フルハート 何かができるからではなく自分が肯定された瞬間
心が包まれた感覚
ずっと探していた感覚は「フルハート」
自分と向き合ってきてやっとここまでたどり着いた。
今・・・心のコップになみなみと注がれている。
いや、ちょっと違うな。湧いて出てくるような感じで枯れることがない
温かいもので満たされている感じ。記憶しているなかでこんなにも心が穏やかに包まれた感覚を味わったことはない。
笑顔の選択
私はただ、笑っていただけ。
ただ・・・と書いたが「笑っている」ことは意識をしていた。
どっちかを選択しなければならない時に笑顔になれる方を選んだ。
何でもないちょっとしたことを何でもネタに変えた。
そうしたら「笑っている顔を見ていて元気をもらえた」という存在承認。
「守らなきゃって思っていたけれど、実は支えられているのは自分だった」
その言葉に心の奥でふわっと何かがはじけて自然と涙がこぼれた。
何かができるとかできないとかそんなことは関係なくて存在そのものを認められた感じ。
頑張るという選択
認められたことが、飛び上がるほど嬉しいのは自分の傷がそこにあるから・・・
たぶん私は子どもの頃から、父親に認めてもらいという感情があった。
父は絶対に頑張っているなとは言ってくれない。
でも、何かができるようになることが唯一認めてもらえる方法だとして、頑張ってきたんだよね。
でも、その『頑張る』に終わりはなかった。
「頑張る」から「笑顔」へ
現在は相手の行動や感情をコントロールすることはできないことが腑に落ちている。
自分の意見は伝えるけれどもその通りに相手は動くかどうかはまた別の問題。
だから自分の承認欲求を満たすために役に立つ自分になるのはちょっと違う。決して「ありがとう」を言ってもらいたいからやっているわけではないからだ。
今の基準は損得感情ではなく、私自身が本当にそれをやりたいのか・・・またはその人を応援したいと思っているのか・・・そんな基準を満たすかどうか。良い人ぶるのはやめた。
自分がより笑顔になれる方を選べるようになってきた。
そこに至るまではやはり自分という人間がどういう傷を持っていて、何が好きで何が不得意でどんな特性を持っているのか観察する必要があった。
なぜかというと自分を偽ることがデフォルトになっていたから。
自分さえ我慢すれば丸く収まるという理由で自分の意見を飲み込んでいた。
そうすると決まってのどが痛くなっていた。
結局、どんな選択をするのかは自分が決めていたということ。
そういえば・・・最近、あののどの痛みを感じていないな・・・
自分を使って実験中
ここ数年、全ての「問題だ」と言われることは夫婦関係が良ければ、その問題は消えていくのではないかという仮説の元、自分を使ってどんな結果が出てくるのかいろいろ試している。
自分の心を常にラットに保っていたらどんなことが起こるんだろう・・・
毎日、小さなことに感謝し続けたらどんなことが起こるんだろう・・・
ないものを数えるのをやめて在るものを数えたらどんなことが起こるんだろう・・・
などなど・・・
今回はまさにそうやって試していたことの一つ。
今のところ確実に心は穏やかで毎日、幸せだと感じられている。
これが全ての問題解決につながるのか引き続き実験をしていく。
最後まで読んでくださりありがとうございます♪
画像はインスピレーション(魔法のしつもん)カード
カードを引いて魔法のしつもんを投げかけるセッションによって
その時に自分の潜在意識で感じていることが言葉となって出てきます
答えはいつだって自分の中にある
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