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#44 要約練習課題⑫

【課題】次の文章を読み、本文内容を200字以内で要約しなさい。

スライド32

 最近、パッケージデザインの作業で、ある円筒形の缶の周囲を測ることになり、事務所のものにそれを命じた。
 どうするかな、と何気なく観察していると、彼女はまずコピー用紙の一辺を切り、細長い紙の帯を作った。それを缶に巻き丁度一周したところに印を付け、それを机の上にあらためて拡げ、定規で長さを測った。巻き尺などが無い時には、一番手っ取り早い方法である。「33センチです」と彼女は教えてくれた。念のため直径も測ってみて、と言うと手にしていた定規ですぐ測り「10.5センチです」と言った。次に「じゃあ、さっきの数字を今の直径で割って教えて」とわり算を命じた。電車を打ち、その数字をじっと見て彼女はすごく嬉しそうに答えた。「3.14になりました」。嬉しそうな理由はその次に発した言葉に出ていた。
「もしかして〝円周率〟というのは円周と直径の比率のことだったんですね」。
 彼女は円周率=3.14というお題目のように憶えていたことに真の意味を見出し、それが嬉しかったのである。
 そんなこと当たり前じゃないか、という方も多いと思うが、僕がここで言いたいのは、彼女の無知でもなく、小学校の教育が不十分だ、ということでもない。むしろ、彼女は一般的には才媛だし、かたや小学校の授業では必ずと言っていいほど、直径と円周の関係についてはちゃんと教えている。では、なぜ能力もあり、教育も受けたのに、こんな基本的なことが抜けていたのであろうか。それは、一種の盲点かもしれない。実は『基本的なことこそ、それがなぜ基本的で重要なのかは理解できにくい』のである。
 かつて、小学校の算数に「数学の基本」だからという理由で「集合」が登場したことがあった。赤いものの集合を挙げなさいといった問題が出され、リンゴとか郵便ポストと答えると丸がもらえた、それは難しい分数の計算で丸をもらうのと違い、なにか変だった。みんな丸をもらえるのだから、特に何も言わずその時期を通り過ぎていた。多分、先生も数学の基本概念と言い含められて現場に降りてきたものだから、素直に「変だ」と言えない状況がしばらく生まれたのであろう。一種の裸の王様状態である。それも「基本が大事」ということを金科玉条として、記号的にみんなが受け止めていたせいではないだろうか。
「基本が大事」ということと「基本から教える」ということは単純にイコールではない。数学を追究していくと、無限などの概念を明確にする上で集合論は重要で、数学の体系はその上に成り立っていることがわかる、つまり、数学において集合はとても基礎的な考え方なのである。しかし、基礎だから小学生から教えるというのは、あまりに短絡的であった。基礎こそ、それが基礎であるということがわかる位のハイレベルな理解が必要なのである。
 小学校でも中学校でも、教わることはたくさんある。その上で、どれが基本的な考え方でどれが末節な知識なのかという、ウエイト付けのような高度な知的作業は、自分が小中学生だった時のことを思い出せば無理な事がわかる。しかし、我々は、なにも小学校や中学校で完成というわけではない、僕の事務所の人間のように、円周率の本当の意味を取り戻すチャンスは必ずやってくるのだ。(その時のためにも円周率は約3ではなく、3.14と教えるべきである)。このように『基本的なことが何故基本的なのか』が自らわかるのは、一度いろんなことがわかった上での事である。
「基本が大事」なのは勿論である、しかし同時に、基本を学ぶことは難しい。だとしたら、僕はいつか、基本の大切さや意味を取り戻すための義務教育のアフターサービスのような新しい教育を、TVやインターネットなどのメディアでやってみたいと思っている。
(佐藤雅彦「基本は大人になってから」 『毎日新聞』2001年7月19日)

解答例

人々は「基本が大事」ということを単純に考えている。しかし、基本的なことこそ、それがなぜ基本的で重要なのかは理解しにくい。なぜなら基礎こそ、それが基礎であるということがわかる位のハイレベルな理解が必要だからだ。それは一度いろいろなことがわかった上でなければなしえない。そのため、筆者は基本の大切さや意味を取り戻すための義務教育のアフターケアのような新しい教育をやってみたいと考えている。(192字)

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