見出し画像

キャッシュクリア

 朝テレビのスイッチを入れると、ニュースキャスターが「おはようございます。世界の終わりまであと七日になりました」と言う。
 歯を磨き終えて、手帳を開く。凄まじい情報量に目が眩んだ。
「ぎりぎり、終わるかな……」
若干の不安を、長めの瞬きで振り払う。
 私たちが住む星がそろそろ寿命らしいと知ったのは、五年も前のことだった。星の記憶領域の圧迫やパーツの劣化が原因とのことで、既に近隣の星に引っ越した人も多い。
 実際、私が住んでいる地域にはほとんど人の気配が無かったし、五年前は参拝客でにぎわっていた神社も寂れている。
 パジャマを洗濯機に放り込んで、巫女装束に袖を通す。袴の紐をきゅっと結べば背筋が正される。長く伸ばした髪をかんざしでまとめれば、準備は完了だ。

 この世界は、データで管理されている。
 例えば私は、三人のデータを親としている。三つの価値観が結合されて、第四の新しい価値観としてできたのが私だ。放り投げたパジャマも、腰まで伸ばした髪の毛も、実態はない。
 ただ、自我があるだけだ。
 星が壊れるということは、そこにあるデータ――目に見えるもの全てが消失することを意味する。自我が残ったところで何もできず、ただ気が狂わないように哲学の問題などを延々と考えるしかない。
 しかし神という存在は、その限りではないのだ。
 家のドアを開けて一歩踏み出せば、そこは神社の境内だ。
「わあぁっ……!?」
すると突然、空から花が降ってきた。小さな白い花弁は、さらりと肌をくすぐって落ちる。
「やぁ、おはよう」
思わず閉じた瞼を開ければ、見慣れた顔があった。この神社に祀られている神、命さまだ。穏やかな表情は美しく、その肌が木でできていることを忘れてしまう。いや、木の肌だからこそ、こんなにも美しいのかもしれない。二メートルを軽く超えるその御神体は圧倒的だ。
「…おはようございます、命(みこと)さま」
「うん。今日も早起きして偉いねぇ」
命さまは自身の木の腕をこちらへ伸ばすと、柔らかな形に変形させて、私の頬を包んだ。
「あ、あの、毎日歓迎してくださるのは嬉しいですが、びっくりします」
「ふふ、あはは」
命さまは枝分かれを増やして、まとめた髪の毛に草などを差して遊び始めた。所詮、人の願いなんて神には通じないのだ。
「それより、足の具合はいかがですか」
木の根のような足元が、地中に埋まっている。
「そうだね。昨日ほどいてもらったところが、すーすーしているよ」
「痛くないですか」
「うん、大丈夫みたいだ」
 この足は、境内の中を泳ぐように移動することができる。けれど、その外へは出られない。つまり、この星の終わりが来ても、永遠にここに縛られてしまう。木が枯れても、この場所が無くなってもだ。
「では、今日も失礼します」
「ああ、よろしくね」
 神さまというのは、深く世界と結びついている。世界の枝分かれと言ってもいい。命さまのデータは世界そのもののデータと同じ領域にあるからだ。
御神体と、この世界の境界を分ける。私はこの五年間、それを毎日欠かさずにやってきた。
残りの七日間だって同じことだ。
 などと言ってみるけれど、実際に何をするのかというと、おしゃべりと記録だ。
「そういえばこのお花って、なんて名前なんですか?」
体に積もった花をつまんで見せる。しっとりと慎ましやかな造形はオキザリスに似ているけれど、花弁の枚数が違う。あちらは五枚、しかしこちらには六枚あるのだ。
「名前か。私も知らないんだ。自我ができてすぐの頃、ある人が備えてくれたものなのだけれど」
生まれた瞬間からこの世の全てを知っている命さまは、全知であり全能ではない。自分の中にデータがあっても、それを検索することは苦手らしい。命さま曰く『あなたが吸った酸素が、体のどこにあるか分からないのと同じだよ』とのことだ。
「この花は興味深くてね。思い出したから君にも見せてあげようと思って」
すると、ぽつり、ぽつりと天気雨が降り出した。
「ほら、ごらん」
そう言って命さまは、私の頭に手を伸ばし、花をつまんだ。
「この花はね、雨に濡れると透き通るんだ」
しなやかな木の指先で咲くその花は、花弁の裏にある水滴と光を透かしている。
「きれい……」
「私もそう思う。雨だと人が来なくて退屈だけれど、この花があるときには、そう悪くないと思えたよ。雨祝いの花だ」
「確かに、このお花があると雨が待ち遠しくなりますね」
「うん。私が雨を好きになるのに、この花は欠かせなかった」
なるべく丁寧な文字で、ノートに記す。同時に命さまの記憶領域にアクセスして情報を探る。
この花の名は、サンカヨウ。けれど命さまはこの情報を認識していない。世界から、雨祝いの花を切り離す。こうして純粋な命さまのデータを集めていくのだ。
「あなたは、雨の日でも来てくれるね」
私は笑みを返した。照れくさいような気がしたけれど、私にはそれほど高尚な動機が無かったのだ。ただ、命さまと話がしたいだけなのだった。
「この世界が終わるまで、あと七日なんですって」
とっさに繰り出した話題がこれとは、自分のセンスのなさにはほとほと呆れる。
 しかし命さまは、さして驚いた風でもなく口を開いた。
「七日か。そろそろだね」
今の私にとってはその軽やかさが、なんだか冷たく感じた。
 あと一週間ではきっと、命さまをこの世界と切り離すことは不可能だ。命さまの足が、この世界に絡みついて離れない七日後。私はどうするのだろう。
「あなたはどこへでも行っていいんだよ」
「……命さま?」
突如放たれたその言葉は、私を突き放す拒絶に聞こえる。嫌な方向に思考を巡らせる私に、命さまは穏やかな声で言った。
「この辺りで私は、あなたのことを話す必要があると思うんだ」
その意図が、意味が分からなくてさらに強張る。
 しかし命さまは、涼やかな声音で話し始める。
「あなたは優しい子だね。雨の日でも話に来てくれるし、次の星にも連れて行ってくれるのだから」
「それは……」
叶うか分からない。叶えられない可能性の方がはるかに高いのだ。
「それからあなたは丁寧な頑張り屋さんで、強い子でもあるね」
「な、なんですか、急に」
「そうだね。私のすることに、よく驚いてくれるところも好きだよ」
「えっ、えっ、ちょっと」
それから命さまは、私の好きなところを連ねてくださった。けれど正直、混乱して、ほとんど覚えていない。
「――いっぱい話して、照れてしまうな」
「……私の方が恥ずかしい思いをしている気がしますよ」
いつもの穏やかな顔で言われても信憑性がないのだ。
「ふふ。私の中にはあなたがいることを伝えたかったんだ。五年もの間、毎日話をしたのだから」
……なんか、私死んだ人みたいじゃないか。お空にいるとかみんなの中にいるとか、そういう類のまやかしだろうか。
「だからね、あなたの中にも私がいるはずだよ」
「それって……」
ここにきてようやく気付く。命さまは、私が新しい星に移行することを望んでいるのだ。
「待ってください、嫌ですよ、命さまと一緒じゃなきゃ私、次の星へなんて……」
「あはは。ほら、以心伝心だ。まだ私が言葉にしていないことを、あなたは知っている。あなたの中にも、ちゃんと私がいる。安心だ」
「そんなの……」
残された時間では、どう見積もっても目的を果たせない。だから、こうして話すことが無価値であると、そう言っているのだろうか。
 私が新しい星に移行すれば、命さまは永遠に一人ぼっちになってしまうのに。
 ――いや。私が、一人ぼっちになるのだ。それが嫌だから、命さまを無理にでも連れて行こうとしているのだ。私のこの醜さに、命さまは気づいてしまったのだろうか。
 すべては私の我儘だ。
 命さまは首を振った。
「あのね。私たちは一方通行ではないんだ。私に干渉したあなたを、私から干渉することもできる」
「え……?」
「あなたが、私のデータを切り貼りできるように、私もあなたのデータを操作できるんだ」
目が覚めたような感覚がした。言われてみれば、そうだ。ただの個人データが神の――世界のデータにアクセスできることが異常だと、なぜ今まで気が付かなかったのだろう。
「私があなたにパスを開いたんだ。私があなたを求めたんだよ。私の為に、あなたは一人ぼっちなんだ」
「そんな、だって、ちゃんと私、命さまを……」
お慕いしています。心から。
「それは私の意志だよ」
意味が、分からない。
「あなたに好きになってもらおうという、私の意志だ」
 私は新しい星に移行する準備にかかった。なるべく情報量を小さくする。削除して、圧縮する。
 そうして私は眠った。深く深く、眠った。

 ぱっと目覚めて。新しい星は綺麗だった。
 まだ情報量が少ないせいか、シンプルでかっこいい街並みだ。
まっさらな空き地で、前の家のデータを呼び起こす。できた家は、記憶にあるのと少し違った。一階建ての長屋で、なにかお店をやっていたんだっけ。もっと、大きかったような気がしたのに。こんなだっただろうか。そのあたりの記憶も、確実に私の中にあるはずなのに、私のどこにあるのか分からないから見つからない。
昔から、頭は良くなかった。なにをするにしても、莫大な時間を掛けなければ処理できなくて、バグマシンとか、変なあだ名を付けられたこともある。
「……」
 雑念を押し流そうと、ひとまずテレビを点けた。適当に、ニュース番組でいい。
『おはようございます。世界の終わりまであと七日になりました』
耳を疑う。
『それでは、この世界での出来事を振り返ってみましょう。私たち人類がこの世界に移行したのは、今から〇〇年前――』

 違う。

 これは、私の意志だ。

「命さまが、いない」

『続いてはスポーツです。二日に行われた電脳サッカーワールドカップ、優勝はパインボム! 高度な計算で練り上げた爆破ににより、絶対王者マクガフィンドールを玉座から引きずり下ろしました!』
テレビを消して、箪笥を開ける。そこには洗いざらしの巫女装束があった。
顔を洗い、歯を磨いて、素早く着替える。髪の毛をかんざしでまとめれば、準備は完了だ。
横開きのドアをがらがらと開けて、一歩踏み出す。
そうすれば――
「ふべばっ!?」
顔面に当たった柔らかな何か。そして口に入った異物。それらをしみじみと味わいながら、目を開く。
 すると目の前には、豊かに葉を携えた樹木があった。
 そしてその奥には。
「――命さま。急に何するんですか、葉っぱ食べちゃいましたよ」
さわさわと樹木が視界から外れて、しなやかな命さまの肌が見えた。
「おはよう」
「おはようございます」
「怒っている?」
「知ってるんじゃないですか」
「私は紳士であり淑女だからね。むやみに人の内側を閲覧したりしないよ」
命さまは、そう言って寂しい顔を作ったので、私は怒るに怒れない。
「命さまなのですか」
その足は地面に触れず、軽やかに空を掻いている。
「うん。あなたが切り取った私だ。すごく軽いよ」
命さまはくるりと宙返りしてみせた。
「すみません。全部きれいに、切り取りたかったのに」
命さまの身体は、随分と小さくなった。二メートルを軽く超えていた背丈だけれど、今では私と同じくらいの背丈にまで縮んでしまった。
「いいんだ。全てなんてできないよ。あなたが大切に思ったところだけでいいんだ。あなたの中に少しの私がいれば。言葉ならこれから、いくらでも重ねられるのだから」
それでもその美しさや威厳は損なうことなく存在していて、私は思わず、その手に触れた。
「それにほら、私はあなたの名前だって知らないしね」
「あれ、本当だ」
そういえば、そうだ。あまりにも初歩的で笑ってしまう。
「それでも私、命さまのことならなるべく全部知りたいのです」
 また、この世界が終わるまで。
私たちの記憶で、感情で、この星が終わるほど話そう。






画像は鍬形様よりお借りしました。夕暮れが今日の不純物を溶かしていく頃と、大切なところ以外いらない神様が通じていると思いました。夕暮れというと、太陽が溶けている場面をよく見ますが、陽光が雲で滲むところ、綺麗です。

※こちらはさなコンに応募した作品です。

最後まで読んでいただけて嬉しいです。ありがとうございます!