイルで学校に通っていました。

一方で小学校5年生くらいになれば周りのオシャレな子はブランド物を着ていたり、ファッション雑誌を購読してたりで、ポケモンとどうぶつの森しか興味のなかった私とは大違い。

「そのサロペット、土みたいな色だね」
「ドットとストライプを合わせるなんてセンスないね」

ダサいと言われたくない、陰で笑われたくないという思いがファッションを勉強するきっかけになりました。

ダサいね、と言われることを繰り返しながら
何がおしゃれなのかを探るために雑誌を読み漁り、
行こうとも思わなかったアパレルショップに通いつめ、
6年生になる頃には自分の好きなファッションの系統が完成されていました。

ちなみに当時好きだったブランドは
ピンクラテとLovetoxicでした。

その当時は服が好きというよりも、
雑誌に載っているという特別感と、
イトーヨーカドーではない、流行りのブランドの服だ!
という優越感を楽しんでいたように思います。

でも、今思い返すと母が選んだ黄銅色のサロペットは決してダサい訳ではなかったのだと思います。
ドットとストライプの組み合わせだって、
多少は視界が派手になるかもしれないけれど
原宿系のコーディネートみたいで素敵だなと思います。

ただ単に、母のセンスと小学校5年生のセンスの嗜好が合わなかっただけなんだろうなぁ、と。

そう考えたとき、思いました。

「ダサい」ってなんだろう

例えばSNSである人のファッションの投稿がバズった時
「この服にこのスカートはダサい」など
批判のコメントが付くことがあります。

一方でそれと同時に「かわいい!おしゃれ!」というコメントもついています。

「ダサい」とは見ている人それぞれの主観でしかないということに私は気付きました。
「流行りでない」というトレンド感を意識した意味も込められているかもしれませんが、
ほとんどの場合、「自分の好みでは無い」「自分とは違う」、という意味で使われているように思います。

「おしゃれになる方法!」など書かれた本や
可愛くて綺麗なモデルさんが美しく服を着こなしているファッション雑誌を見ると
あたかも正解があるように錯覚してしまいますが、
私はファッションに正解はないと思っています。

誰かに「ダサい」と言われたらまるで自分のファッションが「間違っている」かのように思えますが、
その言葉の意味するところは、
ただその人の好みでなかった、その人の想像の範囲を超えたものであっただけなのです。

人間は理解できないもの遭遇した時、
興味がわくタイプと、嫌悪や否定をするタイプの2種類の反応があるそうです。

人のファッションを頼んでもいないのに勝手に「ダサい」と評価してくる人は大抵後者ではないでしょうか。

ネットであれこれ言う人に関しては、
そこに「妬み」も入るように思えます。

私はファッションはアートのようなものだと思っています。
威厳のある美術館に飾られていたり、
何億円もの価値がついている絵画だって、
理解できないものや、魅力的に感じないものだってあるはず。

「ダサい」という刺のある言葉は「自分の趣味じゃない」
に置き換えるだけで、なんだか納得出来る気持ちになります。

例えば私はオムライスが大好きですが、
「世界で一番オムライスが嫌い」と言う人が居ても、「自分の存在を否定された!」とは思いません。

その人が悪意を持っていてもいなくても
受け取り手である私は「好き嫌いは誰にでもあるから仕方ないね」で片付けられます。

これは服にも同じことが言えるのではないでしょうか。

もしあなたが友人に「その服似合ってないよ」
「ダサいよ」「可愛くない」と言われたとしても
その人の主観でしかありません。
この人の好みじゃないんだなぁ、と受け流してみましょう。

知らない人の言葉なら尚更です。
それがリアルであってもSNSであっても。

あなたの思う「可愛い」が一番あなたを魅力的に見せてくれます。
ファッションは自由で、いつだってなりたい自分になれます。

大好きなオムライスを食べている時、「ものすごく幸せそうだね」と言われたことがあります。

大好きなファッションを着ている時もきっと、
そんなふうに思ってくれる人もいるでしょう。

出会い頭にギョッとされても、
すれ違った後にクスクス笑われても、
私が好きな服で、幸せな気持ちで居られるなら、それが正解なのです。


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