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「熱狂」にザワつく

悪いアイツ(ら)を制裁しよう、制裁しよう。
正義のために戦おう、戦おう。
次から次へと、まるで、波に乗り遅れまいと縁を切っていく。

政治は、その国や地域に住む人々による。
為政者の愚行は、その人を選び、愚行を許してきた人々の責任によるところが大きい。
愚行を許した人々が世界から追い込まれるのは仕方ない…、かもしれない。
政治を人任せにしてはいけないと、痛感させられる。

一方で、制裁と争いの苦しみを、愚行を犯した指導者のいる国の人々にどこまで強いるのかと考える。
世界から疎外され、冷たい目を向けられ続ける人々の心には何が生まれるだろうか。
不安定な生活と自省を強いる日々が長引けば、新たな禍根を生むのではないか。

どう考えても、対話を投げ出し、武力を先に使った方が悪い。
その行為に世界が一丸となって「NO!」を突き付けることは必要だ。

(第二次世界大戦後、その反省から国際連合ができた後だって何度も何度も武力は行使されてきた。大概は争いの裏に大国と大国の思惑がある。わたしはこれまで、どれだけの「NO!」を突き付けてこれただろうか。)

北海道沖でロシアのヘリが領空侵犯し、自衛隊機が緊急発進した。
「ロシアが攻めてくるの?ウクライナみたいになるの?」
と、子どもに問われる。
「大丈夫だよ」というものの、不安はゼロではない。

世界が熱くなっている。
なんとか、この争いを止めようと世界中で必死に叫ぶ。
一方で、「熱狂」的になるほど、必死な思いに便乗するなにかを感じる。

「国民は勇敢にも武器を取り、国を守るために戦っている!」
この鼓舞は正しいのか…
敵はなんなのか…

「熱狂」は、大事だったなにかを変質させていく。
これまでも、何度も、「熱狂」は時に作り出され、利用されてきた。
これしかない、これが正しいと思う時ほど、歴史を紐解きたい。
「熱狂」に流されていはいけないと、すでに心がザワザワし始めている。


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