東京に虹がかかった日 〜三峰Pが読み解くプラスチック・アンブレラ〜
みなさんはもう既にご覧になっただろうか、東京公演DAY2の三峰結華こと成海瑠奈さんの勇姿を。
三峰Pは必見だし、そうじゃ無い人にも是非見て欲しいと思えるほど素晴らしく、二日経った今でもアーカイブを見るだけで興奮させられる最高のステージでした。
私は普段、長ったらしい文章で公演全体のライブレポートを投稿しているのですが、三峰担当として単独で記事を書くべきなのでは? と思い至る程に素晴らしかった。
まぁ実情としては、DAY2が日曜夜に終了したため、長ったらしいライブレポートを書く時間があまり取れなかったり、あまりにこの曲の感想だけ長くなりそうだったので一つの記事にまとめた、というのもあったりはしますが。
さて、前書きが長くなってしまいましたが、この記事は3rd LIVE TOUR PIECE ON PLANET TOKYO DAY2にて披露された三峰のソロ曲、プラスチック・アンブレラの考察と感想になります。
既に歌詞の解釈は沢山出回っているので、今回は関連するものが出てきた時だけ軽く触れる程度にして、今回のステージの感想や考察をメインに描いていきたいと思います。
あと、曲のライブレポではありますが、MCについても少し触れていますので、予めご了承をば。
MC
3rd LIVEはMCが沢山ありましたが、ここではStW披露後の自己紹介を兼ねたMCについてです。
ここでの自己紹介の時点で既に、ソロ曲が来るのではというのをビリビリ感じていました。
というのも、三峰結華としての台詞として、
なーんて言うものですから、三峰Pとしてはそりゃ危機感を感じるに決まってるんですよ。
(直後の友人とのLINE)
友人が言うように、【NOT≠EQUAL】の髪型だったことも大きかったでしょう。
個人的には、この曲の内容はW.I.N.G.と【それなら目をつぶりましょう】の割合が多いイメージなんですが、【NOT≠EQUAL】は実装当時から騒がれていたので、三峰のコミュの代名詞って印象があるのと、もう一度見つけてもらうって意味でプラスチック・アンブレラの雨上がりと被るんですよね、、
『キャラソンではなくアイドルとしての歌』という意味では【雨に祝福】も盛り込まれている印象ですが。
(【雨に祝福】で描かれた『既存のイメージ以外の三峰結華を届ける』ということ)
そして大方の予想通り、この日が三峰のソロ曲披露の日となったわけです。
『音と情景』のプラスチック・アンブレラ
ピアノのイントロが流れた瞬間が死刑宣告。その時点で叫び出しそうなくらいなのに、
三峰が! 傘を!!!
まぁ正確には成海さん as 三峰ですが。
しかもビニール傘なのがもう最高ですよね。正にプラスチック・アンプレラ。完全に予想してない角度からの狙撃だったので、変な声出まくりでした。
もちろん、傘を持ってくる可能性は十二分にあったわけですが、マイクの取り回しを考えると難しいだろうと、完全に予想から排除していましたね。
ピンマイクとは考えたもので、、
傘の柄はこんな感じで、黄色い鳥がいないものを想像してもらえると良いでしょう。あとで詳しく触れますが、デザイン性も三峰の心情に根ざしていて素晴らしい。
そしてAメロではビートが鳴るわけですが、それが音源よりも大きな音で鳴り響いていたのも個人的に良かったです。
私はこの音を頭痛と解釈しているのですが、それがより大きな音になったおかげで鈍痛が続く様な、より情景が浮かぶ演出になっていました。
更に、この時点では成海さんの表情から心情が伺えないのも、曲の解釈に合っていて非常に良かったり。
リリイベで、成海さんが「この曲は音と情景が大事」ということを仰られていたのを思い出す丁寧な演出でした。
加えて言えば、プラスチック・アンブレラを歌う成海さんの歌声が、アンティーカで歌う時よりも普段の三峰に近い柔らかいものだったのがね、、
そもそもですが、今回の東京公演って成海さんの歌声がいつも以上に三峰寄りだったじゃないですか。
ただこの曲ではそれ以上に三峰を感じさせる歌声になってたんですよね。
それが、この曲が三峰の曲である、ということをより強く感じさせていました。
たった数十秒の間で、曲の解像度をグンと上げるのと同時に、これからのパフォーマンスを期待させるような、そんな最高の幕開けでした。
雨と飴 〜パフォーマンスについての感想と考察〜
ここからは、歌詞の内容を踏まえたパフォーマンスの感想、考察を垂れ流していきたいと思います。
この歌詞を歌う成海さんの歌声が少し弱々しかったのが、三峰の心情を反映しているようで狂おしい。
ここで歌詞に登場する『丸』とは人との境界線で、それを傘に見立てているわけじゃないですか。人と自然と距離が生まれる傘、自分だけの空間を作り出す。
それをはみ出すということは、自分をさらけ出すということ。
しかし三峰はそれを嫌うわけで。
丸をはみ出すことを恐れているような歌声で、超絶解釈一致でした。
そして、ここで後ろを向いてビニール傘の中に隠れる演出も最高です。表情が窺えないようなカメラワークも素晴らしい。
人との間に境界線を引くということは、全てを悟らせないようにするということで、そのために傘で覆い隠すわけですから、顔がしっかりと見えないのは大正解じゃないですか。
東京公演になってからカメラワークが一段と良くなったな、と改めて感じました。
そして、サビからはスクリーンに映し出されるものが『雨が降っている映像』から『雨に飴が混じって降っている映像』に切り替わるのですが、これは恐らく、単なる言葉遊びというだけではないと私は考えています。
それは、他の人にとっては雨が降っているだけでも、三峰にとっては飴が降っているように感じられる、と表現したかったのではないかということです。
何言ってるんだこいつ、と思われるかもしれないので詳しく説明します。
そもそも、この曲の歌詞はメタファがふんだんに盛り込まれています。だからこそ、この表現も比喩表現の一つと考えてしまうのです。
まず、そもそもの話として、この曲で登場する『傘』とは、人との間に距離を取ったり境界線を引いたりする行為と、それよって他人から向けられる視線や言葉から身を守るという目的メタファだと思うのです。
歌詞で言えば、前者が『はみ出す』『いい子すること』で後者が『降り注ぐ音から 世界から遮った』であり、後者の視線や言葉というのが『降り注ぐ音』、つまり雨音であり、『ホワイトノイズ』『街鳴り』ということですね。
それを踏まえた上で、この歌詞を思い出してみましょう。
先述したように、この曲に登場する傘は『他人から向けられる視線や言葉から身を守る』ためのものでもあります。そして、それを雨音と表現していました。
このことから考えるに、濡れるという行為は『他人からの視線や言葉に晒される』ということを示しているのでしょう。
そして、この歌詞からは他の人にとっては問題ない、濡れるということが三峰にとってはありえないというのが伺えるわけです。
このことを、雨ではなく飴が降るということに置き換えているのではないでしょうか?
つまり、他の人にとっては雨だから濡れる程度の問題だとしても、三峰にとっては飴に降られるような、痛みを伴う行為だということを表したいのだと思います。
伴う痛みこそ少し違いますが、最近のノクチルG.R.A.D.実装で再び話題になった【ギンコ・ビローバ】にも似たようなものがありました。
(【ギンコ・ビローバ】『偽』)
ここでは、アイドルという売り物として、無慈悲に評価され、何かあれば矢面に立たなければならない、という現実を『身を守るための暖かい服を着れず、薄手の衣装で寒さから身を守れない』という状況に当てはめているわけですが、
三峰にとっては寒さが雨(飴)で、身を守るための暖かい服が傘なわけです。
でも周りの人は濡れたままで、つまり傘をささずにいる。まるで寒空の中、薄手の衣装を着ているアイドルのように。
そんなのはありえない、と。だってこんなに体が寒い、痛いのに。
ここでの肉体的な寒さと痛さはあくまで隠喩ですから、実際にそうなのは心なわけで。そりゃあ「ありえない」って言いたくもなりますよね。
完全に余談ですが、【ギンコ・ビローバ】の解釈について詳しく知りたい方はこの記事がおすすめです(私なんかがおすすめするまでもなく、かなり伸びている考察ではあるのですが)。
タイトルにあるように「ことば」というたった一つの切り口からコミュを考察されているのですが、そこから溢れ出す考察の幅が凄まじいだけでなく、その全てが丁寧に描かれているのが最高です。
樋口円香という存在の解像度が数段上がるような内容になっているので、円香が大好きな方は必見ですし、シャニマスをやっている方なら一度読んでおいて損はない記事だと思います。
私自身も円香という存在に関して考える際にかなり参考にさせてもらった記事で、この考察を書くにあたって思い出したものだったので、ここで紹介させていただきました。
閑話休題。
三峰結華の二律背反
『濡れたままで〜』という歌詞を引用して解説してしまったので、少し前後してしまう印象になってしまいますが、
ここでの成海さんの表情が、優しく微笑むようにも、だけど寂しさや申し訳なさを孕んでいるようにも見えるのが最高に三峰結華で、流石の一言に尽きます。
しかも歌い方すらも、まるで喋りかけるようなものに変化しているのですが、それが【それなら目をつぶりましょう】のTrue ENDを想起させて悶絶ものです。
(True END:だから守って、踏み込んで)
ちなみに、この会話の時の表情がこちら。
成海さんの表情が解釈一致のオンパレード過ぎて、、
そしてラスサビ前、
ここで後ろを向いて、ビニール傘の中に隠れるのも最高。
見つけて欲しいのに隠れちゃうってのが三峰マシマシです。
『ビニールの傘の向こう』や『ビニールの傘の外の』といった歌詞で空へ手を伸ばすのも素晴らしい。
傘の柄を思い出していただきたいんですが、成海さんはその柄を『檻』という言葉で表現していました。
つまりここでは、自らを傘という檻の中に閉じ込めているわけです。つまり自縛ですね。
だけども、三峰はその檻の中から外側である外界へと手を伸ばしているわけです。
そして、『手を伸ばす』という行為がどういった心情かは言うまでもないわけで、自分で閉ざしたけれど、その思いは存在し続けていることがわかります。
実際三峰もこう言っていますしね。
それが叶わない願いだとしても、自分で始めた縛りだとしても、こころの奥底で願ってしまうのは止められないわけです。
だからこそ、もしも彼女がそんな人達に出会えたとしたら、それは、、
そして、あの日幸せが──
ラスサビからは声の調子が明るくなっていって、歌詞も雨から曇りへと変化していきます。
そしてここからが公演ならではの、歌詞では表現されなかった部分、つまりオリジナルの演出になるのですが、
アウトロでバックスクリーンが虹の中、
三峰がもう一度傘をさすんですよ!!!
これがもう、【雨色、上機嫌】過ぎて、、!
恐らくですが、ここでの雨上がりが示唆するのは、傘をささなくても良い人物に出会えたということで、それは、アンティーカの面々だったりもするのでしょうが、それ以上に、雨というメタファを使う以上、ここではシャニPのことを指していると思うのです。
そもそも【雨色、上機嫌】とは、三峰にとって雨が好きである理由を描いたP-srです。
その理由の一つは傘なわけですが、もう一つ、特別な理由があって、それが、、
こんなの最後に持ってきたら死んじゃうって、、
そしてもう一度傘をさすのは、決して【雨色、上機嫌】を回収する、という意味合いだけではないと思うのです。
これは、The Straylightの愛依の考えが近いでしょうか。
(愛依S-ssr【いるっしょ!】『愛のおはなし』)
三峰はこれまで傘をさし続けていたのですから、そう振る舞うのが三峰にとっては自然な事なんですよね。
大事なのは、それをしていても理解してくれる人達に出会えた、ということなので。
最後まで三峰たっぷりで最高の4分半でした、、感無量です。
締めのMCと総括
これまでの三公演でもそうですが、やっぱり普段のユニットでやるのとは、また別種の、それ以上の重圧ってのが存在しているんだということがMCから伝わってきました。
成海さんはソロ曲について「不甲斐なかった」と仰られていたのですが、決してそんなことはなかったと確信を持って言える素晴らしいステージでした。
もちろん、当然のことですが、不甲斐ないというその想いを否定するのは誉められた行為ではないのでしょう。
ですが、普段ライブレポートとしてライブ全体としての感想を書いていた人間が、たった一曲のために記事を書くほどに心を揺さぶられたんですよ?
普段、一つの公演全てについてライブレポートで書くような文章量、その約1/3以上をたった一曲で消費したんですよ?
それは、それほどの何かをこの一曲に感じたからだと思うのです。
もちろん、私が三峰担当なのもあるでしょう。だからこそ響いたものや感じたものが多かったのは間違いないです。他の担当ではないアイドルの曲で、ここまで沢山の想いが溢れることはなかったでしょう。
だけれども、だからこそ、それだけのものを引き出した、この曲のパフォーマンスが素晴らしかったことも間違いではないのだと思います。
三峰という私が愛してやまない存在を、丁寧丁寧に作り上げ、寄り添って下さった成海さんには感謝しかありません。
もちろん、それに関わられていた全てのスタッフさんや演者さんも同様です。
届くことはないでしょうが、万雷の拍手と最大限の感謝を。
ということで、ここまでバイブスだけの拙い文章にお付き合いいただき、ありがとうございました。
今回は、せっかく宇宙がテーマの3rd LIVE、そこで披露された三峰のソロ曲の記事だったので、この画像で締めさせていただきます。
それでは。
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