少しの時の経過が見せる自分
だいぶ間が空いてしまいました。
様々なことに気を取られると心の余裕があっという間になくなってしまい、、、
はい。簡単に言えばさぼりました。
私は器用貧乏という言葉がしっくりくる人物だ。何かをする時に広く浅くがモットーに。
そうしたいわけではなく結果そうなっているわけではあるが。
大抵のことはなんとなくコツを掴んでできてしまう。でもそこから深めることは難しい。
昔は、何でもできる自分に酔って、私はすごい、なんて思っていた。ただただ器用なんだと。でもどうやら違うみたいだと気づいたのは、あれやこれやに手を出して、一つ一つは中途半端に転がっている数々の出来事があったから。
今でも、やることが増えて、気づいた時には頭の容量は溢れる手前。
何か手放さなければいけなくなっている。
そこで手放されたのはnote。いつか戻れると思いつつ過ごしていたら、また戻ることができた。
普通に更新を続けることができている人は凄いなぁと思います。それぞれの方法で継続されているのでしょうか。
さて、戻ってきた時に自分のnoteを読み返してみると、まあ、稚拙に感じて仕方がない。
実際、そうなのだけれど、公開した時はそれでもいい感じだと思っていたのだから恐ろしい。
公開の前には必ず何度か読み返し、再考を重ねているが、それでもすごいなぁ(酷いなぁ)と思う。
これも、時間が経ったことで自身を冷静に振り返ることができているのだと思えば、少しはサボった甲斐があるというもの。
この数年で自分自身の考え方もだいぶ変わってきたように思う。それが良いことか悪いことかはわからないが、きっとどちらかに判別できることではないのだろう。
移りゆく人の心を知れるのは、自分の心の移ろいを知っているから。
変わりゆくことは当たり前のことで、それは否定されるものではない。
週に1回更新しようと決めていたのにできなかったのも、移ろいが成せる技ということで。
甘いかもしれないが、無理しないのがコツということで。趣味のようなものだし。
またぼちぼちスタートしていきます。
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