反復と無意識の変容
この一年何も変わらない。いや、一年どころか三年ぐらい何も変わらない。監獄の中のしきたりからやっと逃れることができたと思ったら、自分の中にそのしきたりの習慣だけが既に染み込んでいた。しきたりとその欲望が存在していた頃はまだマシだったようだ。欲望は実存であるから。しかし、しきたりだけが骸として残った今それは見た通りの空洞なのだ。空洞の中に居心地のよさを感じないように決心をしても気づいたらその中で寝転がっている。次の日こそはと決心をする。その繰り返しだ。しかしながら、そこは空洞である。長居すれば次第にそのことに気づいていき、居心地が悪くなっていく。けれども、習慣は繰り返す。そして、後悔する。そしてまた決意する。そしてまた少しだけ何かをしようとしたり、実際にしたりする。ここには反復が起きている。昨日とは少し違う今日がある。習慣を壊すのは実は反復だ。微妙な破壊が蓄積していく。その破壊の担い手が次第に新たな習慣を生み出していく。
一度自分を殺してから一年がたった。やってやろうと思っていたことの1割もできていない。怠惰で情けがない。少し先の未来の希望的な観測を立ててはまた同じことを考える。そうして現在がなくなっていく。今も未来も生きれない情けなさをようやく実感してきた。俺は今を生きるしかないのだ。時間という概念を無視するしかないのだ。今を生きることでしか実感というものは得られない。今を生きるには頭が邪魔なんだ。身体と空気が必要なんだ。客観的で絶対的な正しさを求めるな、安息を受け入れて達観するな。今の行為を愛せ。自我と霊性を混同させろ。火花が打ち上がり、水面を広がる波紋を共存させろ。動物でもなく神でもなく、架空でも客観的現実でもない衣を纏え。冷めた目で不可視の現実を見た気になった若かりし自分を理解し、抱きしめること。混沌の作り出す胡散臭いニガリに北極星を見上げながら飛び込め。必要なものを揃えようとするな。吟味していたら死ぬぞ。明日死ぬかもしれないし、死なないかもしれないという気分で片道の時間の端と端をくっつけろ。解くことと作ることをその行為自体を愛し、体を動かせ。頭も体の中にあるのだ。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?