第28回 執着の話

今日は執着の話ということで、お話をさせて頂きます。

江戸時代の大阪に、増井りんさんという方が住んでいました。

旦那さんと、3人の子供と、幸せな每日を送っていたんですが、30歳になったある時、旦那さんが亡くなってしまうんです。まだ子供も小さいので、これからどうしたらいいのかと途方にくれていたんですが、さらに不幸が続き、それから二年後、突然目が見えなくなってしまったんです。

りんさんは医薬の限りを尽くして病気を治そうと試みますが、目は見えないまま。そんなある時、天理の神様の噂を聞いて、おやさまの元にやってきます。

おやさまはりんさんに「目が見えないのは、神様があなたの眼を手で塞いで、見えなくしているようなものだ。だからその手をのけたら、すぐ見える。さあさあ勇め、勇め。困ろうと思っても、困ることのない世界だ。それぞれの心次第だよ」と、仰いました。

どういうことかというと、この世界って、とても豊かなんです。

困ろうと思っても困れないくらい、豊かな恵みを頂いているのに、悩み事が一つ出てくると、人間はそれに執着してしまって、豊かさが一切見えなくなる。

りんさんの場合で言うと、旦那さんが出直して、その悲しみに「執着」するあまり、周りが見えなくなってしまった。だからおやさまは「執着を取れば、また見えるようになる」ということを、りんさんに教えたわけです。

それだけでは意味がよく分からないと思いますが、この話を最後まで読んで頂くと、きっと分かって頂けると思います。

ということで、今日は「執着」について考えて見たいと思います。まずはこのお言葉があった江戸時代の暮らしからお話致します。

江戸時代の庶民の暮らし。

まず、仕事はというと、農民とか、大工とか、現場仕事ばかりなんです。だから真夏の太陽が照りつけていても、真冬で池に氷が貼っていても、外で一日中仕事をするわけです。

さらに、移動手段は全て、徒歩でした。カゴや馬というのは高価で、庶民はほぼ使うことはなかったようです。

これは男性だけではなくて、もちろん女性も同じです。真冬でもたらいで、洗濯板を使って洗濯をしていたんですね。毎日毎日、とにかく身体を使っていたんです。

ちなみにその頃の最低温度は今よりずっと低くて、マイナス10度だそうです。とにかく寒い中、綿の着物で、ずっと外にいるわけですから、身体も辛かっただろうな、と思うんです。

更に恐ろしいことは、その当時、病院がないんです。

お医者さんを頼むのは大変高価だったので、庶民はお医者さんを呼ぶことはほぼできませんでした。

だから病気になったら、薬を使って治すしかありません。でも薬も今みたいに科学的に調合されたものではないので、本当に効いてるのかわからない。大きな病気をすると、どうしようもないんです。

特にお産をする時なんかは、命がけでした。お母さんは子供を生む度に感染症になったり、産後の肥立ちが悪い、つまり栄養失調で死んでしまうリスクがあるわけです。

そうしてやっと生まれた子供も、大人になるまで生きる割合は、なんと5割しかなかったそうです。おやさまがいた幕末の時代は、何度も飢饉が起きたり、病気が流行ったりして、バタバタ人が死んでいた。平均寿命も50歳しかなかったんです。

そういう每日ですから、みんな、めちゃ不安なんです。だから神様や仏様に祈って、安心を得て、生活をしていたんですね。

これが、たった150年前の話なんです。

では、私たちはどうでしょうか。一言でいうと「超、豊か」なんです。

コンビニという名の食料庫が街中に溢れ、たった一枚、コインを渡すだけで、食料と交換してくれるんです。

さらに薬や病院が格安で利用できて、どんな難しい手術でもしてくれます。ほとんどの病気が治るようになった、夢のような世界なんです。

空調がきいて快適な部屋の中で、洗濯機と掃除機で家事をしたり、外に出なくても仕事をこなせる。

道路ができたことで、車を使えば日本中どこにだって行けるし、ちょいと世界遺産を見に行ったり、歴史的な建造物や、世界中の美術作品だって、見放題。

学生でも一人一台、スマホを持って、ウン十億円かけた映画をぽんぽん見たり、インターネットでなんでもググれる。その場にいながらにして、世界中の人と繋がることができます。

つまり、私たちは「超、豊か」なんです。これまでの人類が一度も体験したことのない、ありえないくらい進歩した時代に、わたしたちは生きているんです。

では、これだけ貴族の様な私たちが、みんな幸せかというと、どうでしょう。

これだけ豊かな時代に生きていながら、豊かだと思ってもいないんです。

150年前の人が見たら、どう思うのでしょうか。

そして更には「悩み事」まで持っている。

人と比べて貧乏だとか、不幸だとか、休みが少ないとか、每日苦しんでいるんです。

天国に住みながら、地獄のように苦しんでいる。おかしな話ですよね。

とはいっても、悩み事って、とってもしんどいんです。

例えば、ムカつくあの人から、ひどいことを言われた。すると頭の中でずーっとその人がひどいことを言い続けて、楽しいことをしていても、美味しいものを食べていても、イライラが取れなくて、しんどくなってしまう。

こうして一つのことに囚われて、その事しか考えられなくなるのが「執着」という姿なんです。

周りを見渡してみると、色んなことに執着している人がいます。好きな人に囚われてしまって、寝ても覚めてもその人が頭から離れない。ギャンブルやゲームに囚われて、やめようにもやめられない。嫌いなあの人や、辛かった過去が頭から離れない。

現代社会に生きていると、楽しいことも、美味しいものも沢山あるんです。それなのに、たった一つの事に執着してしまうことで、豊かな世界が全く見えなくなってしまう。

それは正に、神様が後ろから手を回して、目を塞いでいるようなもの。

おやさまは、増井りんさんに「あなたはこれだけ豊かな世界に住んでいながら、たった一つの執着にとらわれて、豊かな世界が見えなくなっているんだよ。執着を去れば、困ろうと思っても困れないくらい、豊かな世界なんだよ」と、言っていたんですね。

まとめると、私たちは「超、豊か」なんです。もう十分に恵まれて、幸せなんです。それなのに、そこに気付いていないばかりか、たった一つの悩み事で、その全てが見えなくなる。天国に住みながら、地獄のような苦しい生活になる。それは、とてももったいないことなんです。

いくら苦しいことが起きてきても、それに囚われないようにすること。この豊かな世界をしっかり見渡して、与えに感謝して生きることが、神様の思いに沿っている姿なんです。

もし、悩み事に囚われて、每日が苦しくなった時には、思い出して下さい。

執着を去れば、豊かな世界が見えてくる。

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