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大人が学び続ける意味について考える

前回の記事で、この数ヶ月間私が学んできたことと、その費用、得たものについて書きました。

この記事の中で、個人的なルールとして「約60万円を学びに投資する」ことを設定したとお伝えしましたが、もう一つルールを設定していました。それは

「学ぶ内容が現在の仕事に直結するとは思えなくても、面白そうと感情が動いたら申し込んでしまうこと」

ことです。

例えばここ数ヶ月の学びに関していうと、キャリア教育プログラムには直近の実務にすぐ生かせるスキルを求めたわけではなく、デザイン経営講座のスタート時点では、仕事に直結するイメージは掴めていませんでした。またオンラインコミュニティで学んでいる個人の学びの振り返り方や、これから始まる対話型鑑賞ファシリテーターに至っては、もはや「面白そうだから」「自分にとって役立ちそうだから」という感情優先の選択でした。

これからこのルールを設定した理由を3つお伝えします。



仕事以外の「自分らしさ」がわかるから

社会に出て、仕事をし家庭を持つようになると、職場や家庭での役割=その人の社会でのアイデンティティとなり、自己紹介をする際にも「初めましてOO株式会社のOOです。現在は妻と息子の3人暮らしです」というように、職業や家族構成が冒頭に登場しがちになります。

ただし上記はあくまでも「役割」なので、本来の自己紹介をするのであれば次に自分の「内面」を伝えるために何が登場するか・・が重要なのなのですが、もしも自分の興味に従って、何かを学んでいるのであればそれがスッと言葉になるはずです。

ちなみに冒頭の「60万円ルール」により、金額的な学びのハードルが上がっていそうなのですが、個人の状況に応じて学びへの投資金額は変えていけばいいと思っていて、図書館で本を借りる、ニュースアプリで記事を読む、音声メディアを聞く、など方法は人それぞれで構わないと思います。その上で気に入った作者の本やnoteを購入してみる、オンラインサロンに入会してみる、セミナーに出かけてみる、で徐々に投資金額を増やしていってもいいでしょう。ただ、月に5000円~1万円を払うだけでも豊富なコンテンツにアクセスできると思います。

現在の職場でも学べることは多いし、子育てを通して様々なことを学んでいるので、プラスアルファの学びは必要ない・・という意見もあると思いますが、私はそもそも職場・家庭環境は永遠に同じ状態で継続しないと思っています。やむを得ない事情で転職しなくてはいけないかもしれないですし、会社方針で自分の部署異動もあり得ます。子供はいつか巣立ちます。パートナーとの死別もあり得ます。

その変化までに能動的に、自分の興味関心をもとに、学ぶことを選択し続けていないと、果たして自分は何が好きで、どんな興味のもとに行動し、生きているのか=どんな人なのかを言語化できなくなってしまうと思います。


趣味を2倍楽しむことができるから

日々生活をしていると、自分が何をしている時が楽しいのか、について改めて考えることって少ないですよね。先程の例と同じように自己紹介を例えにすると、職業・家族構成の次に「趣味」が登場しがちかと思うのですが、私はその趣味が「アウトプット行動」なのか「インプット行動」何かに着目して、聞くことが多いです。例えば以下のような感じです。

  • アウトプット行動:絵を描く、筋トレをする、ブログを書くなどの何かを生み出す行為

  • インプット行動:読書、映画鑑賞、アマプラやネトフリ鑑賞など、誰かが作ったもので楽しむ行為

体感として大体3:7くらいでインプット行動が登場する割合が高いなという印象ですが、そういう私の趣味もアート鑑賞や読書なので、後者に入ります。最近は様々なプラットフォームで、10年前に比べてはるかに安価で簡単に様々なコンテンツにアクセスできるようにもなりました。ただこのインプット行動は、「クリエイターの創造物の消費行動」とも言い換えることができ、消費しきったらその次を探し続けることになります。ネット配信などでエンターテイメントへのアクセスが容易になった最近であれば、なおさらその消費は終わりがありません。

その中であまりにインプット行動に徹してしまうと、「他人の創造物=自分の人生の楽しみ」となり個性が埋没してしまうと思っています。

そこで重要なのが「学びを意識すること」です。
インプット行動を経て、そのコンテンツから何を学べたのかを考え、文章にまとめたり、頭でイメージし、できれば誰かと共有することで、自分では気づかなかった視点からそのコンテンツの特徴や素晴らしさを再発見できるかもしれません。

例えば、「感動した」「面白かった」「考えさせられた」という言葉で終わらせるのではなくて

・どういうポイント(場面)でそう思ったのか
・そのコンテンツが訴えたいメッセージはなんだったのか、それを経て自分は何を学んだのか
・これまでにも同じ感想を持ったコンテンツはあったか、その場合どんな共通点があるか

等に落とし込んで考えてみて、自分の感想を今一度明確してみる。それをまず自分の家族や友人など身の回りの人に話してみる。あまり興味を持ってもらえなかったらまた別の方に話すか、Twitterやnoteで短文でもいいので発信してみる。こうして折角の素晴らしいコンテンツとの出会いを、インプット⇨学びの抽出⇨アウトプットに転換し、他者の反応や意見をフィードバックしてもらうことで2倍楽しむことができます。

私の場合、アウトプットに転換する行為が非常に不足しているなーと感じていたので、今回選んだ学びの機会は全て「他者との意見交換や協働」かに着目もしていました。


同僚・家族以外の繋がりを増やすことができるから

平均寿命があと80歳として、人生であと何人の人に出会えるでしょう。自分には既に十分な友達がいると思うのであればそれまでですが、果たしてその友達は自分にプラスの影響を与えてくれる存在でしょうか。ある一時とても仲が深まった間柄でも、お互いの人生ステージが進むにつれて少しずつ置かれている状況が変わり、疎遠になることはしばしばでそれは致し方ないことですが、だからこそ今の周りの人脈だけで生きていくのはあまりにリスキーですし、自分以外に60億人も人がいるのにもったいないことだなと思います。

前章でお話ししたように「アウトプット」を意識して学びの場を探していくと、必然的に他者との出会いが待っています。そしてそこで出会った人とは、興味・関心が似ていることで一定の連帯感が存在します。また多少年齢の違いがあったとしても、学びという目的のもと集まっていれば、対等な立場で意見交換ができるのもメリットです。

また多様な職業・年齢・立場の方との出会いにより、様々な価値観と触れ合うことになり、時にその違いに驚いたり戸惑いますが、挫けず続けることで「自分の意見は、世間からみたら偏った一部の視点からでしかない」と絶望し、結果として世の中を俯瞰しようとする気概につながると思います(「私」の視点は60億人分の1でしかないのに、みんなその視点でのみ主張するから、理解不足や誤解によって様々な問題が発生するんじゃない?自分とは違う仕事、年代、価値観を持った人と話して、他者の視点を獲得し続けると、自ずと他者に寛容になれるんじゃない?と考えます)



繰り返しになりますが、「学び」に投じる金額は人それぞれ、その方法も人それぞれで構わないと思います。
ただ、ITの進化で安価で多くの学びに触れられるようになった今、コツコツと継続しているかとそうでない方とだと、人生の充実度が変わってくるでしょう。
学びに一歩踏みだす大人が、1人でも増えるようにこれからも自分ができる範囲で、発信していきます。

長文お付き合いいただきありがとうございました!


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