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愚直

今はまだ時期ではないから、もう少し待ってて、とか。もうすぐ時期になるから、その時は声を掛けるから、とか。そういう言葉に弱い。
そうすると、私は「時期っていつだろう」と思いながらも、じっと待ってしまうのである。明確な時期が分からないけれど、時期になったら呼ばれるはずだからと思って。

けれど実際には、呼ばれないことはままある。呼ばれずに「今回は縁が無かった」というような、遠回しなお断りや落選を告げられる。それはショックでありながらもまだダメージは少ないほうで、酷い時は当事者では無い人から回りまわって知らさせる(そういえば、あの件無くなったらしいよ、とサラッと聞かされる)ようなこともあって、そんなときは「いや、なんやねんそれ」と、関西人ではないのに心の中で関西弁を呟くくらいには、地味にショックを受ける。

というようなことが仕事であった。夏に提案した時「今は時期ではないけれど、秋になったら検討する予定だ。また声をかけるから」と言われ、そのままきっかり秋になるまで待っていたら、他社の提案で決まったことを、別の担当者からうっかり聞かされるという、ショックを受けるお手本のようなコテコテなパターンを経験した。これでいて営業職なわけだから、いかに自分が営業という職種に向いていないかが分かる。ブラック企業だったら、詰められて職場から帰らせてもらえないかもしれない(偏見)。

ショックである。失注したこともだけれど、きっかり秋になるまで待っていた自分の愚かさに、何よりもショックである。

今回のことに限らず、私はどうも、待っていてと言われるとひたむきに待ってしまうところがある。ひたむきと言うと、すごくまっすぐで良さそうな感じがするけれど、実際にはこのせいで仕事になっていたかもしれないものを取りこぼしているわけで、決して良いものとは言えない(かといって、悪いと断言するものでもないけれど)。

待っているのは、その人のことを信じているから。というものであれば、良いのかもしれない。けれど私の場合は、そんな真っ直ぐな気持ちではなく、単純に自分から行くことが出来ないだけで、ただ待っていることしかできないというのもあるし、どうなの?どうなの?と尋ねることで、うざったいと思われるのが怖いからとりあえず待っているというのもあるし、要は傷つきたくないのだと思う。

でも結局、待っていても傷ついとるやんけ、と、関西弁でつっこむ自分がいる。どっちにしても傷つくときは傷つくのである。

そういえば、私に営業をかけてくるとある会社の方は、月に2度ほど、しつこいくらいに電話をしてくる。必要になったらこちらから声をかけますと言っていても、月に2度ほどの電話は欠かさないのである。だんだんとうっとうしくなって、今は電話に出ないこともある(そのうち半分くらいは、外回りの移動中だったり商談中だったりで、本当に出られないこともある)。私はそこまでグイグイは行けないけれど、世の中には確かにこういう人もいるので、ちょっと前に出るくらいだったら、多分、傷ついてもかすり傷程度なんじゃないかと思う。実際この人は、私からしたら大火傷のように思えるけれど、人それぞれ耐性が異なるから、私にちょっと電話を無視されたところで、かすり傷程度なのかもしれない。多分仕事だけじゃなくて、何においてもそうなんだろうと思う。

明日からすぐに前に出られるわけではないけれど、待っていても傷つくなら、前に出て傷つくのもありなんじゃないか、というメンタルで仕事をやってみることにする。ずっとずっと営業は嫌いだけれど、この仕事をやると決めてやっている以上は、どうにかこうにか頑張りたいとはずっとずっと思っているので、未だに新人のようなメソメソしたメンタルを持っている自分を奮い立たせたくて、つらつら書いている。嫌だけれど、メンタル弱っちいけれど、どうにかこうにか頑張りたい気持ちはあるのである。でも、グイグイ行けないところも、弱っちいところも、やっぱりそれは私なわけで、私はこういう私でしか歩めないことも知っている。

その上で、それでも待つことを選ぶのなら、良い意味で愚直であれと思う。愚直、という言葉が、果たして良い意味で使っていいのかは少し悩むところだけれど。

明日もほどほどに。


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