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2月1日

息子がひとりいます。
あたしが27歳の時に生まれて来てくれました。
人生における出来事には、ひとつひとつ自分自身へのメッセージが込められている神様からの贈り物だと思っています。
その中でもとりわけすてきなプレゼントが、息子の誕生です。

これは、出産したときに感じた「うまれてきてくれてありがとう」ということだけではありません。
もっともっとすごく豊かな「あたしのところにきてくれてほんとうにうれしい」という思いです。
それは、存在としての感謝であり、息子がいてくれるからこそ感じる豊かさへの感謝です。

あたしが我が子のためにしてあげたことは、おなかいっぱいの手料理を用意することと、安心して眠れる部屋を用意したこと。
あとは、強いて言えばお金を出してあげたことくらいでしょうか。
世の中のお母さんたちをみて、
ああ、みんな優しいな、あたしはダメだな。
いろいろ足りてないな。
って思うことは多かった。
でも、
一緒に生活して、楽しく語ってゲラゲラ笑って、嬉しかったことをわかちあい、悲しそうなときはこっそり見守り、悔しそうなときはほっておき、やばそうなときだけ口出して、けんかして。
とにかく、寄り添って欲しいと思ってないときは極力離れてるようにしてました。
自分自身が子どもの頃にしてほしかった対応を息子にはしてきたつもりだけど、でもそれが彼の望む母親像だったかどうかはわかりません。

ダメな母だと落ち込んだときもあったし、もっとしてあげられたんじゃないかって思うことは山のようにあるけれど、それでも、
できることをやってきたなと今は思うし、この温度であたしはよかったんだと思うようにしてきました。これしかできなかったしね。

最近は、家にいるのかいないのかわからない状態に加えて、家にいても顔を合わせない生活。
大学生なんてそんなもんと慣れてたし、これからもそんなもんだと思ってた。
社会人になっても、
今の生活がそんなに変わることもなければ、子育てが終わっていくことは特段さみしいことでもないと思ってた。
それは、どんなことがあってもあたしが死ぬまでは親子であることに変わりはないからだし、これからも、どこにいても生きて元気で笑っていてくれればそれでいい。
そんな風に思ってた。

昨日までは。

書留が届いた。
「配属先:九州地方」

あと2ヶ月もすれば、彼はこの家を去る。
彼念願のひとり暮らし。
あたしもひとり暮らしは経験しといた方がいいと思ってたから、びっくりたけどよかったじゃん!!そう思った。
そーかそーか!衝撃的だなー!!って、この状況を面白がってもいた。別に強がってるつもりもなかった。

なのに。

ランニング中は妄想タイム。
息子が小さかった頃のことがふと思い出されてきた。
笑った顔、泣いた顔、反抗した顔、優しい顔、楽しかった時間、嬉しかった瞬間、頼りにしていた気持ち、感謝してたこと、
なんか知らないけど次から次へと・・・

ああそっか。
あたし、さみしいんだ。
息子が遠くに行っちゃうことが、本当はさみしいんだ。

走りながら涙が止まらなくて、いっぺん出ちゃったら後から後からわいてきて。
しょうがないから止まるまで走りました。
ヘッドフォンから椎名林檎の「正しい街」が流れてた。

一緒に暮らせることは当たり前じゃなかった。
いつもそばにいるのは当たり前じゃなかったんだ。
そういえば、神様から預かってたんだった。
当たり前のことはとても幸せなことだったんだ。

一緒にいられることが幸せだったんだってやっと気が付きました。
またひとつ、母という喜びを教えてもらった日。
2020年2月1日。


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