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片付けながら

片付けがとても苦手だけれど、最近は休日のたびにほんのちょっとだけと決めて、ちまちま片づけている。断捨離目的で某フリマアプリを始めたけれど、ぽつぽつと売れるとそれも嬉しくて、亀並みのペースの片付けも地味ながら捗ってる。

本棚や引き出しにあるものを整理していると、そこにはかつての自分が好きだったものや大切にしていたものが溢れかえっていて、懐かしい気持ちになる。だけど、全部は残せないから、ちょっとずつ捨てていく。捨てる基準(というほど明確なものはないけれど)は、ざっくり言うと、この1~2年くらいで果たしてその存在を思い出すことはあったかどうか、にしている。

捨てると決めた時、ものによっては辛い気持ちになる。それは思い出を手放すようで辛いというよりも、かつての自分が好きだったものが、今ではもうそこまで好きではなくなってしまったことに対して、なんだか辛いというか、寂しく感じるからである。

今日は本棚の一部と、机の引き出しの一部の片付けに取り掛かろうと思った。引き出しの一部には、私がかつて好きだった絵を描くことに関連する道具が仕舞ってある。当時描いた絵は今でも気に入っていて、ノートをぱらぱらと捲ってみた。日付けを見たら最後に描いたのは、もう3年も前だった。

本棚は、奥に仕舞っていた漫画を取り出してみた。数年前までよく読んでいた漫画だったけれど、あまりときめかなかった。たしかに好きだったし、話の内容も絵も素晴らしいと感じていたものだけれど、どこか他所の家の本棚を見ているような、そんな気持ちになった。これはもう手放してもいいのかもしれない、と思った。

片付けの結果、漫画は売ることにした。絵の道具は、捨てきれず一旦引き出しに戻した。私の趣味と言えば、絵を描くこと、漫画を読むことだったはずなのに、自分を構成していたと思っていた趣味はいつの間にか自分の中からいなくなっていて、それが少しショックだった。そしてそれ以上に、いなくなっても平気で今まで過ごせている自分に、なんだかちょっとがっかりしたような、悲しくなったような、冒頭で言った、辛いような寂しいような気持ちになった。

本棚には、漫画意外にも雑誌や小説があるけれど、小説だけは、昔から変わらない趣味かもしれないと思う。小さい頃は、小説というほどの本は読んでいなかったように思うけれど、絵を描くこと、漫画を読むことと同じくらいずっと、小説を読んできたように思う。大人になってからのほうが、よりのめり込んで読んでいるかもしれない。多分これからもきっと、たくさんのことが変わっていくだろうけれど、その中で小説を読むことだけは、失われないのかもしれないと、はたと思った。

かつて好きだったものたち、かつての私が愛したものたちが、今はもう必要ではなくなったかもしれなくても、確かにその時、私はその存在に救われ、支えられ、そうやって私が作られてきた。その分、変わらず今も好きなものたちや新しいものたちが、これからの私を作っていっていくれるのだろうと思う。

かつて好きだったけれど今はもうどこかへ行ってしまったものが、いつか戻ってくる日が来たら、いらっしゃいませーとまた迎え入れたいと思う。その日まで、しばしの間お別れである。

片付けを通じて、自分は何者だったのかを知る。そんな休日。


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