見出し画像

行間をよむ日本の雅に想いを馳せて

瀬を早み 岩にせかるる 滝川の われても末に あはむとぞ思ふ

百人一首、崇徳院の歌です。

先日最終回を終えた易マスター講座の受講生さまが、ご自分で書かれたこの和歌を添えてプレゼントしてくださったのです。見た瞬間、鳥肌が立ちました。実はこの歌は、私にとってとても縁のあるものだったのです。

「川の流れが早いので岩にせき止められ二つに分かれてしまうけれど、先ではまた一つの流れに戻るように、例え今二人が別れても、いつかは再び一緒になると思っています」

時代の流れの中で、別れなければいけなかった愛する人に寄せた恋の歌とされていますが、定かではありません。恋に限らず、お互いに想い通じ合っていても、共に今生きることを心から求めていても、何かの障害によって現実的には別れなければいけないということがあると思うんです。私はこの歌を、とても大切な人に送ったことがありました。そのとき言葉では伝えきれないものを、過去の人が詠んだこの歌の行間にたくして。

そうしたらこの歌は、今回プレゼントに添えて私にくださった方が、大切なご友人に送った歌でもあり、私を思い浮かべて選んでくださったということでした。

画像1

滝川の急流が岩にぶつかりながら流れていく風景を思い浮かべてみると、そこには激しさや荒々しさのようなものを感じます。人の力ではどうしようも止められないほどの熾烈さに、身を任せるしかないとき。滝川に状況を重ね、いつか再び合流し、いずれ穏やかに一つの海へたどり着くことに、歌人は密かな願いをのせたのかもしれません。

大切な人に送ったこの歌は、また別の大切な人から私のところにもどってきました。易を学ぶ最終日に用意されていたシンクロニシティのはからいに、人の意識を超えた何かがそこにあることを感じずにはいられない、そんな締めくくりの出来事でした。







この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?