見出し画像

急に食べたくなったのでこれからエアー月見そばを食します。

どんな月見そばが食べたいか、どんなふうに食べたいか、どんなふうに味わうか、ただそれだけをぼんやりつらつら書いていたら1000文字を超え
面白くなってしまったのでここに投稿します。ざっかけない気安いたぐいのそばです。

関東のほうのサービスエリアでワンコインで売ってるようなそばです。茹で置きの灰色の麺が真っ黒なめんつゆに浸かっていて一掴みの刻み葱が散っているような、
暗い色味のどんぶりの中で落とし卵が少し特別感を演出しているやつを欲しています。
ぽってり落とされた乳白色の白身の中央にはうっすら透けて見えるオレンジ色の黄身が盛り上がり、特有の段々フォルムをかたちづくります。
かけそばとは違うんだよ、と主張するような存在感です。50円から100円くらいの差額、卵がポトンと一つだけ、でも全然違うんだよ、と誇らしげです。ほう。では違いをみせていただこうじゃありませんか。

見るからに頑丈そうなふちの厚いどんぶりはやけに高温に温まり、もうもうと白い湯気が顔中撫でていくのを感じながら手元にひいて、
箸を割る前にまずパッパッと卓上の七味をかけちゃうのがここでの作法です。うそです。あえて言えば手前勝手流が唯一にして絶対のルール。

とん、とん、手首のスナップにつれて真っ黒ながらも透き通っていたつゆに粉が舞っては一瞬曇り、はらはらと沈んで鏡面を取り戻していきます。ピリッとかすかに辛さを増した湯気をむせないよう吸いこみながら
おもむろに割り箸を割って食べ始めます。
ずぞぞ……っ!と啜るとそりゃ熱い。大変に熱い。グラグラと沸かしたてのお湯かなんかぶっかけたのかと思うくらいもう熱くて熱くて味なんかわかんなくて、
鯉みたいに口をパクパクさせて咀嚼するのがこの場合の様式美というものです。恥じらいを思い出すことに成功したら口元を手で隠します。いまのところ、成功率はハーフ・ハーフといったものでしょうか。
ごくん、っとどうにか飲み込むと真っ先にしょっぱさが舌を刺激します。かつお出汁と醤油の最強タッグ、スッキリあっさり染みる味。

ふー、ふー、麺はくたくたと柔らかく、箸で手繰るとぶちんって千切れる感覚も交じります。熱いつゆで煮え始めた葱はしゃくさくとした食感がアクセントになっていて、
あんまり熱いから喉から食道を滑り落ちるのがわかるし、胃の中からどんどん体が温まっていくんです。
麺をつまむとき玉子は傷つけないようこまやかな配慮が必要です。乱暴にすると割れてしまった黄身が静かにつゆに広がってしまうから。じっくり時期を待つのです。

はふはふ麺を半分くらい食べたところで黄身を割って、大器晩成、ねっとり八分目くらいまで火の通った黄身の中央から、さらにサラサラした黄身が溶け出していくのを見守ります。
黒いつゆがみるみる濁って柔らかい黄色いトーンに染まっていくのを見ながら落とし玉子を半切れ食べて、ずず~って啜るとつゆは格段にまろやかに優しくなっています。
おいしいけれど先ほどまでの塩気に慣れた舌にはちょっと物足りない。再度七味を足して、ほどよく冷めためんつゆと麺を流し込むようにかき込んでラストスパート。
短く切れた麺まであらかたすくったところで残りの卵をつるんと飲んでフィニッシュです。

ごちそうさま、と食器を返しに行く間、どんぶりの底にわずかに残ったクリーム色のつゆの波間に葱と赤い唐辛子のかけらが見え隠れします。
汗のにじんだこめかみを拭い、さて冷たいお茶かコーヒーか、飲み物を求めてフードエリアを出ていく頃にはさっぱりと余韻が消えています。
月見そばは胃にもたれたり舌に居残ることは決してしません。すうっと体に馴染んでいく食べ物です。

ちなみに、私はいま空腹でもなんでもないのです。
高級な美食とはいいがたいサービスエリアの月見そば、なにがこんなに心かき乱してくるんでしょう。