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現実疲れ

「家族の大切さって、失ってわかるものの代表格だから・・・」

2022年の深夜に放送されていたドラマ「個人差あります」で、部長が言ってた言葉なんですが・・・

あのドラマを興味津々観ていた自分自身が実際に「家族を失った身分」になって、この言葉の意味を大なり小なり理解させられる日が本当に来るとは、何をかいわんやといった感じで・・・。

「家族」もとい、元・パートナー氏を失って約3ヶ月。
「選択的シングルMtX」になったなっつんのシングルな日々はいったいいつまでつづくのやらといった感じで。「ありがたみ」や「大切さ」というか、「妙な空間」みたいなものに苛まれているってのがホントのところかもしれませんね(´・ω・`)

日々、ホルモン剤をみっちり入れてるくせに依然、性欲ばっかりべらぼうに強いこの体。もうイライラするというか泣きたくなるというか?
まだ見ぬ(?)というか、一生見えないであろう「誰か」に追い掛け回されてるような感覚。そんなSFな世界(F先生的な)、もとい奇妙な世界に知らないうちに迷い込んじゃってるような、まさにそんな感じと言ったところなのかな?って思えてならないのです。

だからと言って、元・パートナー氏とヨリを戻すことは倫理上許されることじゃないって話は理解できるし、今すぐにでも新しいパートナーを作りたいのか?と聞かれると「その質問、答えなくちゃダメっスか?」って答え方しかできない現状のなっつん。

『もういっそのこと、何かのはずみで本当に異性化でもしてくれないもんかねぇ?そうすればこの悩みも丸く収まるんじゃね???』

な~んて、あのドラマが放送されてた2年前から毎週土曜日(日曜の深夜)がくるたんびにそんな思いを巡らせていたものでしたが、しょせんマンガの世界の作り話にすぎず。。。

いや待て!?
自分の性別・性認識のありかたを漠然とながら考えさせられるきっかけになったのが「個人差あります」だったり「君の顔では泣けない」だったりするわけだよね(;´・ω・)

2年前は元・パートナー氏が許してくれなかったからそんなこと、わずかながらでも考えることもできなかったけど、今になって仙台や地元のLGBTの集会に参加したり、セクマイの仲間を増やすきっかけづくりを進めたりしてる根幹にあるのがあのドラマや小説の「ファンタジー」の世界にあったりするのかもしんないよね(´・ω・`)

まぁ、妄想ばかりが正義と思わないことを大事にしていたいもんだけど、現実疲れを多少なりとも感じつつある今のなっつん。この先一体どうなることやら。。。


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