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番外編_物語の好きなところ

私が本が好きだと言うことは散々お話ししましたね。

読書が好き、と言うよりも本が好き、です。読書量自体は大したことはありませんし、なんなら内容が全然入ってこないこともザラです。二次創作はたくさん読めるのに不思議だなぁ。

そうですね、物語が好き、と言い換えてもいいかも。その中でも馴染みがあるのが本という媒体なわけです。

では、物語のどんなところが好きで、落ち着くのか。もうちょっと突っ込んで考えてみたいと思います。

私が明確に物語の好きなところを意識したのは数年前でした。

当時少年ジャンプで連載していた漫画「銀魂」が終了カウントダウンを始めました。私が小学二年生の頃にアニメが始まった漫画です。

私が馴染みがあったのはアニメの方でしたが、こち亀みたいにずーっとそこにあるんだろうな、と根拠もなく思っていた漫画の終了予告に、自分でも驚くほど動揺したのを覚えています。

嘘、やだ、待って、置いていかないで!

裏切られたような、捨てられるような感覚でした。

作者の空知先生は「漫画が終わるときの置いていかれる感覚が嫌で、置いていく側になってやろうと思った」というコメントを残していると言います。私はまさにその置いていかれる側になってしまったというわけです。

既に連載終了した漫画を好きになることの多かった私には、リアルタイムで読んでいた、しかも子供の頃から長いこと寄り添ってきた漫画が終了することに慣れていませんでした。

まぁ銀魂はなんだかんだずるずる延長してくれたので、その間に心の整理がついたのですが。なんでしょうね、この余命宣告より頑張ってくれた祖母みたいな感覚。

それはさておき、このとき私は物語について考えることになりました。なんで私はこんなに悲しんでいるのだろう、と。

漫画が終了したところで既に出ているものが消えるわけでもないのに、なぜ私はこんな、身内が死んでしまうような感覚になるのだろう、と。

皆さんは、物語を読むとき、どんな視点で、あるいは立ち位置で読んでいますか?

私は「別の世界の事象を覗き窓から覗き込んでいる」感覚だろうか、と思っています。これは私が二次創作をするときにも考えていることです。

私たちとは全く違う世界があって、その中であるキャラクターの日常だけが見れるように切り抜かれた窓があります。それを私たちは覗き込み、ちょっとだけ共有するのです。

もちろん主人公たちの周り、あるいは漫画として表現されている場面はとても限定されていて、その窓の向こうには私たちの知らない無数の出来事や世界が地続きになっています。私は二次創作ではその地続きを考えるのが好きだし、そういうものを読みたくなります。スピンオフに近いのかもしれません。

そして「リアルタイムの漫画が終了する」ということは、その窓がもう二度と開かないということなのかな、と思いました。

銀魂の終了予告のとき、私は銀さんに覗き見がバレて、にぃっと笑われ「ここまでだよ」と窓を閉められたような気持ちになったのです。そしてその窓はもう二度と開かれず、窓の向こうで過ぎ去っていく彼らの日常はそこにあるはずなのに、とんでもなく面白くて、幸せで、素晴らしいもののはずなのに、私にはもう二度と知ることができないのです。

これが置いていかれた、見捨てられた、という気持ちの正体でした。


さて、これではまるで私が漫画が非常に苦手なように思えてしまいますね。そんなことは全然ありません。

この「リアルタイム」が本当に苦手な反面で、私は「単行本の普遍性」に非常に魅力を感じています。私が本当に好きなのはこの「普遍性」です。

本は、開けばいつでもその場面を見せてくれます。

7巻でピンピンしていたキャラクターが8巻で死んでしまっても、7巻に戻れば彼、あるいは彼女はまた息を吹き返します。その場面には先の苦しみ、悲しみは一切関与しません。

別の世界の幸せが切り取られたまま、永遠にそこにいるのです。

そして漫画の前後だけではありません。私たちの生活も、時間の経過も、単行本には一切影響しません。

十年前に買った漫画の一番好きな場面は十年後も変わらずに私を迎えてくれます。私の周囲がどれだけ変わってしまっても、私の当時の思い出ごと、変わらない姿で私を迎えてくれます。

それは本かもしれないし、アニメかもしれません。映画かもしれないし、写真やアルバムなのかも。同じことを場所や物で感じる人もいるのかも。

どちらにせよそれらは「切り離されたもの」として永遠にそこに滞在しています。

まるで実家のように落ち着きます。私にはそれが本当に安らぎになるのです。

だからでしょうか。最近子供の頃に好きだったものを見てとても慰められます。失礼かもしれませんが、ストーリーそのものがとても心に染みるとか、そういうわけではありません。ただただ私の心が「当時の自分」を取り戻して慰められるのです。

例えば古いポケモン映画があります。私は当時幼稚園だか小学生高ですが、当時は今のように将来や就職活動に対する不安なんて微塵もなく、いつまでも父母がいて、何にも不安なんてなく生きていけていました。

そのころの自分の安心感みたいな、そういう穏やかな気持ちを思い出せるのです。実際に不安が解消されたわけでも、問題が解決するわけでもありません。でもHPが回復するみたいに、なんとなくゲージが回復していく感覚を覚えます。

いつか私が一人ぼっちになって何もかも失っても、私があのとき感じていた幸福や思い出を物語が大切にとっておいてくれます。旧友みたいな顔で受け入れてくれます。こんなことがあったよね、と物語と一緒に語りかけてくれます。

私は物語が好きです。古くからの友人として、アルバムのような幸せの記憶のファクターとして。

それからもちろん、自分の心を豊かにしてくれる娯楽として。


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