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Specified Skilled Worker

久しぶりに訪れた某居酒屋チェーン店。
🐓の貴族のお店。

比較的オフィス街なので、土曜の夜は
空いているかと思いきや、お客さんで大盛況。
若者から年配の方まで、席を埋めていた。

私の「いろいろ拾ってしまうアンテナ」が反応したのは
店員さんが全てベトナム人だったこと。
店長さんは、日本人の方で熱い厨房の中で、
調理に奔走しながら、店内にも目を配っていらっしゃる。

隣で、頭にタオルを巻いて懸命に調理する男性もベトナムの方。
店内で元気よく接客して、料理を運び、
手際よく片付けて、次々と入ってくるお客さんを誘導する。

このチェーン店の別の店舗でも
同様に外国人店員さんが働いている姿を見かけたことはあったけれど、
(私がみたところ)全ての店員さんが日本人でなかったことは初めて。

私たちへの対応も他のテーブルでの対話もすごく円滑で、
日本語の発音も澱みない。一語一語を丁寧に発音しているので、
聞き取りやすい。
居酒屋業海風の挨拶もとても自然。

店員さん同士の会話は時々、早口のベトナム語なのだけれど、
その響きもまた私には心地良い。(しばらく一生懸命ベトナム語を
勉強したが、中級くらいで停止中。また再開したいな、と思いつつ)

他のお客さんに聞いて回った訳ではないものの、
店内の空気は、数ヶ月前に来店した時と何ら変わりなく。
あの時は、このお店は1人も外国人がいなかったように記憶している。

今年の3月まで大学院で研究していたテーマは、
ベトナム人介護福祉士に関するものだったので、
日本の飲食店で働くベトナム人の状況を詳しくは知らない。

しかし、ベトナムの若者たちが育ってきた国や文化、慣習、
他者への尊重などについては、多少知っているつもり。

予期せず、久しぶりに、彼ら彼女らのホスピタリティにどっぷり浸かる時間を
持つことができた。

少しだけ宿題を残すことになったのは、
「あまりにも自然な空間であることは、喜ばしいことなのか」ということ。

母国を離れて、はるばる来日し、日本語や仕事のやり方を必死で習得して、
身を粉にして働く人々が、お店にしっくり馴染んで、客側も
違和感なく食事ができる、のはとても素晴らしいこと。
彼女ら、彼らの努力の賜物であり、受け入れ企業の皆さんの懇切丁寧な
指導のおかげ。

でも、「日本人のように仕事ができるから」ということで、
彼ら彼女らの存在に気づかなくなってしまうのはどうなんだろう。

それが「共生」の最終目標としていいのか。
いやいや、いくら日本社会に馴染んだとはいえ、
母国で培われたアイデンティティは、普遍。
きっと異国の地で、「外国から来た人という感覚」を
日々感じているに違いない。そうであれば、やはり何らかの配慮が必要か。

そんなふうにグルグル考える。

この話題も、多くの人と議論してみたい、
と思いつつ・・・・



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