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04. 線を引く 私とあなたの間に

あの頃は自分の周りで起こっていることが、世界の全てだった。

ある朝、学校に行ったら冷たい視線が集まるようになった。
あの子がなんで機嫌を損ねたのか分からない。どうすればいいのか知りたくても、口すら利いてもらえなかった。日々目まぐるしく変わっていく女子たちの派閥争いの中で、私はとにかく平和に笑ってバスケをして過ごしていたいというのほほんタイプだった。が、そんな私に平和でない日常が訪れてしまった。

「どっちにもいい顔するから(腹が立つ)」

あっという間に私は、意識したこともなかったカースト外へ突き落とされたらしい。昔から仲良くしてきた友達と楽しく学校生活を送りたいだけ、仲間とただバスケを頑張りたいだけ。あの頃のことは今以上に不器用で素直な分、とても深刻に人間関係に悩んだ辛い思い出として残っている。

大人になった今、当時の自分にアドバイスをすることはできるだろう。ただ、振り返ってみると、あの時はとことん悩んで正解だったとも思う。不器用なりに、随分と深刻に悩んだからこそ今の私があるはずだから。

私とあなたの間にある線

大人になったとて、いろんな種類の人たちと出会って、ひっついたり離れたりを繰り返していく。それが幸せを運んでくることもあれば、相変わらずその絡み合う複雑さに悩まされることだって山ほどある。

そのなかでも親友とか、家族や恋人のような心を許した人。

そういう人達との間に線を引いているという感覚は、なかった。というか、あり得なすぎて意識したことがほとんどない。線を引くって嫌いってこと?避けてるってこと?いや、そんなわけない。

でも、私はふと思った。
大人になってから先輩後輩で出会った大の親友。今ではすぐに分かる彼女のことも、初めは何も知らなかったよなぁと。

私たちは似た者同士だからか一緒に昭和歌謡を口ずさんだり、食堂の酢豚に喜んだり。頑張ったご褒美には美味しいスイーツを買って帰るし、お互いの苦労話に涙を流し合うこともある。でも彼女とは家族構成が違えば、好きなバンドも違うし、出会ってきた人もまるで違う。彼女は私が決断するまで多くを聞かずに待ってくれて、私は彼女が頭の整理がつくまでとことん話を聞いてあげるとか。

私と彼女、二人の間には私たちなりの境界線がある。
それがはっきり分かるようになるまで、お互いに自分のことも相手のこともよく知り尽くしてきた。

「ああ、私と違ってこんなことに気づけるのか」
「うわっ、これ好きな気持ちめっちゃ分かる!」
「あれは完全にテンション下がってる顔」
「私的にはこっち派なんだけどな」

こうやって気付いて、寄り添っては少し引いて、話したり、聞いたりしてきたから今の関係性がある。もちろん交わるところもあるけれど、全く違う方向にも伸びていくいびつな線がたっくさんある。意識していないだけで、線を引いていたんだ。


線の向こう側のあなたとこちら側の私

線は時に自分と相手を分ける役割を果たしてくれる。
遠ざけるわけでも、隔てるわけでもなく、私たちが異なる人間だということを分かりやすくするために、ただそこに存在するといったところ。

けれども、
引かれている線を無視して、相手に依存してしまうこともある。
線を引かずに、自分にも相手にも無関心で通り過ぎることだってできる。

私たちは線を引きながら、相手を思いやることを知り、それと同時に自分にやさしさを向ける術を知るのだ。「あなたが行くところへ全部ついて行く」では足が棒になるまで歩き続けても、最後に手にするのは虚しさかもしれない。「あなたはなぜそこに行くの?」と問うてみたら、「私の行きたいところと同じね」と話が続けられるかもしれない。

また時が経てば、どちらかが違うところへ行きたいと言い出すこともあるだろう。そう、人は変わりゆく生き物だから、線も増えたり、カタチを変えたりしてゆくんだと思う。

私とあなたの間の線は、お互いをよく知り、やさしくあるために必要な線なのだ。


nattun.
Instagram: @imnattun_

〈参考〉보통의 언어들 / 김이나(ふつうの言語 / キム・イナ)

・・・
私の人生は私にしか生きられない、
そんな想いをのせた言葉たちです。

「きみよがり」な自分に気づいたときに
ただそこに「線を引く」
それでいい。


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