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育児中、書くことが必要だと気づいた日

白くてぷっくりとした顔をレースのボンネットで包まれた娘は、カメラを向けるとニコニコと笑った。
住んでいるマンションは東南の方向に大きな窓が3つある部屋で、午前中は眩しいほど明るく、ハーフバースデーの写真を撮影するにはちょうど良かった。
午後に駅前のカフェに行った時は、テーブルの上のサラダとスープに手を伸ばして危うくひっくり返しかけたけれど、声を出さずに大人しくしてくれていたし、帰宅後のお昼寝は添い寝をしなくとも1時間以上寝てくれた。

その日はいたって普通の日だったし、むしろ私にとってすごく順調だったはずなのだ。
だけど、夜に娘を寝かしつけているとき、突然大量の涙が出た。娘のではない。いや、娘も隣で眠い眠いと声を枯らして泣いているのだけれど、いつもと違うのは、私の目から涙が出ていることだ。


先日、娘が生まれてから6ヶ月が経った。
この半年の変化は凄まじいもので、私にとっては生活が何もかも変わった時期だったし、娘は毎日違う表情をし、昨日できなかったことが今日できるようになる、そんな急速な成長を遂げた半年だった。

近年、育児の過酷さの表現をよく目にするようになった。
とにかく育児は大変で、夫の協力は不可欠で、非協力的な夫や上司は総叩き、子どもはとても手がかかり、お金もかかる。育児を語ったつぶやきはこんな感じが多いと思う。

実際、子どもを産んで育ててみると、確かにそのすべてが真実だ。
経験してみないとわからない大変さと緊張感が、今まで普通の生活をしてきた普通の自分に重くのしかかり、体も心も疲弊する。
夫の協力なしでは今私はnoteを書いている余裕なんてないだろうし、子どもが産まれたばかりの夫を飲みに誘う夫の会社の先輩を心の底から恨んでいる(基本は断ってくれているけれど)。

けれども同時に大きな声で言いたいのが、それ以上に子どもは可愛くて、愛おしくて、愛に溢れている存在なのだ。
私はもともと子ども好きではなかったし、娘を育てるのはしんどいけれども、やめたいと思ったことはない(一時停止くらいはしたいと思うけれど)。娘が私を私だと認識して笑ったり泣いたりするだけで、それ以外の大変さはどうでも良くなる。

生後4ヶ月ごろまでは本当に息切れするほど大変だった。
最初の2ヶ月は産後の身体が重くだるく、どんな体勢をとってもそこら中が痛かったし、3ヶ月目からは娘がメンタルリープの期間に入り昼も夜も泣いて心も体も辛かった。
4ヶ月ごろから表情が豊かになり、甘えたい、抱っこされたいという欲求を表現してくる娘との毎日は辛さよりも楽しさが勝っていった。

この頃から私は心と身体にほんの少し余裕ができた。
余裕ができた結果、冒頭の、順調なのに涙腺が決壊する日がきてしまった。

一体全体何が起きたのか、私自身にも嗚咽が止まらなくなるその瞬間までわからなかったけれど、冷静に考えてみると頭と体が噛み合っていなかったのだと思う。

以前、育児関係の記事を見た時に「育児は大変だし辛いけれど、忙しいとはちょっと違う」というコメントを目にしたことがある。思わず、わかる!と頷いた。
夫や家族の協力が得られない環境で、全ての家事育児をこなす状況であればてんやわんやかもしれない。だけど幸いにも、私は夫が掃除や洗濯などの家事をしてくれるおかげで、時間の余裕はある方だった。

時間に余裕があると、余裕ができた分色々なことをしたくなる。

外出がしたい。買い物がしたい。家の収納を見直したい。断捨離がしたい。見て見ぬ振りをしてきたキッチンの汚れを落としたい。娘に可愛い服を着せたい。語学の勉強がしたい。保育園の申請の資料をまとめたい。娘の銀行口座を開設したい。大量にもらったベビー用品のサンプルを整理したい。隅に溜まった埃を全て払い落としたい。

私の頭は常にぐるぐると何かを考えていて、その度に調べ物をしなければ気が済まなくて、ここ数日はベッドに入っても夜中2時を過ぎなければ眠れなかった。

常に100%稼働している頭に反して、私の体は一つしかない。さらに、ちょっと離れた場所でスマホでネットサーフィンをしていれば、かまって欲しいと泣き始める娘と24時間一緒だ。トイレに行こうと立ち上がるだけで、視界からいなくならないでと泣き始める娘と、24時間一緒なのだ。
時間に余裕があると言っても、体を自由に動かせる時間はほとんどなかった。一人なら半日で終わるような一つのタスクを終わらせるのに、2日も3日もかかった。


「何もかも完璧にやりたい頭」に「娘から離れることができない体」が追いつかず、「何もかもこなせない自分」に絶望してストレスが積み重なっていた。

思わず涙がこぼれたその日、娘をお風呂に入れてリビングに戻った瞬間に部屋を見渡してしまったのがいけなかったと思う。
散らばるおもちゃに畳んでいない洗濯物、娘が着ていた服は床に投げ捨てられ、ダイニングテーブルには保育園の申請資料が積み上げられていた。

私にはもっとやりたいことがあるのに!
今日もその中の一つもこなすことができなかった!
そして娘はうまく眠れずに20分以上泣いている!

娘の泣き声と一緒に涙が止まらなくなり、帰宅した夫が慌てたように娘を代わりにあやしてくれるのを隣の部屋で聞きながら、私の頭の中に浮かんだのは「書かなければ」だった。

動き続ける頭の中を、なだめる何かが必要だと思った。
ごちゃごちゃとした色のようなモヤのような何かで渦巻いている思考を、文字という形に残さなければまたいつか決壊してしまう、と。


と、大袈裟につらつらと綴ってみたけれど、要はふと何かを書くということがしたくなった。
こなさなければいけないタスクを手帳にリストアップするのと同じように、やりたいことや考えたことをただただ自分の言葉で残したくなったので、久しぶりにnoteを始めてみた。

テーマはなく、雑食で、好きな食べ物や本について書く時もあれば、突然子供の教育論とか語り出すかもしれない。

手帳よりはオープンだけど、きっと誰もみてないだろうなとおもって書くブログが、一番楽しかったりする。

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