見出し画像

#50 要約練習課題⑱

【課題】
現在の民法によれば、夫婦は、結婚の時にどちらかの姓を夫婦の共通の姓として定めなければならない。この結果、どちらか一方は、結婚前の姓を変更しなければならなくなる。現実の社会では、多くの場合女性の側が姓の変更を余儀なくされているが、姓を変更することによって社会活動上の不都合が生じること、結婚前の家族とのつながりが失われること、名前という自分の大切な標識が変えられてしまうことへの抵抗感など、様々な問題が指摘されており、本人たちが望む場合には結婚後も別々の姓を名乗ることを認める制度(夫婦別姓制度)の導入が主張されている。
以下は、夫婦別姓の実現を目指している女性国会議員Aと、この提案に反対する学者Bの主張である。これらを読み、女性国会議員Aの主張と学者Bの主張を本文中の言葉を用いてそれぞれ100字以内でまとめなさい。

スライド38


 私たちが夫婦別姓に取り組み始めてから、10年になる。いまだに誤解されているのだが、望む人は別姓を選ぶことができるようにしようとしているのであって、夫婦をすべて別姓にしようと主張しているのではない。
 反対派は個人主義が行き過ぎているとか、反政府運動だと批判するが、これも誤解だ。確かに初期には政府に批判的な人の言動が目立っていた。しかし今、夫婦別姓の導入を待ち望んでいる人たちの大多数は、生活上の深刻な問題を解決したいと願っているだけだ。名字を変えると、これまでの仕事の蓄積を失ってしまう、家名を残すことができなくなる、そうした事情を抱えて悩んでいる人たちがいる。困っている人たちを助けることは政治家の役目だ。保守の立場から実現を求めている。
 今、私たちが用意している「例外的夫婦別姓法案」は、反対派の危惧や懸念を払拭するための工夫を最大限に盛り込んだ折衷案だ。夫婦は同姓を原則とし、別姓はあくまでも例外だと位置づけている。別姓がファッションのようになり、婚姻制度が揺るぎかねないと言う不安を持たれないようにするためだ。安易に広がらないように、「職業上の事情」「祖先の祭祀の主宰」などの理由がある場合に、家庭裁判所で許可を得ることにしている。既婚夫婦は、法律が成立してもいったん離婚を経ないと、別姓に変更できないと言う歯止めもかけた。子供の姓については、結婚するときに決めてもらい、兄弟姉妹は同じ姓を名乗ることにしている。推進派からは妥協しすぎだという批判もあるが、まずは道を開くことが重要だ。窮余の策として事実婚が増えている現実や、1人っ子が増えて家名を守ることが難しくなる将来を見据えて、政治は対応するべきなのだ。
 反対派は、別姓を認めると家族が崩壊すると言う。しかし、残念ながら家族の問題は、同姓の家族の中ですでに深刻になっている。夫婦の氏が一緒であれば家庭の和は保たれ、ひいては国家の繁栄にもつながるという考え方はナンセンスだ。日本的な伝統が失われるというが、今の制度は明治の途中から始まったものにすぎない。別姓を認めると離婚が増えるという指摘もあるが、これは本当に理解に苦しむ。また、公的書類への併記などを認めて通称使用を広く認めれば、事は足りるという意見もある。だが、それでは正式な名を2つ持つ人が現れることになり、かえって混乱してしまう。犯罪に利用される危険性が増すことも忘れてはならない。民法の改正を認めようとしない自民党内を見渡すと、国家を構成する最小単位は家族だと見なし、そこで思考が停止してしまっている。私は、家族をつくる個人が最小単位だと考えている。同様の考えを持つ人は多い。家族から発想する考え方と、個人から発想する考え方を対立させるのではなく、距離感を縮めていくことが必要だ。夫婦別姓に何らかの道を開くことは、その一助になる。
 結婚したら姓をどうするか、どういう家族を作り上げていくか。夫婦別姓は、定型でない自分なりの生き方を考えるきっかけとなる。自己決定に基づく新しい社会を築く試金石でもある。だからこそ、社会構造改革の1つとして、じっくり取り組んでいきたい。

 民法を改正してまで夫婦別姓制を導入することには反対だ。それは家族という共同体の社会的な機能や価値を軽視し、自分だけ、あるいは自分の世代だけが満足できればよしとするご都合主義であり、行き過ぎた個人主義の主張だからだ。
 別姓推進論者が主張する「社会生活上の不便や不利益を避けるため」というのなら、結婚前の姓を「通称」として使えるよう広く認めていけば、基本的に不都合を解消できる。現に通称使用を容認する職場は増えている。別姓派の女性論客の1人は「実際は通称でほぼ支障はない」と打ち明けている。だから、別姓論者の声が最近はトーンダウンしてきているのもうなずける。通称を使っていて本人確認が必要なこともあるだろう。その場合も、たとえば旅券や身分証明書に通称と本名を併記できるようにすれば事足りる。別姓論者の主張は、同姓制が戦前のイエ制度を引きずるものだとか、個人のアイデンティティを侵害するとかいったイデオロギー色の濃い主張とセットになっている。女性議員の中には、実家の姓を名乗りたいという理由で別姓を提唱する人もいる。イエ制度の残滓を払拭したいはずなのに、イエの継続を図ろうとしているのではないのか。矛盾も甚だしい。ある国会議員と対談したとき、「(別姓は)私たちのワガママ。それを認めてほしいということ」とも言っていた。本音だろう。推進論者は「選択的別姓制」から「例外的別姓制」へと主張を修正し、法制化に向けてハードルを低くしたかに見える。いろいろな選択肢を持つことは悪くないが、「ワガママ」まで認めて法制化するようなことになれば、将来に禍根を残す。現行の民法や戸籍法は夫婦と子供を基礎単位とした家族が基本だが、別姓論者は結婚を個人と個人の結びつきと位置づけ、集団的な束縛のない「多様な家族形態」を想定している。事実婚はもとより、同性結婚など何でもありの、いわば「家族の規制緩和」だ。
 だが、別姓先行国の北欧、とりわけスウェーデンでは離婚や再婚が繰り返されるケースが珍しくない。子供の成長過程には様々なオヤが次々と複雑にかかわる。それがゆがんだ人格形成をもたらし、子どもの非行の激増を招く一因にもなっていることは、スウェーデンの社会心理学者らも指摘している。そうした先例があるのに、なぜ、あえて追随する必要があるのか。
 私は、家族の絆や共同体としての価値を守るべきだと考えている。豊かで平和な世の中になると、家族の結びつきは緩やかになる。日本も例外ではない。離婚は増えるし、非婚、少子化、青少年の非行も増える。結婚はある程度の束縛。我慢も必要だろう。でも「束縛はいや」「我慢はしたくない」となると結婚意欲は薄れる。そうした環境下で育つ子どもは、家族形成に背を向けるようになるだろう。別姓制は、こうした流れを加速しかねない。私はむしろ家族の結びつきを強化、再生する方向で法制度を改革するよう主張したい。憲法を改正して家族を尊重する条項を入れようという提案もあるが、それも一案だ。
 いずれにせよ私は家族共同体をもっと意識する方向が望ましいと思う。別姓は逆方向を目指すものだ。賛成できない。
(「オピニオン」 『朝日新聞』2004年8月18日)

解答例

A
生活上の深刻な問題を抱える人のために夫婦別姓制度は必要だ。これは同性を原則とし家庭裁判所で許可を得た上で、例外的に夫婦別姓を認める制度である。人々が生き方を考えるきっかけにもなるため導入すべきである。(100字)

夫婦別姓制度には賛成できない。なぜなら家族の社会的な機能や価値が軽視され、家族の結びつきが緩やかになるからだ。ゆえに別姓制度は離婚や子どもの非行の一因にもなる。またその流れを加速させる恐れもある。(98字)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?