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NOと言える子供を育てたい


道路で轢かれた猫がいたら土に埋めてあげなさいと、母に言われて育った。

小学生の時、何度も見知らぬ猫の死体を土手に埋めた。怖かったけど、そうすることが正しいことだと教わった。かわいそうでしょ?ここは泣くところだよって。

私は正直怖い、嫌だなっていう感覚がすごくあった。でも、お母さんは本当に悲しそうだった。泣きながら知らない猫を土に埋めるのが、正しい大人なんだよって、無言で言われた。なんとなく、人には言えないことをしたような感覚があった。

こういう、ささいなトラウマが、いっぱいある。子供心に怖かったこと、突き刺さるような言葉、体験がいっぱい。


他人に、自分の悩みや過去のことを話すのは、とても勇気がいる。今でこそ、ここに少しずつ書き、人の目に触れるようになったけど、時々全て消してしまいたくなる。

なぜ人は、過去を他人に話すのが怖いのかな。

私の場合それは「比較されてしまったらおしまいだ」という、恐怖感があるからだ。

世の中にはもっともっと大変でつらくて、どうしようもない人がいるんだよ。かわいそうな人に目を向けなさい。私たちは幸せなんだよって、言い聞かされてきたのだ。

地雷で片手片足を失った人に比べたら、あなたはずいぶんといいんだよ。戦争中と比べたら、私たちは幸せだよ。道で車に撥ねられる猫や、殺処分される犬、毛皮にされる動物、人間が食べるために命を差し出す動物に比べたら…

世の中のことを教えてもらう中で、価値観のすり替えが行われていたんだなって、今強く思う。

こんなことくらいで、つらいなんて言っちゃいけない。そんなことで、メソメソしちゃいけない。泣くんじゃない。そんな顔するんじゃない。

子供にとって大人の言うことは、絶対だ。親は、神様であるも同然。

しかしそんな大人は、正しいことを教えている風を装って、自分のやっていることを正当化したりするもんだ。こんなことを書いている私も、同じ。大人という立場を使って、自分の失敗を正当化したくなる気持ちは、分からなくもない。分かりたくもないけど、少し分かってしまう自分が嫌だなぁ。

昔は、早く大人になりたかった。親のそうい途方も無い教えを「うんうん、世の中ってすごいんだね!」って感心したふりをしながら聞いて、生きていて、とても窮屈だった。

早く大人になって、自由を掴み、自分が本当にいいと思うものを選んだり、好きになったりしたいな。そう思ったけど、なかな上手にはできない。子供のときからしてこなかったことを、大人になったからと言って、すぐにできるようになることはない。あんなに大人になりたかったのに、今は子供に戻って「そんなことやりたくない!」「怖い!嫌だ!気持ち悪い!」って大きな声で言いたい。

私は些細なことを、嫌だな、つらいなって言える子供を育てていきたい。

些細な違和感を、言葉にして、自分がどう思うか言える大人にしてあげたい。
そんな、普通の自然な人間にしてあげたい。

大人の言うこと、やることだからって、無条件降伏する必要なんてない。

Noと言える子供を育てたい。

難しいかもしれないし、私には無理かもしれない。

でも、子供の些細な動揺に、気付きたい。

子供の無力さや、無知さに甘えて、自分をごまかすのはやめよう。

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自身の体験から、どのように過去の記憶を乗り越えたのかを電子書籍にまとめています。

「自分の感情がわからない」「つらいと思っていいのかわからない」「過去をどう捉えていいかわからない」「トラウマを手放して明るく生きたい」このような、幼少期のトラウマが「未解決」のままになっている人や、どんなことも過去の体験と結び付ける思考をやめたい人に向けて書いています。ご興味のある方はぜひご一読いただければ幸いです。





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