「身銭を切れ」について。プロローグその2 の3
この本を、思いっきり根気よく。ゆっくりまとめていこうと思います。
多様な世の中。どんな世界で生きていても大切なたった1つの行動規範について書かれた本です。
※身銭を切る=自分自身が金銭的な負担やリスクを負うこと。
ですが読んでると、金銭的な意味だけでなく、下手すりゃ命もって感じなので、雰囲気とすれば、自分自身がリスクを負うって感じかもしれません。
プロローグその2
「対称性の簡単なおさらい」
プロローグが長いですが、何とか終わらせようかと。
今回のテーマは、予測と合理的と近代主義と。です。
・予測
行動大事!!からの流れです。
予測って大体言葉によるものなので、ある程度無視しちゃってかまわないと。
死ぬとか、ヤバい事にならない限り、予測を間違えるのはかまわない。
試行錯誤のメカニズムになるので。
予測を的中させたときにどれだけ儲けるかってのは大事。
・合理的とは
今まで生き延びてきたものは全て頑健性がある。
身銭を切らないと、その「時の知性」は働きません。
※「時の知性」(時は脆いものを遠慮なく排除。脆くないものの余命は、時がたつことに長くなっていく)
その分、「時の知性」は合理的といえると定義しています。
つまり、合理的とは集団の生存(長く生き延びなければならない実体)を可能にするものである。
いかに馬鹿げた方法や習慣でも、それが有効に機能するなら馬鹿げた方法じゃないって事を語ってます。
・近代主義の批判
ここで近代主義=知性主義
知性主義=行動と結果、理論と実践を切り離すことができ、複雑系を常に権威的な手法(つまり形式的なトップダウンの手法)で修正できるという考え方。
身銭を切らない人たちがトップダウンで物事を決めてる事の不満がありありです。
語るものは実践すべきであり、実践するものだげが語るべき。って例のアレです。
ただ、芸術、数学、哲学、詩とかの、自己完結した活動はいいんじゃないかと。ほら。ベジタリアンな哲学を持つのは良いが、こっちに、押し付けるなってやつに似てますね。
ただ、ベジタリアンは思想で、何より身銭を切ってて別の話になりますが。
・身銭を切らない専門家の弊害
実体験を語ってます。
デザイナーが電車をデザインしてオシャレになったが、コーヒーカップを置く台を、オシャレに傾けてしまったので、コーヒーカップを置けなくなってしまったことを挙げています。
こんなことになる原因が、労働と、労働の成果を切り離してしまってるから。
成果よりも、イメージで報酬を受け取るから。
オリンピックや、万博のドタバタを見てらわかりますが、
身銭を切らない連中の設計した物事はどんどん複雑になっていき、最終的に崩壊すると。
身銭を切ることの効用
・身銭を切っている時の脳。
・身銭を切っていないときの脳。
全く違うと。
身銭を切っていないときの脳から、身銭を切っている時の脳への変化。
普段は辛い退屈な仕事があったとします。
例えば、航空機の安全点検の作業。
もし、その人自身が乗員としてのその飛行機に乗せられることになったとたん、その仕事は退屈でなくなります。
多くの薬物中毒者は知性に乏しいが、
ドラッグを調達するとなると、最高の知恵を搾りだします。
薬物中毒者のそれは少し違いますが、
身銭を切らないと、人は愚鈍になるし、身銭を切った時に得た知識は後々まで残ります。
あと、何より重要なのが、人間の格の問題に関わってくると。
「自分の意見に従ってリスクを冒さない人間は何の価値もない」
特定の種類のリスク・テイクは人間と機械の違いを決める問題であると強い主張をしています。
例としてわかりやすいのが魂を捧げる職人。
どれだけの大金を積まれても絶対にしない類の行動がある人であるべきだと。
・今回の教訓
より具体的に身銭を切ることの有用性が書かれてたパートでした。
個人的には、身銭を切るを軽く考えてて、自分の身になって考える程度でもいいかなって思ってたりしましたが、それでも甘い事に気づきました。
航空機の安全点検の作業のくだりで。
誇りをもって生きるには、身銭を切ることが必要になると。
・・・。その2は終わりましたが、まだプロローグが続くようです。
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