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陰陽五行、それは一体なんだろう

2月にスタートした陰陽五行マスター講座広島3期が、全課程を終了しました。

まさかこんなことになるなんて!という世界的大変革のときに重なったこの学び。予定通りとはいかなかったけど、とにかく無事に最終日終了までたどり着けたことにホッとしています。

この学びのために時間とお金とエネルギーを使ってくださった受講生さまがいてくださったことが、何より私を励ましてくれました。


心より感謝いたします。


このご時世、何かあったらどうしよう・・・と、思わなかったわけではありません。

「状況がよくないのでやめましょう」と言うことのほうが、私には簡単だったと思う。

怖いのは病気ではなく、一人の人間ではなく、社会全体という名の集合意識だと思っていました。

何かあったとき、それを受け止められる覚悟が私にはあるだろうか・・・って。

大げさに思う人もいるかもしれないけれど、私はそこまで考えるタイプです。


これまでの人生で、悲しいことも悔しいことも、自分の努力ではどうしようもない出来事もあった。

きっと、誰もが多かれ少なかれ経験するのだと思うけれど、そういう時期も過ごしてきた。

そんなとき、私に乗り越える力や希望を与えてくれた知恵(もしかしたら智慧)は、自分で選びとってきた『学び』の中にいつもあったように思います。

学びをただの学びにはしない。実際に自分の生き方に活かすように、信じて日々を重ねて実学にしてきたから、私はこんなに自由に楽しく生きられるようになったんです。

だから今回も、迷ったときの指針となったのは、まさにこの講座の内容そのものでした。

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広島3期ということは、陰陽五行と易経を交互に繰り返しているのでもう3年以上は経ちました。

ここであらためて、陰陽五行ってなんだろう・・・。


まずは陰陽。

陰といえば、女、柔、静、冷、裏、暗・・・

陽といえば、男、剛、動、熱、表、明・・・

などと、分類できます。


ねぇ、でも、本当にそうなの?うーん・・・


それじゃ五行は?

五行の行とは、めぐりのこと。

ということは、五つの巡り。すなわち、木火土金水の巡りです。

木の性質、火の性質・・・と続き、そしてそれらは相生相剋という関係性で循環している。


やっぱり私は、うーん・・・となるわけです。


もしかしたら、こうだ!と固定した瞬間に、真理はするりと逃げていくのではないかしら。

私が学んできた感覚としては、陰陽五行ってもっと生き物のように躍動している何かを内包している。

固定されたものの見方は、ただその物事の一瞬の姿を見ているに過ぎない。本質は、その内部で働いている動きや課程にあるんじゃないのかしら。

もっと言うと、その動きには現在から過去に至る時間、さらに未来までも包括している。そして、動きをどの場が受け止めるかで性質が変化していく。

そのあたりを、省略せずに伝えようとするこやま先生は、やっぱりすごいなって思う。

なんていうか、この学問に敬意があるんだよね。


私たちは、わからないことをとても恐れている。

だから、あれはこう、これはあれ、あの人はこう、この人は・・・って、なんとか固定して理解しようとする。

それは身体という物質をもった人間のさがで、言葉や理解に限界があるからこそ、こうして知るための旅を続けていられるのかもしれないよね。

そう考えていると、太古の人たちが、このわからない世界を知るために探求し、行き着いた陰陽五行の叡智に心が震えます。


陰陽五行を通して、何千年も昔に生きていた人々と私たちはつながっている。

きっと、同じように悩んだり苦しんだり喜んだり、傷つけたり傷ついたり、誰かを想ったりしていたんだろうなぁ。

もしほんの少しでも、固定されない何かに触れ得ることがあったなら、私たちは「自分」なんてものを超えて人や自然とつながっていけるのかもしれない。

でもやっぱり私は、物質や言葉でしか語れない「これってどういう意味だろう、わからないなぁ・・・」っていう問いを続けていきたいと思っています。生きている限りはねぇ。


まだまだ、東洋思想の学びは続くみたい。

面白いなぁ、楽しいなぁ、う~ん・・・わからない。

でも深く感動する。

そんな好奇心を、ずっと失わずに。


陰陽五行マスター講座広島3期の受講生のみなさま、再受講のみなさま、長期間のご受講をありがとうございました。

沢山のご理解とご協力をいただきましたことに、深く感謝いたします。



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