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#42 要約練習課題⑩

【課題】次の文章を読み、本文内容を200字以内で要約しなさい。

スライド30

 世界はここ数十年で、随分と複雑になった。
 国内における70年代以降の展開は、概ね消費社会の浸透とそれに伴う社会の流動性上昇の過程として捉えられる。これらが進行すると、何に価値があるのかを規定してくれる「大きな物語」が機能しなくなる(ポストモダン状況の進行)。「大きな物語」とは、伝統や戦後民主主義といった国民国家的なイデオロギー、あるいはマルクス主義のように歴史的に個人の人生を根拠づける価値体系のことを指す。言うなればこの40年、この国の社会は「モノはあっても物語(生きる意味、信じられる価値)のない世界」が進行する過程であったとも言える。
 たとえば40年前、「政治の季節」が終わる60年代末までは、現代に比べて「モノはなくても物語のある」世の中に近かった。物質的には貧しく社会的には不自由だったが、そのかわり社会そのものを秩序づけ得る「大きな物語」がまだ現在よりは機能しやすく、「生きる意味」や「信じ得る価値」の検討は比較的容易だったのだ。
 「不自由だが暖かい(わかりやすい)社会」から「自由だが冷たい(わかりにくい)社会」へ――世の中は少しずつ段階を踏んで変化してきたのだ。つまり、消費社会の自由と豊かさと引き換えに、それまで人々に物語を与えていた回路が壊れ、信用できなくなる、といったことが繰りかえされていったのだ。そして、70年代以降の国内においてもっとも大きくこの状況が進行したのが、1995年前後であるとされる。
 この「1995年前後」の変化はふたつの意味において性格づけられる。それは「政治」の問題(平成不況の長期化)と、「文学」の問題(地下鉄サリン事件に象徴される社会の流動化)だ。
 前者は、この時期がバブル経済崩壊を発端とするいわゆる「平成不況」の長期化が決定的になり、戦後日本という空間を下支えしてきた経済成長という神話が崩壊したことを意味する。つまり「がんばれば、豊かになれる」世の中から「がんばっても、豊かになれない」世の中への移行である。
 後者は、1995年に発生したオウム真理教による地下鉄サリン事件に象徴される社会不安を意味する。「自由だが冷たい(わかりにくい)社会」に耐えかねた若者たちが、同教団の神体である発泡スチロールのシヴァ神(注1)に象徴されるいかがわしい超越性に回収されテロを引き起こした現実は、当時の国内社会に蔓延していた「意味」と「価値」を社会が与えてくれない生きづらさを象徴する事件だった。ここに見られるのは「がんばれば、意味が見つかる」世の中から「がんばっても、意味が見つからない」世の中への移行である。
 結果として、90年代後半は戦後史上もっとも社会的自己実現への信頼が低下した時代として位置づけられる。
 社会的自己実現への信頼が大きく低下した結果、「〜する」「〜した」こと(行為)をアイデンティティに結びつけるのではなく、「〜である」「〜ではない」こと(状態)を、アイデンティティとする考え方が支配的になる。ここでは自己実現の結果ではなく、自己像=キャラクターへの承認が求められる。問題に対しては「行為によって状況を変える」ことではなく「自分を納得させる理由を考える」ことで解決が図られる。
 私が「古い想像力」として位置づけるのは、この90年代後半的な社会的自己実現への信頼低下を背景とする想像力である。
注1 シヴァ神――ヒンドゥー教の神。破壊と再生を司る。
(宇野常寛『ゼロ年代の想像力』2008年7月)

解答例

90年代後半の日本は社会的自己実現への信頼が低下した時代と言える。それは「大きな物語」が機能しなくなったことでもある。世の中は「不自由だが暖かい(わかりやすい)社会」から「自由だが冷たい(わかりにくい)社会」へ変化した。それにより人々は「~する」「~した」こと(行為)をアイデンティティに結びつけるのではなく、「~である」「~ではない」こと(状態)を、アイデンティティとするようになった。(194字)

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