見出し画像

イチローと過ごしたシアトル

「イ・チ・ロー! イ・チ・ロー!
イ・チ・ロー!イ・チ・ロー!…」

まるで
アイドルのコンサートでした。

正確に言うと
「Eee・Chee・Row」
って感じでしたね。

あなたがステージに
立った時の子どもたちの
黄色い歓声。

あなたは
私が働いていた
小学校にきたんです。

そして
今まで球場の遠くから
あなたを応援していた私は
そんな歓声を受けている
あなたのすぐ横に
立っていました。

あなたは
その時すでに
誰からも尊敬され、愛される
スーパースターでした。


〜〜〜

あなたが
シアトルに来たのは
2000年でした。

日本での
スーパースターの
地位を捨てて
言語も文化も違う場所での
0からのスタート
だったはずです。

実際にあなたが
シアトルに着いた頃
「大リーグは甘くない!」とか
「日本人は投手なら
イケるかも。
でも野手はムリ!」
とか色々キツいことを
言われていましたね。

そんな不評を
すぐさまくつがえして
スーパースターに
なりました。

最初の年から
「20試合連続打数」とか
「MVP」と「ベストルーキー」を
同時獲得とかの歴史的快挙を
しっかりと収めましたね。

オールスターにも
ファン投票で1位になって
出場してましたね。


〜〜〜

あなたと
時を同じくして

私はシアトルにいました。

シアトルの小学校で
教師をしていた私。

下の子どもはまだ6ヶ月。
夜泣きがひどくて
ろくに眠れない中
目覚まし時計の音で
朝6時に起こされて
4歳だった上の子どもと一緒に
2人を保育園へ
連れて行くことから始まる
多忙な毎日。

「外国人だからって
引け目を感じたくない!」
と作り笑いをしながら
人一番、見えないところで
努力をしていました。

毎日をルーチンのごとく
ただただこなしながら
走り抜いていました。

外から見たら
うまくいっていたように
見えたかもしれません。

でも自分では
わかっていました。

疲れやストレスから
いつ倒れても
おかしくなかったし
一度止まってしまったら
またスタートが
できなくなるような
ギリギリ状態で
毎日を過ごしていました。


〜〜〜

勝手ながら
そんな自分のことを
重ね合わせて
チャレンジしている
あなたの姿を
見ていました。

気づかなったでしょうが
あなたが出ている試合も
何回か観に行ったことが
あります。

セイフコ・フィールドで。

あなたのいない
その球場は今
「T-モバイル・パーク」
という名前に変わっています。

その球場で
試合前に配られる
扇子とかメガフォンを使いながら
バッターボックスに入る選手への
「おきまり応援」を
知ったかぶりで一緒にやったり

順番に立ち上がって
球場全体にみんなで

大きなウェーブを作ったり

スポーツマンシップを
破るようなことをした
相手チームの選手に
ブーイングをしたり

ファウルボールを
うまくキャッチして
ハイファイブして喜んでる人や
巨大スクリーンに映って
喜んでる人を見て
笑ったり

7回裏には
観客総立ちで
「私を野球に連れてって」
を合唱したり

ピッチャーのように
遠くからビューっと投げる
売り子から
ポップコーンを買ったり

その時だけは
普段の忙しい日々を忘れて
他の観客と一団となって
楽しい時を
過ごしていました。


〜〜〜

シーズンオフだった
その日のあなたは
チームに頼まれて
地域貢献の一環として
小学校へ行かされて
いましたね。

「モチベーションに
ついて話す」という
課題を与えられて
ステージの後ろで
静かに座っていました。

画期的な1年目の
シーズンを終えたばかりの
あなたに会うことを
先生も生徒も
待ち焦がれていました。

あなたが来る知らせを聞いて
興奮した校長は
「ウチの学校には
日本人の先生がいるから
イチローの通訳が
できるように頼む!」
なんてチーム関係の人に
話をつけていました。

そういうリクエストに
オッケーがでるのが
アメリカ。

あなたには
チーム専属のプロの通訳が
ついていたのにね。


〜〜〜

ステージの上に立った
あなたは
子どもたちに聞きました。

「この中で将来
プロ野球選手に
なりたい人はいる?」

たくさんの女の子の手が
上がりました。

苦笑していた
あなたの横で
思わず私がしちゃった
ガッツポーズ!

あなたは
きっと気づいてなかった
と思います。

画像1


この記事が参加している募集

野球が好き

他の人に喜びを与えるアナタは、きっともっともっと与えられるはずだわん💕