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若いことが武器であるケースとそうでないケースがありそう

 あるオンラインコミュニティで運営の方との解釈の差異で一定期間もらったBANが解除されていて、溜まっていた返信を確認したんですが、若いというステータスの持つ力について再考しなきゃいけないなと思いました。

今までの解釈

 今までは
「若い人は自分の発言が通りやすくて且つ協力してもらえやすい、何かの募集がされてた時に優先的にチャンスが回される」
と、若いだけで物珍しがられて人が群がってくるイメージでした。

今回いただいた返信による変化

 返信をくれた人の中にはめちゃくちゃ考えてくれた方やあまり思いつかなかったという方もいらっしゃって、見ていただいてありがたいなぁと思いました。その一方でコミュニティ内で特に面倒見てくださった方から
「何か応援して欲しいんだったらまずコミュニティ内の人の応援をしなきゃいけない。コミュニティに価値を落としてから応援してもらうのが人としての礼儀」
という旨の返信をいただきました。これは本当にその通りだと思っていて、いくら珍しい若人だとはいえ少し話した程度で仲良くなった気になってしまって、その勢いで肩にもたれかかったのはよくなかったなと。
 その通りではあるんですがなんか腑に落ちなかった部分があって、でもなんでなのかがよくわからなかった。この原因が"若さの捉え間違い"なんだなとわかりました。この方含めて「企業巻き込まないとね」とか「コミュニティ内でダメ元で協力者募ってみたら?」とかあまり自分の体重は乗っけようと思わない事を仄めかす文が多く見られました。(興味のないことに賛同しないのは至極真っ当な話)
この事象を分解して考えてみます。

待ち合わせ場所になるための条件

 とある海外にお住まいの方から
「〇〇(コミュニティで行われた舞台)は劇のうまさ目的で行ったわけじゃなくて仲良い人に会いに行きたかった。劇としてなら日本には帰ってない。」
というお話をお聞きできました。
知ってから協力しようと思うまでのフローを認知、興味、協力という3つに分解してみます。以前までは若さによってこの3つ全てを満たすことができると思っていました。しかし今回の件で若さで突破できる工程は認知、興味の2つだけで"協力"は全くの別問題なんじゃないかという示唆が得られました。
 自分が当事者になるかどうかの評価になった瞬間に"若い"というステータスが意味を持たなくなる。なくなるとまではいかないけど、損失回避思考のなかではないも等しくなるんじゃないかなと思いました。自分が参加するかどうかを決める以上失敗は避けたくなるのが世の常で、その評価基準に入ってくるのは"信用"のみ。裏を返すと"若さ"は"信用"の構成要素ではないっぽいです。

若い人の戦い方

 協力までは得られないにしろ若いだけで興味までは持ってくれるのでこれを使わない手はないなと思います。その一方で"信用"を得るための活動は必要不可欠だということもわかりました。人を巻き込んでやりたいことがある若者は信用をいかに早く得られるかというゲームをする必要がありそうですね。
 そもそも若い時に「自分は若い」という自覚を持てている人はほとんどいないと思うのでこれが必要になる人も少ないだろうなーと思いました。これもまた武器にしようと思います。


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