百円ばあさん
実家の周囲は農村地で、近所に農家さんがちらほらいた。県庁所在地の都市にもかかわらず、市街地の外れにあるから田園風景が実家の窓から一望できる。見晴らす限りの田んぼは、一枚一枚「〇〇さんところの田んぼ」、「△△さんところの田んぼ」という名前をもっている。農家ではない私は、田んぼなんてみんな同じようなものだと思っていたが、最近になって違うのが判ってきた。何で見分けるのかと端的に言えば、稲の植え方だ。稲の植え方で田んぼの持ち主の人間性がちょっとだけわかる。芸術と言っていいほど真っすぐな列をとり、緻密に計算されたのかと思うほどそれが均等な植え方をするものもいれば、曲がった列をなし田の端っこは隙間を埋めるためだけに不均一に植えられたようなものもある。私がこの記事で話題にしたい人物は、後者の少し雑な稲の植え方をする方の農家である。
同じ町内会で、同じゴミステーションを使うその農家のおばあさんは、なんだか風変わりな人で、私の祖母よりも歳いってそうな見た目なのに、実年齢は私の祖母のほうが圧倒的に上だった。ある日母が、ゴミステーションの当番で農家のおばあさんを手伝ってあげたそうで、うちの実家に懐いた。なんでも、「おらはにこんないいぐしてくれたの初めてだ(私に対してこんなに親切にしてもらったのは初めてだ)」と言い、最初はたかられるのかと思ったが違った。…いや、たかられるにはたかられた。野菜を持ってきたのだ。田舎特有のおすそ分けかと思ったが、なんと我々に百円を要求してきた。卸には出せない、やや規格外の野菜を袋いっぱいに入れて百円で売りつけたのだ。私が応対したので、どうしようか迷ったが丁度ほしかった野菜で、形は悪いが美味しそうだったので百円で買った。
お礼の品かと思えば、野菜を売りつけるそのドライさが家族にはウケた。きっと、おばあさんはちょっとした話し相手が欲しいのだろう。でも、手放しでお宅にうかがえない。でも収入源の野菜をタダではあげたくない。なら規格外のものを安値で売ろう。そんなねじれた発想が可愛いと感じた。その人は家族の中で百円ばあさんという名前で呼ばれた。
その後も百円ばあさんは商品の野菜をもって来た。野菜は買う時もあれば、要らないから断る時もあった。でも、どちらの場合も短い時間だけれども立話はした。何のとりとめもない、天気のこと、季節のこと、農作業のこと、家に巣をつくる燕のことなど。田舎のいいところは、話題の共通項がなくても天気と季節の話題があれば盛り上がる。ついでに稲の発育状況も押さえておけば完璧だ。我が家の中では、百円ばあさんはたまに食卓の話題に出てくるキャラクターになった。ゲットした百円の使い道の予想も盛り上がった。大方、近所のコンビニアイスを買う資金になるのだろう。
ある日、百円ばあさんの旦那さんが亡くなった。町内会の噂では自死である。百円ばあさんの家は元々きな臭い噂がある農家だった。長男のお嫁さんも、原因は知らないが夭折した。百円ばあさんのエキセントリックな性格、長男から大切にされてない雰囲気、昔からある田舎の農家、近所との親交が薄いとたまに漏らす百円ばあさん。なんだか大方の見当はつきそうだが、大事なピースがみつからない。何故なら、私はあの百円ばあさんが非情な人間だと思えなかったからだ。
我々がそう思ってしまうのには理由はある。百円ばあさんは、農家ではなく、昔からこの土地に住んでるわけでもなく、家もある程度離れている私の実家とは程よい距離なのだろう。近しい人間に対しては害悪な存在でも(実際そうなのかはわからない)、ある程度の距離のある人間には情を持つことができる人間もいるのだ。だからという訳ではないが、私たちは百円ばあさんに対等な立場で接することができる。少なくても、うちは百円ばあさんで嫌な思いはしない。だからといって、依怙贔屓で守ろうとは思わない。そうなったら、程よい距離にいる人間ではなくなるのだ。
だけど百円ばあさんは今年に入ってから家にはこなくなった。なんでも、体が弱って外に出るのも大変みたいだからだ。たまに手押し車で、ちょっとの距離をひとりで散歩するところは遠目でみた。なんだか、またうちに来るのは難しそうかもな。来たらきたで、持ってきた野菜を吟味して、座って話でもするのだろう。
最近、別の農家が我が家に野菜を買わないかとやってきた。我々は第二の百円ばあさんと呼んでいる。きっと、第一のほうの百円ばあさんが弱ってるから縄張りが変わったのだ。畑でとれたつるむらさきを勧めてきた。味噌汁に入れると美味しいらしい。…私は騙されない。私は知っている。大体のものは味噌汁に入れたら美味しいことを。このつるむらさきは味噌汁に入れなきゃ喰えたものじゃないのかと想像してしまう。この人は、多分第一の百円ばあさんより情がない。冷蔵庫の野菜室が満杯だという理由を添えて、つるむらさきは断った。
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