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この足で帰ってきた京都のこと

京都に家を借りました。引っ越しではなくセカンドハウスという扱いです。大学のすぐ近く、日当たりの良いワンルームは想像以上に良い部屋で、内見もせずに決めたけれど何の後悔もありません。

私の中で京都は、はるばる帰省したのにそっけなく「早かったな。」とだけ言って奥の部屋に引っ込んでしまうお母さんのような存在かもしれません。ちなみに、「遅かったやんか!!座り!!」とまくしたてながらおかきを無限に食わせてくるのが大阪。両者は表現こそ違えど愛情深く、いつでも帰っておいでよと待っていてくれる温かみがあります。

指導教員に黙って京都を出奔し、東京の友人宅に居候し始めたのは多分5年くらい前のこと。

1万2000円の「ヒカキンの猫以下ベッド」(※)をリビングの一角に置かせてもらい、今もお取引のあるお客様から仕事をもらって、必死に生きてきました。

※ヒカキンの猫は19800円のベッドに寝ているそうです

その選択のすべてが正しかったのかは分からないけれど、幾度かの別れる/別れない論争を乗り越えた人とは結婚したし、会社を作り、30代になり、人生における研究活動の位置付けもなんとなく定まってきました。去年末にはヨーロッパへの出張も経験し、路上のカフェでシャンパンを食らいながら「まあ、今後もこういう感じで生きていくんやろな」と安堵したことを思い出します。

宿題のように残っていたのが、博士号の取得でした。今年はついに提出年限で、いよいよ逃げられないぞと。夫と話し合う中で、「それなら京都に帰ったほうがいいんじゃないの」という話になり、ビジネス上の都合もあって、京都にセカンドハウスを借りることにしたのでした。

4月1日。朝一番に不動産屋さんへ向かって鍵をもらうと、告げられたのは「電気とガスはお客さん自身で契約なんでね、まだ使えませんので」という事実でした。

いやおい待って。それは早く言って。

予想外のトラブルにさっそく焦るも、ひとまず新居へ移動する私。懸念はありつつも、あたたかな光が差し込む部屋を見ると胸がいっぱいになり、ついフローリングに寝転がってしまいました。

が、エモい気持ちに満たされている場合ではありません。取り急ぎ電気・ガスの手続きを済ませたものの、電気は翌日、ガスは翌々日からしか開通できず。

そうはいっても家具は届くので、「日没までに部屋を整えるぞRTA」が開幕してしまったのでした。日照時間 vs 私、布団で寝られるか勝負です。

Amazon、ニトリ、びっくりカーテン……次々と届く荷物を受け取り、段ボールを開けてはたたみ、開けてはたたみ。なんたってワンルームなので、着いた端から処理していかなければスペースが足りなくなります。

しかもシーリングライトは買い忘れ。荷物が来ない時間を見計らって洛北の電気屋まで足を運び、8畳用のライトを鬼のハンドキャリーで購入しました。

だいたいの家具を配置し終えても、届かないのがマットレス。いや一番欲しいんですけど……。日没が迫り、部屋が少しずつ闇に呑まれる17:40ごろになってやっと届きました。「ここからフレームの組み立て、いけるか!?」緊張感が走りますが、そこはさすがの私、40分ほどかけて無事に寝床を整えました。

部屋の片付けを終えたあとは、コインランドリーと銭湯で持ち物+自分自身をクリーンに。学生街はこういうインフラが整っていて助かります。

電気がないとこうなっちゃうんですよ。文明ってありがたいものですよ。

ぬくもった体で部屋へ戻り、スーパーハッカーみたいな環境で残務を処理すると、どっと疲れが押し寄せてきて眠ってしまいました。

ハッカーといえば、研究室の同期がMacのターミナルのことを「ハッカーが使うやつ」と呼んでいたことを思い出します

そんなこんなで新居の整備も終え。ぼんやりと天井を見つめたり、川沿いを歩いたりしていると、人生が一番おぼつかなかった日々のことをいやでも思い出してしまいます。

初めて親元を離れて暮らし、弟と揉めたこと。自分が何者にもなれないことを突きつけられて、修論も出せなかったこと。泣きながら歩いた鴨川沿いのこと。家を失っても、親切な人に助けてもらえたこと。出町柳の怪しげな店で「人生って演劇だと思うんですよね。」と話しかけてきてくれた人。ネットで仲間を募ったら、鴨川デルタに20人くらい集まってきたこと。深夜の3時まで神社で話し込んだこと。謎のペルー人に京都駅で求婚されたこと。30歳になった日、夫と迷い込んだ路地で出会った素敵なバーのこと。河川敷で寝転がったらほつれてしまったカーディガンのこと。サル山、雪景色の将軍塚、朝7時の嵐山、骨折したときに助けてくれた韓国人の女の子のこと。

いろいろな思い出が時系列もごっちゃに渾然一体となって押し寄せてきて、しかもそれは宇宙という長い時間のほんの一瞬でしかなくて、この鴨川の先の先まで流れていってしまう程度の価値しかなくて、生きるってなんやろなあ、という普遍的な問いに帰着してしまう。だから私はヴィトゲンシュタインになれないんやなあ、そんなことを思いながらティーポットを買っているこの一瞬が愛おしくてたまらなくなりました。

コインラインドリーのカゴがおもむろに「問題を解く手順」を教えてくれる。いい街ですね

脱線しましたが。

ともかくも、おぼつかなかった人生はどうにか芯を得て歩き出し、ときに拳を握りしめながら得た経験は私の言葉に力をくれています。

京都に住んでいた5年間は、今も冷静には受け止められないくらいぐじぐじした時期だったけれど、思いっきりぐじぐじしたからこそ今の私があるのかもしれません。

だからこそ、この両手で設置したベッドとどこまでも歩ける足で、私は帰って来たんです。この大好きな街、京都まで。



昨日見つけた素敵な光景

先斗町を歩きながら路地をのぞきこんでいたら、個人でやっておられる水族館(?)を発見しました。夢みたいな光景でした。


今週の他者①

引っ越しの段ボールを外に出していたら外国の方とおぼしき親子に話しかけられ、聞けば、娘さんのほうが住む家を探しているとかでした。「あなたの家、見せて」と言われたので中へ案内したらバチバチに土足で入ってきて爆笑しました。娘さんとはLINEを交換しました。

今週の他者②

高瀬川沿いを歩いていたら「こんなの見ねえぞ」ってくらいミチミチに現金が詰まった財布が落ちていて、カードも身分証もフルセットでした。交番に届けたところまさにご本人がいらっしゃり、(慣れない翻訳機で悪戦苦闘していたであろう)警察の方もほっとしていて、全員が笑顔の空間でとてもよかったです。

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