「それぐらいのこと」
寺地はるなさんの『水を縫う』を読んだ。
昔誰かに傷つけられたことによって、それを引きずって歩み出せない思いというのは、分からない人にとっては「それぐらい」かもしれない。
作中で娘の水青が子どもの頃に変質者によってスカートを切りつけらた経験によって、可愛らしい格好をすることが出来なくなる。
大人になってもそれは引きずっていて、ウェディングドレスもフリフリなものや、体のラインがピッタリしているものなどは着たがらない。
そして過去の出来事によって、傷つき引きずっていたのは水青だけでなく、祖母もだった。
昔家族でプールに行った際に、夫から「若くもない女が水着を着るのはみっともない」と言われ、一人寂しくプールサイドで待っていたら当の夫は「犬みたい」などと笑い、更に傷つけた。
この二つのエピソードを読み、私は胸の痛みとともに、怒りがわいた。そしてそう感じられた自分に安堵もした。
私はこの二つのエピソードに対して「それぐらい」とは思わなかった。
さつ子が母に「お父さんはお母さんの水着姿を他の人に見せたくなかったんじゃない?」的な発言をして慰めたような、別のポジティブな見方をする事もなかった。
この場合はどちらも、ポジティブな見方をしても傷つけられた方は慰められない。
開き直って、みっともなかろうと私だって泳ぎたいからとプールに入ることを押し通せば良かった。
おばあちゃんはそう自分で、言いたいことは言わなければいかなかったと反省する。
これも自分でそう思う分にはいいけれど、人がそうすれば良かったというのは違うと私は思う。
傷ついたことに対して、寄り添ったり共感したのちでないとポジティブな助言は刃になる。
この小説は私に改めて、そういった人には寄り添いたいなと思わせてくれた。
とても深く、良い小説だった。
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