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【1】青春を弔う旅に出る(シーシャ屋で知らん人と仲良くなる編)

5月、いよいよ京都の家を引き払うことにした。公聴会までは残しておこうかと考えていたのだが、おそらく秋〜冬になるとのことで、さすがにそれまで残しておく余裕はなかった。

あっという間の1年間。勢いで決めた1Kには、泣きながら過ごした思い出ばかり詰まっている。右も左も分からないなかで、(まだ合格するかは不明だが、)よくも博士論文を書き上げられたと思う。

京都を離れるのは、言うまでもなく寂しい。何度も触れてきたように、何ひとつ持たず、先行きも見えず、人生で一番ぐずぐずだった時期を過ごしたのがここだったからだ。

博士論文のために帰ってきた1年間は、まるであの時期を再現しているかのようで、それでいて私は確かに大人になっていた。

あの時期を共有した人びとは世界のあちこちにおり、二度と会うことはなく、たとえ私だけが帰ってきたところで、そこに美しい過去はない。存在しない人びとを思うたびに、かえって欠落が突きつけられて、手の込んだ自傷行為だった。

それでも、帰ってきたことに後悔はない。

無くしたくないものが時間とともに薄ぼんやりとしていくくらいなら、鮮やかな傷のままがいい。なんとなく綺麗に過ごすより、消えない傷がど真ん中にある人生のほうが、私らしく生きていける気がした。

退去日を決めたあとは淡々と動いた。電気、ガス、インターネットを止め、家具・家電の買取査定を依頼し、最後の家賃を振り込んだ。

それはまるで葬儀のようで、一つ一つの手続きが終わるたび、「ああ、本当に私、ここを去るんだなあ」という実感が湧いてきた。

すべての手続きが終わったとき、私の胸に浮かんだのは、最後の2週間をどう過ごすかという問題だった。

少なくともしばらくは、訪問者としてしか京都には来なくなる。来月は海外で過ごすので、万が一のことがないとも限らない。

それならば、行きたいところには行っておこう。

こうして、2週間足らずの滞在が始まった。それはこの手でとどめを刺す、青春への弔いだった。

5/10

すっかり慣れた新幹線を降りると、目の前には京都タワーがあった。初めこそ見慣れなかったけれど、いつの間にか愛着が湧いたから不思議だ。A2番のバスターミナルから17号系統へ。河原町通を北上しながら、百万遍を目指す。

博士論文を提出して以降、1ヶ月半ほどご無沙汰だった部屋に踏み入る。ベッドに広げた寝巻きはまだ冬のままで、こたつ机には伏見の酒蔵巡りで手に入れたおみやげが残されていた。

この日は共同研究者と会う予定があったので、片付けもそこそこに出町柳のカフェへ向かう。町家を改装した店には座敷席もあり、ゆったりとした空気が流れている。

ガラス戸から差し込む光に見とれているうちに相手がやってきたので、最近のアイディアについて話し、どの学会に出すか相談して、夕食をとった。気付けば3時間半も経っていた。

会合が終わったあと、行くところは決めていた。神宮丸太町にあるCLUB METRO(以下、メトロ)だ。

メトロはその名の通り、神宮丸太町駅に直結しており、京都のみならず日本最古のクラブだという(正確なところは知らない)。数々の有名アーティストを輩出してきたとかで、大規模な店舗ではないものの、いわゆるツウ好みのスポットであるようだ。

私がメトロを知ったのは何度か引用しているphaさんの記事がきっかけだった。ぜひ全文を読んでほしいので、ここに貼っておく。

メトロのピークタイムは午前1時とのことだったけれど、翌日にTOEFLを控えていたので、オープン直後の22時を目指して行った。手の甲にスタンプを押してもらい、鉄の扉を開く。フロアにはまだわずかな人影があるだけで、酒を受け取ると後方のベンチに座った。

プロジェクターから流れる抽象的な映像、ぐるぐる回るミラーボール。そういったものをぼんやり眺めながら、振動となって叩きつける音楽に耽った。かかっている曲は1つも知らなかったけれど、そんなことはどうでも良かった。まるで瞑想をしているときのように、自我がぼんやりしていくような感覚があった。

そうしていると、少しずつフロアに人が増えてきた。1人でもくもくと身体を揺らす人、手すりにもたれかかって頭をウンウンと上下する人、足だけでわずかにリズムを取る人。どうやら音の楽しみ方は自由でいいらしい。

そんなわけで私も、相変わらずベンチに座りながら、自分なりに音を楽しんだ。ここまで来てもなお踊る勇気はなかったけれど、それでもいいやと思えるくらいに、メトロの懐は深かった。

23時を過ぎるといよいよ人が増えてきた。より一層楽しくなりそうな気配がしたが、翌日のことを考えて泣く泣くその場を後にした。

今思うとそんなにクラブが好きなわけでもなかったんだけど、それでも何回か行ったのは、「そういう場所に行き慣れてるとカッコいいかも」という若者特有の背伸びと、あとは、そんなに気合いを入れなくてもなんとなくふらっと行けて、飽きたらすぐに帰れるというくらい近い場所にあったからだ。

https://suumo.jp/town/entry/kyoto-pha/

なんとなくふらっと行けて、飽きたらすぐに帰れる。本当にその通りだ。まだ肌寒い川端通を歩きながら、この土地のことを本当に愛おしく、離れがたく思った。

5/11

この日は留学に向けてTOEFLを受験する日だった。といっても必要に駆られてのことではなく、1ヶ月の語学留学がどれほどの効果をもたらしてくれるのか、セルフチェックするためだった。

初めてのTOEFLはさっぱりといっていいほど奮わず、己の努力不足を恥じた。しかし前向きに捉えれば、あとは上がっていくだけともいえる。次回の受験を楽しみにしながら、アパートまで歩いて帰った。

帰宅後は私的な研究相談会を催して、それぞれが持ち寄った現象についてあれこれと議論した。「五月病予防の意味もあるので、とくに進捗がなくても来てくれるだけでOK」と伝えていたものの、蓋を開けてみれば皆それぞれに面白いテーマを持ってきてくれたので、結局3時間ほど話した。

終わったあとは日曜日を満喫すべく、最近再燃したマインクラフトを起動して遊んだ。廃坑をめぐったり、目的地に向かってひたすら穴を掘ったり、食料を生産したりして、23時過ぎには寝た。

5/12

この日は先輩と過ごすことになっていた。昼は、かつて大学の近くにあった馴染みのカフェへ。今は東山駅近くで営業されているが、ボリュームたっぷりのごはんは相変わらず美味しく、近況報告が捗った。

ねこ型に盛られたごはん。おかずもすべて美味しいのだ

昼食を終えると、先輩は仕事があるとかで一度解散になった。私もアパートに帰っても良かったのだが、せっかくの機会だしと散歩することに。幾度となく通ったルートを歩き、八坂神社と円山公園にたどり着いた。

円山公園には猫がいて、できれば顔を見ておきたかった。この日も猫たちはお決まりのスポットにいたのだが、地域猫を管理している方であろうか、ちょうどお世話をされている時間だったので、遠目に眺めるだけで遠慮した。

そのまま四条通を歩いて、祇園近くにあるWINS京都へ。観光地のど真ん中に競馬の投票所があることはあまり知られていないかもしれない。

ヴィクトリアマイル(G1)の日ともあってWINSは賑わっており、真剣な面持ちでモニターを眺める人びとは時折「あかん」と声を漏らす。

せっかくなので馬券を買おうかと思ったが、ヴィクトリアマイルの出走時間にはまだ2時間以上あったので、今日のところは別の場所を散歩することにした。どうも大荒れだったようで、どのみち負けていただろうから、結果的にはよかった。(博打に負けないコツは、博打をしないことである。)

四条通を西へ進み、新京極商店街へ。以前からインバウンド向けではあったけれど、最近のトレンドなのか、動物と触れ合えるカフェが増えたと感じる。

小気味良い音で饅頭を焼き上げるロンドンヤ、よくブックオフで買った小説を読んだ喫茶店、馴染みの古着屋、修学旅行生たち。

ひとつひとつの思い出を取り出しては蓋を閉めるように、三条通商店街までの景色を目に焼き付ける。たとえ二度と訪れることが叶わなくても、決して忘れないように。

三条大橋を渡り、鴨川沿いを歩く。痛む足を引きずりながら、なんとかアパートへ戻る。汗ばんで気持ち悪かったので風呂に入り、待ち合わせの時間までわずかに眠った。

この日はもう一つ、先輩と約束した予定があった。出町柳にあるシーシャ屋である。

もんじゃ屋でおなかを満たし、ほどよく酔ったところで店へ向かう。店内には我々のほかに3人組がいた。

ラムとアールグレイのフレーバーをブクブクやりながら、研究の話や仕事の話、どうでもいい話、留学の話などをする。博打の話をしていると、キーワードだけを拾ったのか、店員さんから「ギャンブルのご研究をされているんですか……?」とたずねられて笑ってしまった。

立地を考えれば自然なことだが、店員さんも某大学の学生だとかで、3年生を3回繰り返しているという。「12回生までなら行けます」とかなんとかいって、お菓子をつまんだり、しゃべったり、黙ったりして過ごした。

先客の3人組は、どうやら同じ研究室のメンバーらしかった。学振、科研費、博論、などのキーワードが漏れ聞こえてくる。「科研費で競馬って研究できるんすかね?」というセリフに、“まじめにふまじめ”な学風を思う。

そうこうしていると、先輩が忙しなく誰かとメッセージを交わしていることに気づいた。聞けば、研究室の後輩と修論について相談しているという。

どうやら研究室にいるようだったので、「今からここに呼んだらどうですか」とたずねてみたところ、後輩も乗り気だということで、店で待つことにした。

この店には4人席が1つしかなく、くだんの3人組が使っていたので、我々がいたのは2人席だった。そこで後輩の分の椅子をガタガタしていたところ、気を使った3人組が「俺ら帰りますよ」と申し出てくれた。

さすがにそれは申し訳ないと押し問答した結果、気分よくみんなで飲もうということになった。(正確には、3人組のうち2人はラボに戻り、助教だという1人だけがこちらに加わってくれることになった。)

席の準備が整ったころ、雨に濡れた後輩が合流した。初対面だったので、「まあまあ、論文の話は後日、昼間にやろうよ」みたいなことを言って、とりあえず何か飲ませる。酒は飲めないということだったので、ソフトドリンクで乾杯した。

緊張している後輩に、はなから「で、研究テーマは?」と聞くのは野暮だ。ここは見知らぬ人の力を借りようということで、先ほど合流したXさん(仮名)にあれこれ話を振ってみる。漏れ聞こえる話の時点で確信していたが、Xさんは相当に優秀らしく、それでいて気さくな方だったので助かった。

(とくにフィールドワークの話などは、ぜひここに書きたいくらい驚くべきエピソードの連続だったのだが、さすがに個人が特定されそうなので胸に秘めておく。)

それぞれがブクブクやりながら、学問、宗教、政治、意識、進化、社会、サイエンスのあり方などについてフワフワ話す。織り交ぜるように、少しずつ具体的な研究テーマに移る。

Xさんのご専門は、分野だけ聞くと隔たっているように思えたが、実のところ我々の専門にも通ずる部分があり、直近のご発表などはこちらの研究会でも充分扱えそうだった。連絡先を交換し、そのうち空き枠があればお声がけすることにした。

そうしているうちに後輩も緊張が解けた様子だったので、いよいよ近況や扱いたいテーマについて聞く。専門外のXさんも同席されていたおかげで、気負うことなく話せたようだ。

盛り上がっていると閉店の24時になってしまったので、具体的なまとめ方については日を改めることにした。雨降りの中をアパートまで帰り、Xさんと後輩に連絡をして、シャワーを浴びて寝た。


とっても嬉しいです。サン宝石で豪遊します。