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最後の晩餐 雑炊の王様のこと

お鍋の王様は?と聞かれたらとても迷う。寄せ鍋、ちゃんこ、すきやき、しゃぶしゃぶ、海鮮、トマトスープ、キムチ、水炊き、豆乳、カレー……。どれも美味しい。それぞれの良さがあるし、〆をどうするかも総合評価に関わってくる。キムチ鍋なんてチーズを入れてキムチチーズリゾットで〆るなら3割増しで加点しちゃう。

では、雑炊の王様は?

それなら「ふぐ雑炊!」と即答できる。

ふぐ雑炊の美味しさは言葉でうまく説明できない。そもそもふぐの味自体、「よくわからないけど美味しい」の代表格だと思う。わかりやすい旨味はなくて、ただ、とにかく美味しい。てっさを初めて食べたとき、品のいい白身魚だなとは思ったけれど、淡白過ぎてそっけないような気がした。もちっコリッと歯ごたえがあり、その弾力を丹念に噛みしめてやっと、旨味の予感を漂わせて消えていく。飲み込む寸前が最高に美味しい。あるいは口の中に残る気配かな。
かの有名な美食家が言う通り、この捕まえられそうで捕まえられない味わいこそ良いんだろう。

『ふしぎなような話であるが、最高の美食はまったく味が分らぬ。しかし、そこに無量の魅力が潜んでいる。
 日本の食品中で、なにが一番美味であるかと問う人があるなら、私は言下に答えて、それはふぐではあるまいか、と言いたい。』(海にふぐ山にわらび/北大路魯山人)https://www.aozora.gr.jp/cards/001403/files/54946_48508.html

ふぐは天ぷらやてっちりになっても淡白さは変わらず、ただ火が通ることでほのかに甘い余韻──あくまでも余韻に過ぎず、確信を持てないのがなんともふぐらしいのだが──を教えてくれるようになる。ちなみに火を通したふぐの身なら唐揚げか天ぷらが好みだ。ふわふわに煮えたふぐは舌の上で繊維がほろほろとほぐれて良いけれど、ほとんど飲み物のようで一瞬で消えてしまってもったいない。かりっと揚げられたふぐは水分が飛んで弾力が増し、甘い余韻を少しだけ長く楽しむことができる。衣や油でコクも増すのかもしれない。ただ、ふぐ愛好家はノイズに感じるんだろうという気もする。

そのふぐの、「よくわからないけど美味しい」真骨頂が〆のふぐ雑炊。ふぐの身から骨からたっぷり出た出汁の中へご飯を入れ、卵でとじ、ぱらりとねぎを散らした雑炊は、文句のつけようもなく美味しい。やっぱりふぐは主張せず、でも、寄せ鍋などの雑炊ではありえない圧倒的スケールの美味しさ。とろっと半分とけたお米はするする喉を落ちていき、残るのはただ美味しいものを食べた満足感だけ。雲をつかむような天上の味。

そういえば、ふぐには味もないけれど臭みもない。
高級和牛などは胃腸の機能が衰えると脂がきついというけれど、きっと人生最期の食事だとしてもするするっとお代わりできるだろうな。

あぁ、雑炊のためにふぐが食べたい。