見出し画像

東大の弱者男性騒動考察 「怒りに飢えるというコト」

レイワ4年7月28日 UTTLに激震が走る。
こちらのタテカンをご覧いただきたい。

チー牛がいる。
チー牛「我々に婚姻の自由を生殖の自由を奪うな」
一見すると、よくツイッターで見られる非モテチー牛と、そのチー牛をエンパワメント、おそらくだがこの文脈では「強者男性化」させるが適切な表現だろう、という非モテ左翼のよくある悪ふざけネタだろう。
この立て看板が、今日本の最高頭脳を結集する、学問の学び舎、UTTLで大論争を巻き起こしているのである。
競争の発端はこうだ。UTTLの女子ツイッタラーがこの立て看板には弱者男性にあてがわれる女性が存在し、その女性の立場を考えてみたら非常に差別的な立て看板であり即刻削除すべきという主張なのである。女子学生は立て看板の表現からただでさえ男女比率の低い東京大学において、ミソジニー的な言説を認めることにより男女差別がさらに加熱するから、差別主義者には言論の自由は必要ない、立て看板を即刻撤去せよと大学当局に「要請」している。
果たしてそうだろうか。女子学生、立て看板を作ったバラモン左翼、一般UTTL&部外者を冷笑俯瞰してみる。何度も言うが、18,19歳の日本最高峰の頭脳を誇る集団が、夏休みに突入しているというのに真面目な顔をしてチー牛の立て看板について「議論」してて良いのか。
アカデミア特有の反対意見=冷笑認定のお作法が悪ノリホモソバラモン左翼に向いたときに発生する一種の「バグ」を

ご堪能ください

女子学生の主張 立て看板は非常に差別的な内容であるから言論の自由を剥奪しろ

立て看板は非常に差別的な内容?であるから、このような発言を行う集団には言論の自由は認められないので、大学や自治会は即刻に立て看板を撤去することで、大学内の治安を維持せよと発狂している。しかし、言論の自由と表現規制のだいそれた話をする前に言いたい、これ女子関係ある?
そもそも、本立て看板はチー牛をネタにしているのであって、女性の出てくる幕はない。そして、女性からも相手にされない、男性からも相手にされない弱者男性の不幸を嘆いている主張である。ここに対して、女をあてがえというのか、ミソジニーなどといっただいそれた言葉を持ち込むのは短絡的回路であろう。文字通りお呼びでないのだ。次に、自分たちに対して不利な言論があったとして、その言論を差別主義?とかいうご自分のお仲間の中の恣意的なものさしで定義して言論弾圧するのはいかがなものか。つい最近まで、言論に対して暴力で戦ってはいけないと湧き上がっていた我が国の世論において、本来は敵対組織であるはずの大学当局に都合のいいときだけ「撤去」を求めるのであれば、かつて自由な言論が許されなかった時代から文字通り命をかけて言論の自由を守り抜いた先人に顔向けできないのではないか。彼女たちのツイートを見ていると、怒りの瞬発力という興味深い言説を確認できた。おそらくだが、理不尽な行いをされたときにすぐカッとなってキレることで、抑圧された女性像を実現したいと考えているのかもしれないが、日常生活でいきなりキレる人は当たり前だが周囲の人から距離をとあられる。常に怒れるように準備しているということは裏を返せば、常に怒る種を探していると言うことだから、怒りに飢えているのだ。

立て看板を作ったバラモン左翼の主張

おそらく、この立て看板を作ったのは都内中高一貫卒の非モテチー牛が自虐を込めて立て看板を設置したのであろう。そして、今回の騒動を見てほくそ笑んでいるだろう。なぜなら、18,19歳の日本最高峰の頭脳を誇る集団が、夏休みに突入しているというのに真面目な顔をしてチー牛の立て看板について「議論」しているんだから・・・
大学において立て看板を立てる学生は、もっぱら左翼系の学生が多い。その中でも男子高卒でホモソーシャルな環境で育ってきたある意味で女嫌いのインセル的な左翼が立て看板を作成していた場合、その左翼の中で大規模な内ゲバが発生して、周囲を巻き込んだ炎上騒動に発展する。ネタをネタで済ますなと言いたい気持ちもわからんでもないが、つい最近まで国葬反対の立て看板を大壮に掲げて反勢力運動していた団体が、いざ弱者男性の立て看板で怒りに飢える集団の餌食になってしまうというバグが生じている。左翼はジェンダー戦士を抱え込んだせいで、常に男女間の対立という時限爆弾をはらむようになってしまった。ほんとうの意味で弱者男性とは、資本主義社会でも勝利できず、理想論の共産主義をホモソーシャルな環境で語り合い、挙句の果てに自虐した立て看板ですら差別的・ミソジニーだと批判され、恣意的な基準・自分ルールで差別的(だと思った)な言説ならいくらでもキャンセルして良い「存在」に成り下がっている立て看板作成者やUTTLのバラモン左翼なのではないか。

一般学生・他大学の生徒 まーた左翼が内ゲバしてる

一般学生他大学の学生の考えはこうだ。立て看板を作る学生は思想に濃淡はあれど軒並み左翼系学生である。だからこそ普通の人は近づかないし、ネタはネタとして扱ったりそもそもスルーする。なぜなら左翼は大衆の中で話題になる行為を行うことではじめてプロパガンダが成功するからである。
タイムラインを見てても、そもそも国葬反対の立て看板ぐらいから、駒場において政治的主張(その多くは左翼系)をする行為を疎ましく思っている学生は多く存在していて、今回のチー牛事変もジェンダー系の左翼と、ホモソ都内男子高卒バラモン左翼の内ゲバとしか映らないのだ。

そもそも差別なのかこれ

そもそも差別というからには、被害者が存在するはずだがこの立て看板において差別されているのはチー牛ただ一人で、そもそも弱者男性は人間扱いされていないから差別の被害者足り得ない。そこで、新たな被害者として持ち出したのが不幸にも()このチーズ牛丼と婚約()させられる「女性」という妄想で、怒りに飢えた集団が叩いたのだと思う。しかしながら、ほんとうの意味で差別的なのは、このチー牛と婚約させられる女性が可愛そうだと湧き上がっている方の集団なのではないか。もっとも、このチー牛はあくまで絵であり、実在する人物ではないのだから差別など存在しないのだが。

仮に差別(恣意的な被害妄想による物差し)だとして不快だから言論の自由を制限していいのか

差別だ!(マイルール) だから規制しろ!(謎理論)は果たして通るのかという疑問。今まで、さんざん大学当局や政権、オリンピックアスリートに対して差別的な言説を繰り返してきたバラモン左翼たちが、ここになって自分ルールで不快だから差別で、差別だから撤去しろという意見は通るのか。まず本件は差別ではない、次に差別認定という魔法の言葉で本件立て看板を撤去して良いのなら、それこそ全体主義ではないか。独裁主義ではないのか。この立て看板の言葉を借りるなら、ジェンダーはそんなに偉いのか。

スポーツ選手への差別ではないのか


結論:左翼も立て看板が人を不快にすることはよくわかっただろ、立て看板全面禁止しろ

政治的なお気持ち表明を左翼の中でパス回しできる時代はもう終わったんだよ。自分たちだけが楽しんで、表現の自由やら差別やらの定義を恣意的にこねくり回して、別にお呼びでないのにネタを拡大解釈して延焼させようとする芸風は大衆に知れ渡ってしまうんだよ。本件問題においてネタにされて虐げられているのはあくまでチー牛であって、無理やりジェンダー問題に帰結されても一般学生は困惑するのみである。今一度、本問題で罰ゲーム扱いされて、人間扱いされていないチー牛くんの人権について考え直すのもよいだろう。
左翼的な発言で大多数の大学生を不快にする立て看板は東大京大含めてキャンパスの景観や生徒の精神衛生上ふさわしくないので即刻全面規制すべきだろう。

追記:都合の悪い意見は全部冷笑・新自由主義なのか

今回の騒動で一つ違和感を覚えたことがある。別に今回の騒動に限ったわけではないのだが、左翼界隈、自分にとって都合の悪い意見や反対意見を何でもかんでも冷笑系とかネオリベ認定しすぎじゃないですかw
粗い言葉の仕様を繰り返すと、恣意的な差別物差しみたいな自分の中の自分ルールが知らん間に肥大化して大変なことなりまっせという箴言をしたい。
間違っていることは間違っている、正しいことは正しいと胸を張って言える社会が到達するためにも、自分に対して批判的な存在を冷笑や新自由主義と言ったわかりやすいワードに代入するのは控えたほうが良い。


よろしければサポートお願いします。発狂の足しにします。^^