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避けられない、影との共存

「こちらが金城さんで、こちらが、、、」

社会人1年目。入社したての5月。

SNSの運用に関する勉強をするため、ある広告代理店へと足を運んだ。

同じく入社したての女性スタッフと私と、それから上司と。

名刺交換を済ませ、挨拶がてら時間をいただいたお礼を述べる上司を横目に私は緊張していた。

ー そして、こちらは金城さんで、留学経験もある新入社員です。

ー それは貴重な経験をされてこられたんですね〜。若い優秀な社員が入ってとても羨ましいです。

儀式のような会話に一切の興味を抱けないままであったが、機械的な挨拶が機械的にこなされていくのを横目に、私はどのような紹介をされるのか、大きな不安をわずかな期待で薄めたような心持ちで時間が過ぎるのを待っていた。

ー そしてこちらが、、、、ええっと、、、

ー 玉城です。

かなり驚いた私は慌てて名前を言い続けて自己紹介をした。

そうか。名前を覚えられてなかったのか、、。

以前にも同じような経験があって、そこまでショックは受けなかったが、ただ、あまりにも覚えてもらえないので、実際に映る影も人より薄いのではないか?不安に思い、生徒会長をしてた幼なじみと並んで影を比べたことがあったが、その濃さに全く変わりはなかった。

先日、絵画教室の先生と建築士の方に話しを伺う機会があり、「影」について考えさせられる事になったので少しまとめてみたいと思う。


絵の陰影と建物の影

      絵画教室の先生曰く、

光、スポットライトがあたっているように描こうと思えば、その部分を白く塗るのではない。背景や周りの影を濃く描く。白の上に白を塗っても白さは変わらないが、影を濃く書けば、白いところが輝いて見えるんですよ。

        建築士の方

昔の人は建物の高さを測るのに、影の長さを使って測っていたそうです。影が長いということは建物の高さが高い、という理屈だと思うんだけど、、、、。

およそ2時間ほど雑談をしたのだが、とくに印象的だったのが、上記の2つだった。


       人にも影はある

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太陽の光を浴びれば必ず影が出来る。
それは避けようがない。もちろん人にも影はある。私のようにどれだけ存在が薄かろうが目に見える影と目に見えない影が確かに存在するのだ。

ネットやテレビで見る人たちは、勝手にライトを当てられ、人工的に「影」を作られる。

だけどそれって有名人に限ったことじゃない。

私のような一般人でも、「ヒトの目」がある限り、必ず影は映し出される。人に言えない悩みやコンプレックスなどはそもそも人の目があるから発生してしまうのだ。

        影と成熟

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大きな建物は大きな影を持ち合わせるのと同じように、人が生きれば生きるほどその人が抱える影は大きくなる。だけど、影が大きくなりながらも、その影の大きさを恥じたり、負けたりすることなく、それを含めて私自身であると認めれるようになった時、人は成熟し始めるのではないかと思う。

現実から逃げたくなるような辛い経験もあれば、恥じるような失敗だってたくさんあるだろう。

自分ではそんなつもりないのに、周りからは全く違う見方をされたりすることもあるかもしれないし、周りと比べて自分がどれだけ劣っているのか痛感し嫌になることだってある。

だからこそ、他人の影も乱暴に扱ってはいけないと思うのだ。
人は影との共存を避けられない。「ヒトの目」は必ず影を作り出す。

だけど影を失うとき、私は私を失うような気がしてならない。


「ヒトの目」は光でもある。
なんだか話しが神々しくなってきて、自分でも少し気持ちが悪いが、ヒトの目があることはとてもありがたい。

その目が優しければ優しいほど救われる。これまでそんな経験をいっぱいしてきた。人を見る目は優しい方がいい。

本当にありのままでいれるのはそんな人が近くにいてくれるからである。

本当に救われるのはたくさん言葉をもらうからではなく、黙ってそばにいてくれるからである。

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