靴下のかたっぽがみつからない ㉒スーさんとわたし
引っ越した先は、大きな集合住宅の棟が並ぶ横に、小さく建つアパートの2階のアパートでした。
2階というのも、私の安心するポイントでした。
流石に家賃が三万円とはいかず、それなりのお値段でしたから、トイレは水洗で生活が快適になりました。
よく分からない狭さの間取りでもありません。
小学校は県で上から何番目に大きいと言われているマンモス校でした。
昇降口は、生徒用に低学年と高学年と、二つに分かれてありました。
そうなると、私のよくわからない苦手だなと思う電波が発動します。
通うのは子供達ですので、わたしは参観日程度なのに、そういう行事が本当に苦手で、知らない父兄の中で、どこに身を置いたらいいかわからず、オロオロして勝手に1人で疲れていました。
子供が家を出る登校時間は7時20分だったのですが、私は朝7時に出ないと会社が間に合いません。
その空白の20分がとても心配でした。
小学生三年生と、一年生の子供が、いくら準備万端にしてあっても、時間をみて家を出れるのだろうか、鍵もして、電気も消して、そんなこと、負担にならないのだろうか、とよぎりました。
自分の小学校の頃を思い出します。
いつも何もできなくて、オロオロしていました。
そんな思いはさせたくないと思いました。
そこで、娘たちには申し訳ないのですが、私と同じ時間に家を出てもらいました。
ありがたいことに娘たちは姉妹だったので、ひとりぼっちになる心配はありませんでした。
雨の日も雪の日も(実際雪の日は道が混むのでもっと早くに家を出ました…)娘たちはすこし早めに家を出て、登校を一緒にする子たちを待っていてくれました。
仕事はというと、秋には辞めてしまいました。
不景気のせいか生産量が減って、出勤日なのにたまに工場が休むことがあったからです。
自給800円で、車で往復で二時間かけて、ガソリン代もかかります。
1日休むと6千円収入が減るわけですから、当時のわたしには死活問題でした。
その頃には、職場の人でたまにお茶をしたりする距離感の仲間ができました。
スーさんといって、干支が私よりちょうど2回り大きい方でした。
仲間というと、少し図々しいですかね。
職場ではいつもむすっとしていて、ボソボソしゃべるので、正直怖かったのですが、仕事中オロオロする私を担当が違うのに気にかけてくれてました。
これはどうしたらいいのだろうと、困っていると、すーっと後ろを通って、背後から指示してくれます。
低い声で、ボソボソっとです。
もう、わたしスーさんが男だったら、間違い無く惚れてました。
沼ってました、きっと。
とてもかっこよかったです。
スーさんは、ご主人と二人暮らしをしていました。
男の子2人のお母さんで、お子さんはずっと大きいので、まるで孫を見るようにアカネとアオイのことを可愛がってくれました。
乳がんを経験されていて、片方切除したあとで、たまに病院に通っていました。
スーさんに、
「こんな会社にいちゃダメだよ、子供が2人もいるんだから、もっとちゃんとした会社にいったほうがいい」
と背中を押してくれたのも辞める理由の中で大きかったです。
見わたせば、工場で働きている従業員は、一人暮らしをしたくてもお給料が少ないからと実家暮らしだったり、旦那さんがいて生活がある程度生活が守られている方ばかりでした。
思い起こせば面接の時、社長の奥さんが
「シングルマザーなら前に勤めてた人もいたし、大丈夫よ」と言ってくださり、片親でも快適に働けるのかと解釈してましたが、よく考えたらその方はもう辞められてたわけで、どうして私は人の話を表面でしか聞けないのかと、しょんぼりしました。
それからハローワークの勧めで、パソコン関係の資格を取る講習に3ヶ月通いました。
こんな制度があるなら早く知りたかった、と心底思ったのですが、条件を満たしていると、生活費を支給してくれながら、資格を取る勉強をさせてくれる制度があるのです。
更に驚いたことが、私が日々工場で稼ぐお金よりもひと月だと2万円高い金額が支給されました。
なんだと???
あんなに頑張って稼いでたのに、どういうこっちゃい。
な気分になりました。
それだけ低所得だったのか、その制度が充実していたのか、私には良くわかりませんが。
私の失業したタイミングで、行ける講習会は隣の市でした。
3ヶ月なので通えないことはない、と腹を括りました。
…舐めてました。
朝更に家をでる時間が早くなり、帰りも遅くなり、子供達の夕ご飯も遅くなり、朝起きるのが辛くなり…悪い夢を見ているようなループに落ちました。
でも、その講習会はとても充実した時間を過ごすことが出来ました。
参加者は15人程度でした。
みんな何かしらの理由があって、鬱病になって失業した男性の方や、子育て終わってこれから仕事頑張ろうと思った女性の方、私のようにシングルマザーで事務仕事のほうが長い目で勤めやすいからと通っている方、みんな講習を受けに来る理由が一人一人違いました。
年齢も性別も様々でした。
今思うと私が1番歳下でした。当日私は31歳くらいだったと思います。
私のように生活資金制度を受けながら受講する生徒は3人程度で、実費の人もいるのかと、それはそれで驚きました。
その間の生活費とか、どうするのだろう、失業手当貰っているのかな、とか思いましたが、さすがに聞けませんでした。
この性質がバラバラな組み合わせは、日々では絶対に接点がないので、とても新鮮で楽しかったです。
なんとなくドロップアウトした人たちの匂いがして、高校を思い出しました。
1番年上の男性の方は、いつもちょっとした面白い小物をデスクの上に置いてあります。
ペットボトルの水から加湿器になる熊さんの形をした可愛い物や、カッターとハサミが一体化したような、本当にちょっとした物です。
それは自分のためではなくて、その教室にいるみんなのために置いてくれているかのような使い方をしてくれるので、私は1人勝手にコッソリと、お慕いしておりました。
発言も、目の冴えるような良い事を言ってくれたりします。
でも、では授業を始めますとなると、途端にオタオタし始めるのもなんだか不謹慎ではありますが、可愛く見えて、世の中にこういう人がいるのかと、勉強になりました。
私と同じシングルマザーの方もいました。
働いていた雇用形態が契約社員だったらしく、正規雇用の仕事を探すために、資格を取りたいと言っていました。
チャーミングで同性の私から見ても色気があって、この方とはその後合コン的なものに誘っていただくことになる、楽しい方です。
他には、ちょっとセミを感じる方もいたりと、本当に皆さん多種多様で、でも一体感があって、とても楽しかったです。
講習の先生は2人いました。
1人はどうやら、この支援をしている団体の企業のかなり上の立ち位置の方のような空気がありました。
温和でとてもゆっくり笑顔で話をする方で、私がペラペラ薄い話をすると目をパチパチさせて、話方が早すぎたらしく、聞き返されることが何度かありました。
そこで、そうか、わたしは日常の喋り方がちょっと違うのかと、反省しました。
口を閉じていると、おとなしいのですが、一度口を開くと取り留めなく話し始めてしまう癖を見抜かれた気がしました。
もう1人の先生は、1年前にこの会社に転職したらしくまだ初々しさも残っている、そんな方でした。講習をするのも駆け出しの頃の雰囲気でしたが、それはそれは丁寧で、何と言ってもチャーミングな人柄がその場を柔らかくしてくれました。
パソコンって、わからないと「キイイイイイ」ってイライラしてこないですか?
この柔らかくしてくれる性格は、この職種にぴったりだったと思います。
講習の内容はというと、パソコンの電源を入れるところから始まりました。
その丁寧さは、高校時代初めての授業で英語のアルファベットを書くところから始まった、あの光景を思い出しました。
そうなると、するするついていけます。
講習会の目的は再就職するための講習会なので、パソコンのスキルを身に付けるだけでなくて、面接官との面接の練習や、3分スピーチの練習、自己啓発的なことまでカリキュラムに取り入れていて、大変勉強になりました。
パワーポイントを習えば、では実際にテーマを決めて、パワーポイントを使って構成して、発表をしましょうといった具合です。
わたしは楽しくて、いつもの妄想癖が出てきてサクサクと作業を進め、一つ出来上がるとまだ時間が残っていて、そうなると別の案も湧いてきて、もう一つ作るころには、どっちも気に入ってしまい、両方発表させてもらいました。
講習の先生はこの3ヶ月で作った私の作品は、後々ほかの講習で、他の生徒さんへの見本に使わせてもらってもいいかと、ありがたいことを言ってくださり、わたしの妄想癖がそこで少し、役に立ちました。
そうは言っても、本来の目的は就職活動です。
講習会の教室では、定期的に広範囲な求人情報がおりてきます。
積極的に履歴書を送るように指導を受けます。
履歴書を送る前に希望をすれば、先生がチェックしてくれます。
基本的なことから、もっと字が大きい方がいいとか、的確なアドバイスがあり、とてもありがたかったです。
3社送り、3社ともダメでした。
これは、なんだか自分を否定されたような、いらない人間と言われてるような、、はい、傷つきます。
こんなことを、新卒の大学生が繰り返してるかと思うと、心の底から尊敬しました。
そうこうしているうちに、日々は過ぎていきます。
この講習会が終わったら、完全に食いっぱぐれてしまう…と、焦りも出てきてきます。
どうやら、スーさんは、前の工場を辞めるように進めたものの、わたしの右往左往ぶりは心配になったらしく、
「実は知り合いでこんな会社があるんだけど…」
と、話をしてくれました。
スーさんいわく、社会保険もないし雇用形態はかなりお勧めできないとのことで、本当は紹介するつもりはなかったんだけど、仕事がないのは流石に困るでしょと、心配してくれたみたいです。
雇用形態が悪ければ、従業員さんも辞めるスピードも早くて、事務員が1人入っても長続きしなくて辞めていき、常に事務員を人を募集しているとのことですが、背に腹は変えられない私は、悩むことなく飛びつきました。
従業員の人数が少ないというのも、私にとってはかなり重要な事でした。
面接はスルスルと話が進み、すぐに採用となりました。
その社長のご厚意で、「今いる講習会を最後まで出たい、資格をちゃんと取得したい」という私の希望を飲んで下さり、無事履歴書に書ける資格を取り、こうしてめでたく新しい会社に入社する事ができました。
めでたくなのか…??