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「良い人になる」って、私には向いてなかった…

なんか最近、『良い人になろう!』って無理をしてきた気がします。マザーテレサとかそういうレベルじゃなくても、『ちょっと優しくて愛に溢れる良い人』になりたいなぁ!と思って頑張っていました。

今まで、結構わがままに好き勝手に生きてきたし、世の中には本当に純粋で素晴らしい人がたくさんいて「私もそうなりたい!」と感化されたのもあります。

また、下心ありありで、カルマの法則なんかで「良いことをしたら、良いことが返ってくる」なんてよく聞くので、その倍返しを狙っていたというのも大きかったと思います。

でも、「世のため、人のため」とか「良い人になろう!」と意気込むほど、私はドンドン批判的で意地悪な人になっていっているような気がしていました。

例えば、

「環境に良いことをしたい!」とリサイクルに躍起になって、間違ったところにプラスチックの容器を入れたりする夫にムカッとしたり、
「良い言葉を使おう!」と思って、ちょっと悪い言葉を聞いたら、思いっきりその人に嫌な顔を向けたり、
「健康のために食事はヘルシーに」なんて思っている時に、スナックをバリバリ食べている人を批判的な目でみたり…

「良い人になろう」としていると、私の場合、「良い」と「悪い」のジャッジをしたり、正しさにこだわるようになり、正義感にかられたり、監視したり、肩の力が入ってしまうって気づきました

『戦争は、正義感と正義感の対立からもたされる』とも言われますよね!アニメやヒーロー映画や時代劇のように、実社会には、はっきりとした正義と悪があるわけではないんですよね。みんな、自分たちの正義を守ろうとして戦っているんです。

ちなみに、「良い人」ってどんな人でしょう?時間や場所や文化背景などによって、その定義は大きく変わってくるはずです。

こんなシナリオで、その例をみてみましょう!

初めて会った方に、苦手な食べ物をもてなされたとします。

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相手のことを思って、何も言わないでちょっと食べるのが「良い人」でしょうか?

もしかして、その人が何かをきっかけにあなたがその食べ物が苦手だったと知って、ショックをうけるかもしれません。

ではその反対に、「この食べ物は苦手だけれど、振る舞ってくれてありがとう!」と正直に言うのが「良い人」でしょうか?

もしかして、その人はあなたに喜んでもらおうと精一杯のおもてなしをしてくれたかもしれません。あなたは、あからっさまに自分の好みを言うことで、相手の誠意を踏みにじんでしまうかもしれません。

いずれにしろ、正解は1つではありません。相手のことを良かれと思って決めても、それが正解じゃないこともあります。

そして、いくら相手のことを考えても、そのニーズにそえない場合もあります。相手にばかり軸を置いていると、肝心の自分も自分らしくなれなくなって苦しくなってしまいます。

やっぱり私は「自分が楽しい方を選ぼう!」っていう結論に達しました。いつも言ってることですよね!

「どんな行動をしたら私が楽しくて、幸せでいられてるんだろう!」の観点で選択をするのが私にとっては一番しっくりするかなと思います。

きっと、私の幸せや楽しんでいる波動が周りに自然に広がっていくはずです。

相手がどうとるのかは、自分のコントロール外だし、正解は人の数ほどあるので、そこを軸にせずに、やっぱり自分がまずハッピーでいられることをしようと思っています。

私の場合、「良い人になろう!」とするのは、向いていないんだなと分かりました。

そういえば、昔ヨガをしていた時も、アライメントにフォーカスしすぎて、「正しいポーズ」にこだわりすぎて、苦しくなっていたことを思い出しました。

自分が上機嫌でいれば、周りの人と争ったり、期待をもたずにいられるので、結局は周りも幸せにできるんですよね!

素晴らしい人はたくさんいるけれど、他の人のようにならなくても、私は私で、自分らしく生きていけば良いんだと思えるようになりました。

自分が楽しいことに夢中になっているのが、私にとっては、無理をせずに、世の中にも人にも良いことができるようになる方法だと実感しました。自分が楽しい時は、勢い余って、結果とか見返りを気にしなくなるほど、愛と優しさを分け合えるようになれることが多いです。

なので、私はこれからも自分をハッピーにすることを最優先にしていきます

あなたにも、物事を決断するような生き方や在り方の軸はありますか?



TOP画像にまた、T_GAIさんのデザインをお借りしました!神がかっています!素敵すぎてしびれます!


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