世界が変わった日と彼女の話

世界が変わったような朝だ。けれどもう10年以上、こんな日が来るような気がしていた。毎日毎日、静かに覚悟していた。ついに来たんだ。

彼女はずっと特別だった。スラリとした長い手足に、私の半分しかないのでは?というくらいの小さな顔、小鳥のような声。小学校の流し場で、隣で雑巾を洗うタイミングが合うだけで密かに緊張していた。どこかミステリアスで、「憧れ」のあの子。

小学生の頃彼女と、奇跡的に「絵を描くこと」で繋がった。私はやっと同じ趣味を持つ女の子に出会えた嬉しい気持ちと、ほんの少しのライバル心を持っていた。次の図工で描く絵こそは、私が選ばれたい。2人で任された合唱コンクールのポスター、きっと私の方が上手く描ける。

しかし、たとえ私の作品が選ばれても、彼女に「勝てた」と思うことは一度もなかった。

ある時、絵の具や色鉛筆を使っている私に、彼女はピカピカのコピックや、漫画家が使うトーンを「使っていいよ」とさらりと差し出した。彼女は、常に私が知らない世界を、既に沢山知っていた。

嵐ばかり聴いている私に、「少年T」を教えた。地元のイオンでしか遊んでいない私を、「原宿」や「下北沢」へ連れ出した。初めての可愛い高校生のイベント、食べたことないふわふわのパンケーキ、不思議なイラスト展。地元のイオンでやっている流行りの恋愛映画を笑って観ていた私の家に一緒に観よう、と持ってきてくれたDVDは、「ヒミズ」「下妻物語」「男子高校生の日常」。

私が知っている世界を、その子の世界がどんどん覆していく。この2つは交わる部分もあれば、交わらない部分もあった。

彼女が勧めてくるものはどれもメジャーとは言えなくて、それなのに、知ると抜け出せなくなるような、それしか信じられなくなるような、不思議な魅力があるものばかりだ。彼女のおかげで好きなことや好きな人、私の世界が広がっていった。

彼女はとても綺麗な目をしているが、好きな映画や応援している表現者の話をしている時が、一番きらきらしていた。高校生になったある日、いつものきらきらした目で「絶対見てほしい」と、貸してくれたDVDがあった。

「ヒミズ」。

しかし、当時流行りの恋愛映画しか観たことのなかった私には、どうしてもこの映画を理解することが出来なかったのだ。わかりやすさや安っぽさのない映画だった。交わらない、初めて彼女の感性との距離を感じた日だった。「観た?どうだった?」と聞かれたが、何も答えることが出来ず「時間が無くて観れなかった、せっかく貸してくれたのにごめん、」と嘘をついて返した。彼女が求める感想を言えずに、好きなもので繋がれているこの関係が終わってしまうのが嫌だった。しかし、いつだって本質を見抜く彼女の目には、何でもお見通しなのだと思う。これが、最初で最後のDVDの貸し借りになった。

彼女ほど芯が強くて、まっすぐに前を見つめて、きちんと「自分の信じたもの」を道しるべに進んでいる女の子には出会ったことがなかった。彼女以上に魅力的な感性を持っている女の子にも、彼女以上に自由な表現が出来る女の子にも。

彼女とは、いつでも会える距離で、おばあちゃんになるまで、お互いの好きなものや家族の話をしたりしていたいと思っていた。遠くに行かないでほしい。そんな気持ちを抱えながら、小学生ながらに、この子はこんな田舎にいるのはおかしい、いつか絶対に手の届かない場所へ行ってしまうのであろうと気づいていた。とっくに気づいていた。だって彼女はいつも、あの目で、ふとどこか遠くを見つめていた。私が心の底から笑っていても、彼女はいつも何か物足りないような、何かを渇望しているような、自分の力を持て余しているような、そんな感じがしていた。そんな彼女を見ては、いつの間にか「どうか多くの人が彼女を見つけますように、彼女の魅力に気づきますように」と願うようになった。

そして、そんな予感は、初めて画面越しで彼女の目を見たとき、確信に変わった。彼女のまっすぐで強いきらきらな目は、ずっと世界中の誰かに向けてあったのだ、と。これは本当に遠くにいってしまう、と、一人静かに熱い想いを胸に秘めた。

そして、ついにすべてが変わる、この朝を迎えたのだ。ずっと胸につかえていたものが取れ、ずっと静かに温めていた幻想が現実になって、泣いた。泣いてしまった。終わりではなく、始まり。


以前彼女がくれたお手紙には、こう書いてあった。

「これからはきっともっと頻繁に会えないのかもしれないけれど、絶対おばあちゃんになってもつながっていられる気がするの。勝手に。笑 だから見ていてね。頑張ろうね。夏音ちゃんの家の前で何十分も話してたあの頃の若さには戻れないけれど、今度は夢に見てたさし飲みをしたいものです。」

「夏音ちゃんとお話しすると、背筋が伸びる気持ちがするの。夏音ちゃんは姿勢も良いし、考え方も常に物事に誠実に向き合っているのが伝わってくるからかなあ。変わらずまっすぐな夏音ちゃんでいてね。」

私は、彼女とは全く違う世界で生きようとしている。けれど、確かに今の私の世界は、彼女が多くの影響をもたらしてくれて出来たものなのだ。彼女と出会えたこと。確かに影響を受けてきたこと。たとえもう二度と一緒にごはんを食べたりすることが無くても、そういう意味できっと、私は彼女とおばあちゃんになるまで繋がっていれる気がするのだ。その事実が誇らしく、嬉しい。

相変わらずな、あの目をしていた。私も彼女に負けぬよう、強くまっすぐに前を見すえて、私の世界を信じて生きたい。私の永遠の憧れの女の子。遠くでずっと見ているよ。頑張るから、たまにでいいから、見ていてくれたら嬉しいな。
#大学生

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