出て行く旦那さんと赤ワイン
ゴルフに行ってくるよ、と夜9時頃、旦那さんが出ていった。
玄関へ続く電気が消えて、「ああ、行ってしまった」と思った。
「行ってしまった」というのは、悲しみや不安を含んでいるがそういうフレーズが浮かんだのは、昼間会った女性に
「既婚男性のジム通いは、浮気の口実になる」
と言われたのを思い出したためだ。
その時は夜景の見える高層ビルで、女を囲うちょいひげオヤジを思い浮かべたけれど、
あれ今、うちの旦那さんも夜のランデブーに行きやしたぜ
と気づいてしまったわけ。
まあ厳密にいうとジムではなくゴルフだが、どちらかというとゴルフのほうが自由度は高い気がする。ゴルフと釣りは泊りがけで行けるから、危険な趣味だよと言われたこともあるし。
なんて一瞬にして思ったが、なるようにしかならない。
疑って過ごすよりも、明日のパンについて妄想を繰り広げていた方が幸せだ。ということで近くにある、ほっぺちゃんをぷにぷに触っていた。我が家には弾力性の異なる頬が揃っているので、いつでも頬ブッフェがひらける。
だが気づいてしまったのだ。
私は赤ワインが飲みたいのだと。
頬のおかげですっかり旦那さんのゴルフ浮気妄想なんて忘れて、赤ワインで頭がいっぱいになった私は、娘に「帰りに赤ワイン買ってきてとお父さんに電話してくれる?」とたのんでいた。鬼母である。自分で電話しないのは、私が言うと露骨だが、かわいい娘がいえばそれとなく綿あめに包まれたような気分になれるし、彼女もきっと「ついでにアイスをよろしく」と甘えた声を出すだろうから、まあ丸くおさまりやすいわけだ(女ってこわい笑)。
すると娘はスタスタと電話のある部屋に走っていった。
少しして旦那さんが帰宅。
「すごい寒かった」
手にはワインを持っている。
「おお!ありがとう。娘ちゃんも電話してくれたんだね」
と娘を抱き寄せた。すると旦那さんがきょとんとしている。
「私、電話してないよ」
気まずそうな娘。
「じゃあ、何も言ってないのに買ってきてくれたの、すごい!エスパーダーリンだ」
と私が、はしゃいでいたら
「何がエスパーダーリンや。なつくまが買ってこいと言ったんや」
というではないか。
「(え、そうだっけ。やばっ!)エスパーダーリン、ありがとう。開けて、開けて~!」
「単なるパシリやん」
なんて言いながら赤ワインを開けてくれた旦那さんは、もう寝てしまった。
静まり返った部屋で、ふと思い出した。なぜ赤ワインを買ってきてくれたのか、のくだり……。
遡ること数時間前。
まだ旦那さんがゴルフに出かける前のことだ。
彼は、ご飯を食べ終わって布団の中で巻貝になり動画を観ていた。私はその間を突き刺すように
「たいへんなことがおきたの!」
と駆け寄ったのだ。彼は「なんや」と顔だけあげたが、手の甲はこちらを向けたままだ。その内側にはケータイ電話。
「赤ワインがなくなった」
赤ワインを飲む人間は、この家で私しかいない。昨日、飲み切ったのも覚えているが、赤ワインがないということは大事件なのだ。だって夜なのに、舌を甘く包んでくれるものがないなんて雑草の生えていない路地裏のようだ。
だが彼はそんなことおかまいなしである。
「あっそう」(そりゃあ、飲んだらなくなるでしょう)
「赤ワインがなくなったの」
「ふうん」
「だからね、赤ワインがないから飲めないの。大変でしょう?」
「ぜんぜん」
「買ってきて」
「はあ?」
というくだりがあったのを、みんなが寝静まった夜に思い出した。
エスパーダーリンでも浮気ゴルフでもなくて、サクッとゴルフに行き、赤ワインを買ってきただけの旦那さんだったもよう。
わるかったよ、でもおいしかったからゆるしてね。
(責任をもって私が全部飲みますから~!)
となった夜でした。
おしまい。
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