月、綺麗だね。友達からのメッセージ。なんてことはない、そう、意味はない。うん、そうだね、綺麗だねと返す。暇?と聞かれるとそれなりに、と打ち返す。何してるの?と画面に表示されたから、ビジホのベッドで横たわっていると返信する。へえ、と、チャットが送られて、着信のバイブが鳴る。電話に出て、向こうからの声を待つ。
「もしもし?」
 涼しさと冷たさが絶妙に入り混じった声がした。
「はい、もしもし」
「てっきり誰かと一緒にいるのかと思って。そうじゃないみたい?」
「どうだっていいじゃん、そんなこと。家出だよ」
「家出?」
「うん、バイトもしていない高校生がビジホに泊まるという、れっきとした社会を舐めた行為さ」
「ウケる」
 鈴のような笑い声が響いた。ただそれだけで、波風を浴びる心地がした。
「ビジホの場所はどこ?近いなら団子でも食べながら月見しようよ」
「日を跨いだのにか?x市のビジホだからだいぶ遠いけど」
「流石に難しいね」
「うん、残念だけどムズイ」

 話に区切りがついて、沈黙が跋扈した。電話相手との沈黙は奇妙なことに、ある種の緊張感と安心感、相反する二つの反応が挟んでくる。ねえ、と前置きして2秒後、話題を振ってきた。
「なんで二学期になってから学校来ないの?」
「やっぱ、それは聞くのか」
「聞いちゃダメだった?」
「いや、全然。そんなことはないと思う」
「じゃあ、可能な範囲で」

 いつもより穏やかさを含んだ声色で促しにくる。声を使い分けてくれるから、電話越しの相手に安心感を覚えてしまう。
「聞いて驚かないで欲しいんだけど、なぜか学校に行くのが嫌になっちゃってな」
「どうして?」
「自分でも分からないんだ」
「誰かに嫌なことされたとか?そいつ、私がぶっ飛ばしてあげるよ」
「頼もしすぎるだろ、惚れるわ。いや、いじめではないんだ。ただ、なんだろうな、上手く言えないけど、身体が心に引っ張られるような、そんな感覚。なんかダルいわ」

 言い終えて、彼女からの言葉を待つ。その数秒間が永遠の長さを伴った。
「多分だけど、それ、病んでるよ。心が」
「え、心病んでるのか」
「お医者さんじゃないから断言できないけどね。一度診て貰った方がいいかなあ」
「あー、まじか、クリニック行こうかな」
「私はなんだか、安心したけどね」

 彼女の言葉が書店で眺めた赤本の問題より不可解で心が硬直した。
「いつも明るく元気な印象があったから。眩しかった。私にはないものを先天的に獲得しているようで、憧れと嫉妬があった。まるで鮮やかな黄色が発色しているみたいで」
 おいおいおい、褒めすぎじゃないかと心の中でツッコミを入れた。ここから落とされたら、立ち上がれそうにない。
「でも、ああ、一人の人間なんだって、安心したかな」
「はは、結果的にダルいなんて言ってたら世話ないな」
「いいじゃない、若いうちに波を描くのは。伝わってないかもだけど、その、感謝しているから。だから、たまには私を頼れよ」

 満月の影響と考えなければ原因不明なほどに、新しい一面が垣間見えた。
「はは、確かに。こんな朧げな存在じゃあ月に住む兎に笑われるか。今度、何かしら頼りにさせてもらうよ」
「行動に移さないと、意味ないからね」
 頷いた時には洗面所に移動していた。なんとなく水を顔に浴びせて、受け取った言葉を反芻した。
「じゃあさ、お願いしたいことがあるんだけど」

 学校に行かないことで、親と喧嘩をして家出をし、友達に元気付けられる。約2週間弱お休みを取ったことだし、学校に行くことにした。
 朝。そう呼ぶには少し遅すぎる。1限と2限の間の休み時間。その時間を見計らってさっと、ドアを開ける。皆、静まり返る。黒板側の席から友達がやって来て、大きな声で僕に話しかけた。
「専務、重役出勤は今日限りにしてくださいよお」
「そうならないように善処する」
 周りから給料を上げろ、有休と育休の取得率を上げろと言われて、社会経験のない僕はなんて返したらいいのか分からず、咳払いを立てて検討すると返して場を凌いだ。翌日、当然のように朝のHRから参加して元の日常へ戻った。

 翌月。満月の夜。友達から夜の散歩に誘われた。私服姿の友達はいつもはボブヘアの前髪をヘアピンで留めて僕の元に現れた。
 場所は友達の家からそれなりに近い、そこそこ名のある公園。夜風が吹き抜けて、星々は点々と瞬き、月は変わらぬ輝きを見せる。他愛ない会話を交わし、話題が切り替わった。
「こうしてさ、満月の夜に散歩って、いいものじゃん?」
「そりゃね」
「でも私思うんだよねー。なんか、ずるいシチュエーションってあるじゃん」
「どういう意味?」
「例えばさ、それなりのお店でとか。記念日にとか。地味に断りづらいやつ」
「なるほどね」

 いまいち要領を掴めていないが、頷いておいた。一方においては意味の分からない会話や意味のない会話を交わすのも、多分、大事なんだと思う。
「そうじゃなくて。何気ない日常で来てほしい。それが私の理想」
「結構リアリストタイプなんだ」
「かもしれない。え、どっちタイプ?リアリストとロマンチストだったら」
「分からないな」
「急に聞かれてもね」

 真横で歩く足を止めて、友達は空を見上げた。本当はロマンチスト寄りなのかもしれないけど、控えた自分を少し恥じた。
「年々さ、月は地球から離れていくんだってね」
「物知りだね。ますます遠ざかっちゃうのか」
「それ知ったときに思ったんだよね。普段接することのない月でさえ離れるなら、日頃接する人間と何かしらの理由で離れるのは仕方のないことだって」
 首を縦に振って相槌をした。言われてみたら、もう付き合いのない、かつての友達がいて、今のクラスの連中の大半とは会わなくなるだろう。AIに頼らずとも見える現実。
「ごめんね、暗い話に着地して」
「いや。ちょっとベンチに座ろう」

 都会は星が見えないのだから、ある種恵まれた環境にいる。太陽と月は場所を問わず顔を出す。日常に欠かせない存在で。

 自然と手を組んだ自分に気付いた。沈黙をこちらから破った。
「今度、また出かけよう。土日のどちらかで、次は太陽が昇っている間から」
「土日のどちらか。えー、予定空いてるからな」
「そんな疲れるほど遠くに連れ回さない。ここら辺で比較的栄えてる商店街か、盛況な商業施設か、どっちか行こう」
「あ、じゃあ、前者かな。後者は飽きてるんで」
「笑う。来週の土曜は?」
「空いてなくもないな」
「空けといて」

 無言で頷く。予定が決まって安堵し、月を見上げる。兎は今日も月に住み着いているのだろうか。こちらから兎は視認できないが、向こうからこちらを確認できるのだろうか。今は願う。遠く離れないように惹き寄せる自分で在れるようにと。

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