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#51 要約練習課題⑲

【課題】筆者の考えを「アイデンティティ」「集団」という語を用いて、200字以内でまとめなさい。

スライド39

 一般に衣服は、人間のアイデンティティの保持ということと深く関わっている。たとえば、民族衣装は、あきらかに同一民族のアイデンティティを示すものである。それを身につける者は、それによって民族の同一性や帰属を示すことができる。民族衣装ではなくとも、わたしたちが生活しているような過剰な消費システムが浸透していない社会に生活する人々の衣服や、伝統的な職業にたずさわる人々の衣服は、その集団の中で、それぞれよく似た衣服を身につけている。また、そうした衣服の変化はきわめてゆっくりとしており、ほとんど変化に気づかないほどである。
 衣服が共同体的な秩序と強く結びついているような社会では、衣服の変化はたとえば、社会的年齢(子どもであるとか成人であるとかといったことを示す年齢)や既婚や未婚など、社会的役割を個人的に意識化させる役割をはたしていることが多い。つまり、成人すると衣服が変わり、また、既婚の女性の衣服はそれとわかるようになっていたりする。
 特定の衣服を身につけることによって、集国の秩序、あるいはシステムの内部の存在であることが互いに確認されるわけだ。つまりは、衣服は秩序やシステムを維持するためのものとして機能するといえるだろう。だからこそ、古くからヨーロッパでも日本でも、衣服に関する規則を強制することによって、ある一定の社会秩序やシステムの強固さを可視化することが歴史的に行われてきたのである。
 たとえば日本では、8世紀から9世紀にかけて中国をモデルとして律令格式がつくられた。当初は中国のシステムを模倣していたが、しだいに日本風に調整されていった。たとえば、衣服の色彩の使い方についていえば、位階にしたがって、紫、赤、緑、藍という順位になる。また、喪服などの礼服や衣服の素材などの細目にわたる規則もつくられていった。もっとも、江戸期になると色使いに関する禁制は強固なものではなくなった。さまざまな変化を見せながらも、それまで形成されていた衣服の規制や禁制が意識的に排除され崩壊するのは、明治維新においてである。そのことは、それを生みだした秩序やシステムの崩壊を意味していた。
 衣服はシステムの内部と外部に住まう者を峻別することがある。たとえば、衣服に関する複雑な制度が存在する社会では、その制度から離れた衣服を身に着けている者はいわば「異形」の者として、社会(システム)の外部に位置づけられる。事態は日本でもヨーロッパでも同様である。たとえば、「ハーメルンの笛吹き男」は町の外部からやってきた斑の柄の奇妙な衣服を身に纏った異形の者で、町のシステムに対して異化作用を与える存在として描かれている。
 ミシェル・パストゥローはヨーロッパ社会では長い間、縞模様の衣服が特別な意味を持っていたという興味深いエピソードを紹介している。「中世西欧には、社会、文学、図像表現によって縞の衣服を与えられている人物――実在であれ想像上であれ――が多数存在する。彼らは皆、なんらかの意味で疎外されたか排斥された人たちである。そこには、ユダヤ人や異端者から道化や旅芸人までが含まれており、円卓物語のなかの邪悪な騎士、『詩編』の愚か者、ユダといった者たちも対象になっている。いずれも皆、既成秩序を乱すか堕落させる人たちであり、多かれ少なかれ、すべて悪魔と関係がある」(ミシェル・パストゥロー『悪魔の布』松村剛・松村恵理訳、白水社)
 ヨーロッパでは、慣例や成文法によって衣服の規定が語られている。たとえば、13世紀前半に編纂されたザクセン法典『ザクセンシュピーゲル』の中では衣服についての規定が記述されている。そしてパストゥローによればなぜか縞模様、またそれに準じて斑模様などが悪い意味を持った衣服とされている。こうした観念はやがて、縞模様の動物や斑模様の動物を悪しき動物と見る傾向までも生みだしたようだ。
 衣服はわたしたちのアイデンティティに関わるものであり、それはまた、社会的な意味を担うものである。また、だからこそ、わたしたちは、衣服を変化させることによって、自らの存在を変化させたり、自らの能力を超えた存在になることを夢見てきた面があるのではないか。衣服を変化させる、つまり衣服を交換したり倒錯したりすることへの願望は、まさに自らとは別の人格を夢見たり、自己の能力を超えることへの願望とかさなりあっている。たとえば、衣服の性差を倒錯することもそうした欲望と深く関わっているだろう。
 衣服の性差ということに関してホランダーは歴史的に見て、「1380年、1680年、1850年、1950年代に見られるような極端に性差のある衣服は、両性がともに明瞭な性差の感覚を持ちたがったことを暗示している。社会も厳しい態度でそのような衣服の分化を強化促進してきた。衣服倒錯を禁じる法律を作り、それを侵したものには厳罰を課してきた」のだと述べている。
 しかし、異性の衣服を着ることによって、セクシャリティに焦点があたることになる。つまり、性的なるものが強調されることになる。その結果、衣服倒錯は、性的欲望と深く関わるとともに、そうした身なりを見るもの衝撃を与える力を持っている。20世紀において男性用スーツが女性にも着られるようになった。この行為もまた、軽やかではあるけれど衣服倒錯の意味を内在させている。男性のスーツを身につけることで、セクシャリッティに焦点があたるのである。
 衣服の性差を倒錯することだけではなく、衣服を変えることによって別の人格に成り代わることへのわたしたちの潜在的欲望は、さまざまな物語の中に見ることができる。たとえば、子どもたちのためのフィクションでは変身が扱われることが少なくない。『スーパーマン』はジャーナリストのクラーク・ケントが突如、衣服を変え変身する。彼はまさにスーツ(ジャーナリスト)を脱ぎ捨てタイツのような衣服を身に纏うことで異様な力を持った人物へと変身するのである。『仮面ライダー』『ウルトラマン』も突如、日常的な衣服から変身する。衣服を変化させることによって、彼らはいずれも非日常的な力を身につけるのである。
 変身譚にはさまざまな変装がある。たとえば、『赤ずきんちゃん』の悪い狼は人間のお婆さんを装っている。これは、装うことでほかの者になり、それで人の目をあざむくということになる。衣服にはそうした面がたしかにある。『赤ずきんちゃん』の物語は、変装がいかなる意味を持っているのかを語る物語である。狼は森で出会った赤ずきんちゃんをそのまま襲ってもかまわなかったにもかかわらず、先回りして赤ずきんちゃんのお婆さんを食べ、その衣服を身に纏い、お婆さんを装う。その装うことにこそ、狼のテーマがあったのだと言えるだろう。
 いずれにしても、衣服が変化することは重大な「事件」である。というのは、衣服が人のアイデンティティ、あるいは存在そのものに関わっているという認識がわたしたちにはあるからだといえるだろう。衣服を変えようということは集団的秩序からの逸脱を意味するとともに、自らの存在のあり方をも変容させることにはかならない。このことは、新しい自身の存在(アイデンティティ)をつくろうとしているのか、あるいは自らの存在とは異なったものとして装おう(変身しよう)としているのか、いずれにしても、それまでの自身とは異なった自己をそこに出現させる試みであるにはちがいない。
(柏木博「スーツと衣服の意味」 『図書』1998年10月)

解答例

衣服は人間のアイデンティティに関わるものである。特定の衣服を身につけることは、集団の秩序あるいはシステムの内部の存在であることを示す。また衣服は個人に共同体の同一性や帰属意識を持たせ、社会的役割を意識させる。そうして集団の秩序は維持される。だから、人々には衣服を変化させる願望がある。なぜなら、衣服の変化は集団的秩序からの逸脱を意味し、また自らの存在のあり方をも変容させる可能性があるからだ。(196字)

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