自死と運命:占い師の日記
大変なニュースが駆け巡った。
ある原作者の非業の死。
死、は病気や寿命、事故が原因でない限り、非常に強い<遺志>を持つ。
それは生前の当人がどれだけ遺書をのこしていたところで、膨張して、様々な人を巻き込み、何故か別の誰かが主語となり、受け入れることは難しい。
特に日本では「切腹」の文化があり、所謂、「腹黒いところは、隠してるところはありません」それを「腹を切って、黒いものが無いと見せましょう」という意味で本当に腹を切る。
死に意味がある。末代の子孫が自分のことで恥じず、誇り高く生きるように。
どんな自死にも、非業な、もしかすると当人には自然なことでも(寺山修司の『自殺のススメ』のような)我々は特別な意味を持たせ、最大限の尊重を試みる。
さて、スピリチュアル的に自死とはどういう扱いなのか。
よく、自殺するのは運命なのか、という問いがあるが、大概は生まれた時はそのような運命は無い。いくつもの分岐点を経て、そういう結論となる。
先述の「切腹」した先人たちは、運命であった可能性がある。
ただし、これは現在と歴史や文化が違うので、もし彼らが現代のように全く違うツールで身の潔白を表明できていたら、切腹は選択されなかった可能性が高い。
それは意味を持たせる死、ではなく、あくまでも人生を終わらせるための「手段」と化す。
我々の中で、自死が運命付けられている人はいないと思って良い。
もし、あなたが死を考えているなら、
おそらくそれは自死でなく、社会に、他人に、環境に、殺されそうになっているので、厳密に言えば自死ではない。
さてスピリチュアル的に自殺後は、天国に行くのか、地獄に行くのか、という問いがあるが、
基本的には「天国にも地獄にも行かず、人生の経験値をもとにしかるべき階層に留まるのみ」である。
霊的には自死は、「出来事」でしかなく、それ単体で人生を評価されることは無い。
人生は長さや終わり方でなく、本人の生き様である。そこでしか死後の階層は決まらない。
自死で遺された人は、生きていくのが辛くなり、どうせなら自分も自死を選びたくなると思う。
が、そういうときほど「霊はいるのか」を真剣に、そして、合理的に、シンプルに考えてみると良い。
また、自死した人の生前の温かさを思い出せれば、鉛を足につけたままでも、いつか、その儚く優しく美しく生きた人と逢える。
自分が自死したいあなたは、『自殺のススメ』という本を読んでみると良い。寺山修司。
自殺というのは難しい。何も他因が無い状態で自死するというのは、無理である。
幸せの絶頂、充足感しか無い時に、死を選ぶ。
無理である。それ以外は、何らか他因的な死、すなわち他殺とも言える。
それでいいのか。それでいいのかどうかも解らないなら、わかるまで、ゆっくりと身を横たえて、泣きながら無心に泣きながらいるのが良い。
冒頭の原作者様のご冥福をお祈りいたします。
非常に、痛ましい。
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